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ユリシーズ

 夕方、帰宅を急いでバスに飛び乗る。そこにはどこかで見たことのある、毎日すれ違っている人々が乗っている。くたびれたおっちゃんおばちゃんが、半ばうとうとしながら、あるいはスマホを弄りながら乗っている。あ、パズドラですか。俺やったことないけど。この人はツムツム。お兄さんはウマ娘ですね。あ、えっちなサイトを見てはいけませんよ。覗き込んでいるわけではないが、見えてしまうのだから仕方がない。公序良俗を乱す半裸な女の子がスマホの中で踊るのを、俺は確かに見た。

 そこから目を逸らして、暮れてゆく夕闇の紅掛空色に彩られた、街明かりを車窓から眺めていた。ここには多くの人々が行き交う。名も知らない人々が家路を歩き、あるいは食事をしたり、遊んだり、飲みに行くのだろう。バスはその人々を追い抜いてゆく。車窓の窓枠に切り取られた社会は、絵画のようであって絵画ではなく、そこに生きる人間は塵芥のようであって塵でも芥でもない。その塵芥は一つずつが生きて、呼吸をして、笑い、泣いて、何かを求めて喚くのだ。もっと美味いものを食いたい、もっと遊びたい、もっと楽しくありたい、もっと、もっと、もっと。

 ここに暮らす人々は、都市の中の運命共同体であると同時に、相反する呉越同舟であり、潰し合い憎み誹り合う弱肉強食の徒でもある。どんなに小さな家であっても、どんなに小さな店であったり、学校であったり、会社であっても、そのちっぽけな社会の片隅でもがき、僅かな給金や糧を求めて、清らかなものも汚いものも共に塵芥に塗れて生きている。皆、生きたいのだ。満ち足りることを望んで、あるいは永遠に不満足に身を焦がして、あるいはただ何も考えずに、生きたいのだ。

 友よ、今日はコンビニでプリンを買って帰ろう。ほんの僅かな甘みであっても、我々の心を奮い立たせ生きる糧となるだろう。小さな喜びであっても、俗塵の中にあってはかけがえのない光となって我々の生活を愛おしいものにするだろう。日常の中のなにげない楽しみを拾い集めて、強く、生きていこう。我々は、この息詰まるような時代を、困難を、苦難を愛する。
集え、我が友よ。
新しい世界への船出には、未だ遅過ぎはしない。
夕日の果てに帆を掲げよう。
この身は例え俗塵の中で朽ち果てようとも
意志は強く
奮い立ち、探し求めて、見出そう。
決して屈することなく。

プリン売り切れじゃねえかくそったれ!
もう帰る。

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