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誰かをうらやましいと思う気持ちを昇華させたい

人間の厄介な感情コレクションのひとつは、誰かを「うらやましい」と感じる気持ちだと思う。直接この言葉を口にしなくても、なんとなく芽生えるモヤっとした気持ちだとか、SNSで見えるみんなの活躍からつい目を逸らしたくなってしまうこととか。全然よくある。別に恨んでいるわけでもなければ、その人の不幸を望んだりするようなカゲキな感情ではないのだけど、ただただ今の自分と比べてしまって「モヤッ」とするのだ。

そういうときに相手を批判することで優位に立とうとするのはイケてないけれど、かといって、この感情とうまく付き合っていくのも難しい。「自分は自分」といくら思っていても、気になるものは気になるのだ。そんな中、私は最近ふと、この感情をうまく昇華してくれる好きな言葉を思い出した。

「ひとつでは、多すぎる」

これは「思考の整理学」でおなじみの外山滋比古先生の言葉だ。
私が生まれる少し前に出版されていたこの本は人生のことあるタイミングで読み返す本で、ページを開くその時々によって新たな発見があるバイブル。

外山先生曰く、「ひとつでは、多すぎる」のだ。この言葉のあとにはこう続く。

少なくとも2つ3つを選べ。
今分からなくてもいい。いつか分かる。

この断言。かっこよすぎない? 泣いちゃった。
外山先生はこの言葉を論文を書こうとしている生徒に向けて残しているのだけど、これはキャリアや人生など広義にも捉えられると思っている。

一つのことだけで突き抜けようとすると、自分以上にできる人に出会ったり、自分よりうまくいっている(ように見える人)を目にして、くさくさした気持ちになるのだ。それをバネにして成長できることもあるけれど、うまくエネルギーに昇華できずに落ち込んだりすることの方が圧倒的に多い。

というか正直、一つのことで突き抜ける、とは言うけれど、誰よりも圧倒的にできることなんて人間そうそう見つからない。入り込めば入り込むほどそこには深く専門的な世界があり、抜け出す道を見失ったり、楽しむ余裕や好奇心を失ったりすることもある。だから外山先生は言ったのだ、「ひとつでは、多すぎる」と。

あとに続く「2つ3つ持て」というのは、具体的には自分が「人より少しだけ得意なこと」をいくつか明らかにしておくべし、とも言えるのではないかと私は解釈した。ひとつのことで世界レベルに抜きん出ることができなくても、その2つ3つの掛け合わせで他人とは違う提案ができたり、そうした仕事が舞い込んでくることもある。

自分が得意だと思っている「A」で自分以上に輝く人を見てモヤモヤしたときには「いやいや自分はここじゃない」「ここで勝負してるんじゃない」と思い出す。自分には「B」がある。「C」もある。その事実を心の支えにしてまた前を向いて頑張るのだ。たまたま見かけたのが「A」で輝く人だっただけで、世の中の流れやトレンドの中で「B」が注目されることもあるし、予期せぬ「C」の大ブームが来ることも。うらやましい気持ちでくさくさとしているよりも、そんな来るべき時代にいつでも手を挙げられるよう準備を粛々とする方が生産的だ。

これが私なりに思う、うらやましいと思う気持ちを昇華させて前に進む方法。ありきたりのことだけど、自分でもたまに見失ってしまうから残しておきたいなと思った。

そして全く関係ないけれど、「ジェラシー」という言葉を聞くといつも、大学生の頃に帰国子女の友人である舞ちゃんが "Jealousy makes girls more beautiful." とおしゃれに言い放ったことを思い出す。なんとなく外国らしくて素敵だなあなんて思っていて、先日数年ぶりに会ったときに「あれ、どこかの格言だったの?」と聞いた。すると「え?クラブで会った香港人に言われただけだよ」と舞ちゃんは答えた。笑った。そんなもんだ。今日も世界のどこかで(たぶんそこらじゅうで)ジェラシーに振り回される人がいると思うと、なんだか自分も含めて可愛く思えてくる。

「ひとつでは多すぎる」。
外山先生はアラサー女がこの言葉をこんなふうにジェラシーを昇華させる心の支えにしていることに怒るだろうか。色々な思考の拡がりを期待してこの言葉を残しているのだろうから、そっとこのまま、正解は求めず、置いておきたい。

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