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忘れられない涙

突然ですが、皆さんは忘れられない涙がありますか?私には普段は忘れているのに、急に何かのメッセージのように思い出される涙があります。今日はそんな涙について書いていこうと思います。

私は、教育や心理学を専門的に学んだことはありません。普通の、ひとり娘を育てる新米お母さんのひとりです。ですので、これまで子育てに悩んだときには、やはり専門家の方の助言やアドバイスが必要な場面がありました。今はおかげさまでそのようなサポートを頂かなくても過ごせていますが、この場を借りて、あらためてお礼を伝えたいと思います。教育や児童福祉に携わる専門家の皆さま。難しい世の中を生きていく子どもたち、親子と日々正面から向き合ってくださり、心から感謝申し上げます。前置き長くなりすみません、本題です。

ワクワク、キラキラのイベントの後で・・・

2年ほど前、まだたくさんの人々が集まるイベントが普通に行われていた頃のことです。娘と子供向けのあるイベントに行きました。そこにはキャラクターのコスプレをして可愛く着飾った親子がたくさん参加していました。ワクワク・キラキラ☆大好きなキャラクターの登場に子どもたちは大盛りあがり!ステージが終わり、会場はみんな笑顔で幸せ気分に溢れていました。

出口まで行くと夫が迎えに来てくれていたので、私は子どもを預けて会場のトイレへ。すると、奥の方の個室から子どものすすり泣く声が。「帰りたくなくて、ぐずっちゃったのかな~?」くらいに思い、あまり気にも留めませんでした。唯一、子どもの泣き声に対してお母さんが結構強めに叱責しているのは気になりましたが・・・。会場も急いで出なければならないし「そういう時もあるよね」という感じでした。そして普通にトイレから出て手を洗っていると・・・

奥の個室から水を流す音と、突然、お母さんの子どもを大声で罵倒する声が。どうやら、ただでさえお子さんが泣きやまずイライラしているところへ、今度はお子さんがスカートを汚してしまったらしく、ついにキレてしまったという感じでした。その大きな怒鳴り声にびっくりしたのか、お子さんの泣き声もさらにヒートアップ。同時に、お土産のグッズ(参加した子どもたち全員に配られたもの)までトイレの床に落としてしまったようでした。

そのグッズが落ちたことで、ますますお母さんの罵倒する声は激しくなっていきました。具体的な言葉は割愛しますが、大人の私でも身がすくむような、存在を全否定されるような言葉の羅列にショックを味わいました。「早く立ち去らなければ・・・」そう思いましたが、その瞬間に個室のドアが開き、親子が出てきました。「早く出て行こう」そう思って出口に向かおうとしたとき、私はハッとしました。あまりにもそのお母さんと女の子のコスプレ衣装が素敵で、髪型やアクセサリーまで「なりきって」二人とも本当に可愛かったからです。

お母さんが不機嫌な様子のまま手を洗っている間、その横の4歳くらいの女の子と目が合いました。全身の可愛さとは裏腹に、女の子の目は泣きはらして赤く腫れ上がり、細く柔らかそうな髪の毛が涙で頬に張り付いていました。何かを伝えようとするその瞳から逃げるように、「・・・ごめんね」私は女の子に心の中で謝り、ひとことも声を掛けずに足早にその場を離れました。背後からは、「モタモタするな!」というお母さんの厳しい叱責と女の子が再び泣き出す声が聞こえてきました。

お母さんも心の中で泣いている

たった数分間の出来事でしたが、数年が経つ今も、この記憶は夫と本当に近い友人にしか出来ないくらい、私の心に大きな陰を落とし続けています。こうして書いていても、やっぱり涙が出ます。なんの涙か?・・・ひとつは、女の子への申し訳ない気持ち。その場に居たのは親子の他に私だけ。傷ついた女の子へ、かけられる言葉があったのではないか・・・。もうひとつは、あの場で私が直感したことへの涙です。「あぁ、このお母さんは少し前の私と同じだ。」

言葉遣いや程度の差は多少あったとしても、自分の怒鳴り声に自分自身の怒りがエスカレートして抑えきれなくなる。それを私は、体験していました。その頻度が増すと同時に、自分自身がコントロールできない体験がどんどん自分の中に積み上がっていく。それは未知の自分(知りたくない方の)を知ることであり、心の底から怖いことでした。そんな恐怖と不安と焦りをついにひとりで抱えきれなくなり、私は相談窓口に駆け込んだのでした。

その体験があったからこそ、直感したのです。・・・このお母さんにも、心の中で流している涙があり、辛く哀しい心の叫びがあるのではないか・・・。もちろん真実は分かりませんし、今となっては確かめようもないことです。

目にした涙と見えない涙と

イベントからの帰り道、目にした出来事を思い返しながら、一方で私はお母さんの女の子に対する確かな愛情も感じていました。凝った可愛い衣装を二人分準備して、当日も朝から子どもと自分の髪をセットし、アクセサリーや小物を付けて完璧な状態で会場に来るには、それなりの時間と労力がかかっているはずです。その原動力のひとつは、やはり子どもの笑顔が見たい、この子が喜ぶことをしてあげたい、というお母さんの純粋な愛情ではないでしょうか?

だからこそ、お母さんも同じくらい傷ついたのではないかと思うのです。本当は、あんな風に怒りを子どもにぶつけ、楽しみにしていたイベントを涙で終わらせたくなんかなかったのに。この子をこんな形で泣かせたくなんかなかったのに。そんな、苦しくてどうしようもない泣きたい気持ち。

もしも同じような辛さを感じているのなら

もちろん、これは「もし私だったら・・・」という想像に過ぎません。なので、ここから先はその前提に立ってひと言だけ。ひとりで悩まずどうか誰かに「助けて」と言ってほしい。抑えきれない怒り・悲しみが溢れてしまうほどに、自分の心が深く傷ついているということだから。

誰かに助けを求めること(特に他人に)はそう簡単にできることではないかもしれません。助けてと言えないくらいに心が麻痺して余裕がなくなっていることもあるかもしれません。でも、そのSOSのひと言だけは自分があげないことには、周りにはあなたの辛さは絶対伝わらないと思うのです。

「こんなはずじゃないのに」は、他に理想の自分や現実があることの裏返し。今の現実を変える扉の存在を、信じて欲しい。本気で問いかければ、今のあなたには見えなかった答えが必ず見つかると思います。気づかなかった扉が開くのは、「助けて」と手を挙げるまさにその時。あなたの新しい扉とは、専門家の言葉かもしれない、インターネットや本の体験談かもしれない。誰かとの出会いかもしれないし、自分の直感かもしれません。でもそれぞれのやり方で必ず自分なりの「正解」にたどり着ける。私は自分の体験から、そう思います。

親子の数だけある幸せのかたち

子どもと関わり、自分と向き合う日々に終わりはない。親だからと気負わず、堂々と悩みながら子どもと一緒に成長して行けばいい。親子の数だけ悩みがあり問題があり、その幸せのかたちも違うのだから、私達はもっと自分にゆるしてあげていいのではないでしょうか?あなたは迷っていいんだよ、悩んでいいんだよ、間違ってもいいんだよ、と。

・・・時折、自然と心に浮かびます。あの女の子の涙は今、笑顔に変わっているだろうか?お母さんは今ごろ優しく女の子を抱きしめられているだろうか?ふたりは、いま幸せでいるだろうか・・・

もう二度と会うことはないけれど、どうかこの気持ちが届きますように。

本日も、お読みいただきありがとうございました。
あなたの今日が、素晴らしい日でありますように!
心を込めて。



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