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口紅の先に夢を見る

化粧品が、大好きだった。

20代は、季節ごとに発売される化粧品の新作を追い続けていた。
百貨店から送られてくる冊子、カウンターからのDMと、美容雑誌──「VoCE」やら「CREA」やら──に隈無く目を通し、付箋を貼り、手帳に発売日を書き留めるのが毎月のルーティンだった。

使用感は、口コミ投稿サイトに都度書き込んだ。
他人から見たらその差など気付かないであろうアイシャドウでも、似たような色を買い揃え「シャネルはラメの煌めきが美しい、ディオールは偏光パールが幻想的、ルナソルは云々」等と延々と綴った。
9年間で投稿は500件に及んだ。500もの化粧品!顔はひとつなのに。

なぜそこまでのめりこんだのか?
大学生になるまでは絵を描いており、画材を集めていた。
色彩の洪水に心を遊ばせ、彩るという行為がもともと好きだったというのはある。
キャンバスが紙から自分の顔に代わり、学校帰りに立ち寄る先が世界堂から伊勢丹や西武の1階へと移っていった。

絵の具をぼかすつもりで自分の頬をチークで染め上げ、Gペンで繊細な線を描くように睫毛をマスカラで伸ばし、グラデーションをつくるかのごとく目蓋にアイシャドウをのせることに夢中になった。

口コミ投稿サイトの存在がそれに拍車をかけた。
投稿すれば、レスポンスが返ってくる。
仲間を得たり!と嬉しくなったし、参考になるとメッセージをもらえば承認欲求も満たされる。

そして何より、化粧品に、単に顔を彩るもの・肌を整えるもの以上の「副次的効果」を求めていた。
「このファンデーションで均一な肌を装えば、堂々と振る舞えるかも」
「このアイシャドウで印象的な目に仕上げれば、もてるかも」
「このリップグロスをつければ、彼を誘えるかも」
(…書いていて自分でも正直気持ち悪いけれど、若い頃の話なので許してほしい)

他力本願だ。
大学受験~社会人になる過程で、いくつかの挫折があり、本質的な努力を放擲していた時期と重なる。
自分を認められず、イージーな手段で底上げしたかった。
化粧品は、うってつけだった。

今にして思えば「逃げてるんじゃないよ」
並の土台が変わらないのだから、その上にのせるものが多少変わったところで、大勢に影響はないはずだ。
クレオパトラの鼻が低かったら歴史は変わっていたらしいが、いち大学生、いち会社員の睫毛が1ミリ長くても己の人生すら変えられない。
その労力を、他に投じて挽回すべきだったのではないか?

幸い─遅すぎたとも言えるが─30歳を迎える頃に目を覚ますことができた。
自尊心を保てない恋愛から抜け出したこと、状況の変化から自由になるお金が少なくなったという外的要因によるものである。

今も、化粧品は、好きだ。
ただ依存する必要はなくなった。見苦しくない程度に装えればそれでいい。
でも時折棚に置かれた香水に手が伸びる。
特別な時には、ちょっとだけ力を借りたくなるから。
芳香に包まれて、限られた時間夢を見たいと思う。

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