溶解して凝固せよ #8
私は頑張っている
というアピールは、ある場面においては、不幸自慢と同じ意味になる
なぜならみんな頑張っているからだ、とは言わない。頑張っていない人も居る。頑張らずに周りの人間が全てを片してくれるような境遇に生まれたお嬢さんもお坊ちゃんも居る。頑張っています、という内容のものをキャッチコピーにした現代ヒューマンの広告はある場面においては「私(たち)は恵まれた境遇にないのに手持ちのカードでここまでやっていますよ」という意思表示だ。「容姿に恵まれていないのに」「実家の経済が太くないのに」「両親と子供の仲がいいような健全な家庭ではなかったのに」「借金を背負わされたのに」「会社に理不尽な仕打ちを受けているのに」「仲間だと思っていた人間にいじめられてきたのに」ここまでの結果が出せたのだ、ということが言いたいのだ。
いいなあ。と思うことがある。
(不幸なのに)という注釈つきで、頑張っているよ!と言うことで、褒めたり甘やかしてくれる存在がいることが。笑えないだろう、ホンモノの不幸なんかは。救われたかったひとは沢山いる。もの言わぬひとびとの言葉はもう届かないのだし。
(こんなことを言ってもどうにもならないことはわかっているし、いま頑張っているひとを否定したいわけでもない)
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