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米国で映画「バービー」を見ました

映画「バービー」、日本ではどちらかというと公式SNSの投稿の方でよく知られている気がしますが、こちらアメリカでは大ヒット映画として連日映画館で上映されています。英語のリスニングの勉強にもなるだろうと、渡米後初・映画館デビュー。

結果、行ってよかったです。ファッション・音楽・俳優さんのコミカルな演技をエンタメ的に楽しめることはもとより、ジェンダー平等やフェミニズム、多様性に関して色々考えさせられる、面白い映画でした。多分にネタバレを含んではいますが、思ったことをつらつらと。

  • コミカル要素が要所に散りばめられていて、特にオープニングは笑った。2001年宇宙の旅のパロディで、バービーの出現によって人形遊びの世界が変わったことを表現。バービーはそれまでの女の子のステレオタイプ(赤ちゃん人形をお世話する良妻賢母)を打ち壊し、「女の子は何にでもなれる」とエンパワメントする象徴となりました、というもの。しかし、その後のストーリーで、「バービーは今や女の子の理想のロールモデルなんかじゃない」「完璧な見た目とファッションの女の子イメージを縛りつける悪だ!」と現実世界で主人公バービーが突きつけられるメッセージのいい前振りにもなっています。

  • バービーランドと現実世界の対比が、興味深い。当初のバービーランドは、女性至上主義の仮想世界として描かれています。女性が大統領、政治家、裁判官、医師とすべての社会的権力を握り、男性は女性に従属するのみの存在。バービーは最高に人生を謳歌していますが、ケンはバービーの彼氏である以外のアイデンティティがない。一方で、現実世界は男性が多くの社会的権力を握り、バービーは衝撃を受け、ケンは「男性が尊重されてる!」と感激し男性至上主義をバービーランドに持ち帰り…という展開。誰かが優位なコミュニティって誰もが尊重されているとは限らない世界だよね、ということを、2つの世界でコミカルながら対比的に描いている。一方、バービーランドでもアレンのような(ややマジョリティに都合良すぎに書かれすぎだけど…)両カテゴリにはっきりとは所属しない存在が描かれてるのも、現実世界でのノンバイナリなカテゴリの存在を象徴していると感じる。

  • 現実世界のバービーの持ち主の母娘、グロリアとサーシャは、演技もセリフもリアリティがあってよかった。彼女たちのセリフなしには、ラストのケンに乗っ取られたバービーランドをハニートラップで取り返す展開は空虚すぎるので…。

  • 最後のシーンでは、必ずしも女性最高!フェミニズム一辺倒!ではなくて、誰もが優位で完璧でという世界は不可能で、自分がなりたいものを目指してよいし、不完全な自分をそのまま受け入れよう、というメッセージのように受け取れた。

攻撃的ではなく、あくまでユーモラスかつ暗示的に、ジェンダー平等やフェミニズム、多様性の複雑さを描こうとしたように感じました。

一方で、リアルな意味でジェンダー平等に真摯に向き合っている映画かというと、決してそうとはいえないと思います。大衆向けに「売れる」ように、楽しませるようにという前提がありながら、フェミニズムの観点も散りばめる、というやり方をするしか、なかったのではないかな…。そこは、売れる・ウケる映画という点を踏み外さずに作ろうとするとこれくらいが限界なのかも…。

ちなみに、米国だとピンクファッションでキメくる人もいると聞いてたのですが、田舎町の平日の映画館だと、そういう人はいませんでした笑。残念!

あと、映画館は日本みたいに静かに見るというより、ウケるときはそこそこ笑い声上げてケラケラウケてる人が多かった。リスニング能力の限界で私には聞き取れなかった色んなパロディがあるんだろうけど、ライアン・ゴスリングの一挙手一投足は結構大ウケしてました。「ラ・ラ・ランド」のピアニストのイメージしかなかったので、こんな突き抜けたコミカルさができるとは知らんかった!映画館から帰った後も、色んなケン動画を漁ってます笑。

いい笑顔、40代には見えん笑

ライアン・ゴスリングがひたすらケンしてる動画をついでにどうぞ笑!

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