子どもの将棋を見に行った話

最近はイチの将棋の付き添いは妻や祖父にお願いしており、私が同行することは滅多にない。

私が同行すると、イチの将棋にあれこれ言いたくなってしまうからだ。(もうイチのほうがずっとずっと強いのにね…)

それでも、先日、久しぶりに6月から通い始めた将棋俱楽部での様子を見に行ってきた。
そこでは、子ども同士の対局はあまりないようで、先生がロの字に並べた机の中を回りながら子ども達と指していく。

先生は「びっくり」などと時々ボヤいたり、子どもに学校の話を聞いたりしながら指していく。その雰囲気がとても良い。

私が見に行ったときは、先生とイチが平手で指しており、イチから角を交換した後、イチは玉を8八まで深く囲いにいき、先生は深く囲わずに攻めてくる展開だった。

なんとかイチは攻守を入れ替えたいところなのだが、せっかくつくった龍も使いづらくて一方的に攻められる。

先生は龍と馬をつくりイチの玉に迫る。
私にはもう詰みがあるんじゃないか?と思えるような状況だが、どうやらまだギリギリ詰みはないらしい。ただ、ここから盛り返すのは不可能で、私なら投了しているだろう。

ところがイチはここから、ありったけの持駒を自陣に打ちこみ延命を図りはじめる。そのうち、時間稼ぎとしか思えないようなイチの守備駒を先生の龍が取った隙に、しばらく動いていなかったイチの角が先生の香車を取った。

次に先生が回ってきた時、盤面を見て
あ!おまえ、こんな方法も知っていたのか!
とボヤきにしては大きすぎる声で言った。

イチは劣勢になってから、ずっと入玉を狙っていたのだ。

今度は、王様のお通りだ!と言わんばかりに玉頭をカバーするように駒を配置して、玉の通り道をこじ開けていくイチ。

見ていた私も「これは入玉できるんじゃないか?!」と思い始めていた。

しかし、そこは流石に先生。そうはさせないと上から押さえつけにくる。最後は、守備駒を渡しすぎたこともあり、入玉は叶わず、イチの王様は都を目前にして討ち取られたのであった。

対局後は先生から何故主導権を取られてしまったのかについて教えてもらっていた。

帰り道でイチに「もうちょっとで入玉できそうだったのにね」と声をかけたところ、「途中から入玉は考えていて、香車を角で取るか、龍で取るか迷っていたんだけど、龍は反撃のために残しておきたくて…龍で香車を取っていれば入玉はできたかもしれない」ということだった。

思い出してみると、私にはさっぱり見えていなかったのだが、たしかにあの場面では龍で香車を取ることもできた。

もし、龍で香車を取っていたら本当に入玉は成功していたのか?それはわからない。
ただ、最近、私がイチにさっぱり勝てなくなった理由はよくわかった。

先生に攻め込まれた時にイチはなりふり構わず延命を図ろうとした。私ならプロ棋士の先生を相手にそんなことはできない。みっともないとか思われるんじゃないかとか色々と考えてしまう。

それから、反撃するために龍を残しておいたということ。結果的には判断ミスだったのかもしれないが、あれだけの大差の状態でも反撃のチャンスを狙っていたというのだから驚いた。

本当にこれで逆転できるのは、棋力が近しい者同士であっても稀だと思う。10回に1回?100回に1回?そんな感じだと思う。
ただ、その100回に1回あるかどうかの勝ちに対して、なりふり構わず貪欲になれる者とそうでない者…差がつくのは当然である。

久しぶりにイチの様子を見に行って、自分との差をつくづく感じることになった。そして、これから先、イチとの差は開くばかりで二度と私が追いつくことはないな、と実感した。

「お父さん!将棋で勝負しよう!最後に勝ったほうがを使うんだからね!」

と言って休日に私を起こしにくるイチ。
多分、そんな朝も、もう残り僅かなのだろうと思うと、なんだか寂しい気持ちになったのだった。

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