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安倍事件1ヵ月…進む《3つの神格化》

安倍元首相銃撃事件から、今日で1ヵ月。蛮行への憤りは収まらないが、私たちは今、[統一教会・山上容疑者・安倍政治]の《3つの神格化》が静かに同時進行している可能性に敏感でなければならない。

【1】統一教会の神格化


 この1ヵ月の大々的な統一教会報道の中で、先月下旬、私が開講しているメディアリテラシー系の授業の感想欄にある学生がこんな質問を書いてきた。

「陰謀論や宗教などちょっと危ない話について。自分は好奇心から知識として知ってみたいなあと思うが、知り始めたらズルズルと洗脳されそうで怖い。この好奇心は我慢しておくべきだろうか?」 (原文のまま)

 どんなに批判的なトーンの報道であっても、“悪名高き”と“名高き”は紙一重。この1ヵ月で、「統一教会」という初耳の存在への好奇心が芽生えた若者は少なくないだろう。信者を増やしたい彼らにとって、それは「ピンチはチャンス」の状況とも言えるかもしれない。

 言うまでもなく、信仰は自由だ。個々人が心の中で何を信じても、周囲がとやかく言う筋合いはない。だが、その人が良かれと思って他人に重大な迷惑を及ぼし始めたら、話は別。残念ながら統一教会の活動は、その一線を大きく超えている。

ーーー彼らの磨き込まれた《誘導のテクニック》を、甘くみてはならない。今から30年近く前、統一教会関連の報道が盛んだった頃、私は3人の元信者の皆さんに通常の勧誘活動と似た役割分担を組んでいただき、(当時レギュラー出演していた)朝番組『ビッグモーニング』の生放送のスタジオで私を入信させようとしてもらう、という再現実験をやってみた。これは芝居だと完全にわかっているそんな状況でありながら、何分か「これから家族に起こる不幸」等について3つの立場から聞かされているうちに、私は不快感(不安感ではなく)が募って「この不快から解放されるんだったら、この程度の金額の印鑑なら買っちゃおうか」と“入口”に引き込まれる気分になりかけた。

 他の出演者・スタッフ衆人環視の環境下でも心の安定を乱されるのだから、日頃不安などを抱えている人が1人で声をかけられこの完成した仕掛けの中に組み込まれたら本当に危ういな、と身に染みて思い知らされた。「騙される方が馬鹿だ」と言うような生やさしい話では、断じてない。

 だから冒頭のような若者の質問には、とりあえず私はこう答えることにしている。

[1] 自分は絶対にひっかからない、という自信があるなら、逆に危ないからやめておけ。

(…と禁じられればますます見たくなってしまうだろうから)
[2] こわごわ調べてみたいなら、必ず同時に、少なくとも同じ量の批判的情報も読み込んで常にバランスを意識せよ。

[3] あれ、結構いいこと言ってるじゃん…と一瞬でも感じたら、脳内のバランスがぐらついているサインだから、1人で考えるのは直ちに中止して誰か周囲の冷静な大人や警鐘を鳴らしている団体等に1回質問メールして、返事が来るまで待て。

 今、メディアリテラシー教育の世界に身を移した私が当時を振り返ってみると、いわゆるカルト系団体が信者勧誘するときのマニュアルと、現在ネット界でQアノンやらその他“陰謀論”系にハマってしまう人たちのメカニズムは、実に似ている。「大手メディアはこう報じているけど、実はね…」という陰謀論のイントロのささやきと、「今すごく批判的に報道されてる統一教会って、本当はね…」と言う誘い文句は、ウリ二つだ。

◆では、どうすれば良いか。

 カルト増殖の栄養源となる《社会不安》そのものを減らす事は私にはできないけれど、少なくとも《入口で立ち止まる力》を養うメディアリテラシー教育の強化は、今自分がもっともっと力を入れなければいけない最優先課題だと思う。

 同じ問題意識を持つ人たちとの協力を更に強めていきたいし、全社会の教職者や保護者たちに、今すぐ具体的な教育実践者へのコンタクトを始めていただきたい。

【2】山上容疑者の神格化

 
 にっくき統一教会や、それに(自覚的にであれ軽率にであれ)関わる政治家に打撃を与えたかったらしい山上容疑者にとって、この1ヶ月の展開はまさに“大願成就”の道をたどってきた。自分の家庭崩壊の苦悩など、長年ほとんど誰にも聞く耳持ってもらえなかったのに、逮捕後は《供述情報》という形で労せずしてメディアが繰り返し繰り返し日本中に拡散してくれた。

 確かにこれは、山上容疑者の“思うツボ”だ。統一教会問題に限らず、何か社会問題に起因する深い悩みを抱えていながら世間から関心を向けてもらえず孤立感を抱いている人達の中には、この展開を見て「そうか、こうすれば良いのか」と歪んだ突破口を“学習”してしまっている人がいてもおかしくないと、私も思う。だからと言って、「こうした犯罪行為をきっかけとしてこの問題に取り組むのは悪しき前例になるから、もう放っておこう」という話にももちろんできない。

 あの事件の“効果”で統一教会問題追及が進めば進むほど、並行して高まらざるを得ない山上容疑者(の行為)への歪んだ神格化。次なる模倣テロの誘惑は、静かに高まっている。

◆では、せめてどうすれば良いか。

 超シンプルに言って、テロ防止策にはざっくり2つの道がある。警備の厳格化と、原因への手当て。前者が必須なのは言わずもがなだが、それは問題の根っこの解決にはなっていない。では、後者=“原因への手当て”とは何か。

 苦悩を抱えながら社会から相手にされていない人たちの中に1人でも“第2の山上”を目指す者が現れないようにするためには、社会の側が《暴力に訴えなくても聞く耳はありますよ》と、より積極的に示していくしかない。そう、様々な問題で、聞く耳は[無い]のではなくただ[当事者に存在を知られていない]だけだったりするのだから。何らかの深い苦悩の渦中にいる人は、非常にしばしば「こんなに苦しんでいるのは、この世の中で私1人だ」という錯覚にとらわれてしまっているのだから。実際、もし山上容疑者が例えば「全国霊感商法対策弁護士連絡会」などにどこかのタイミングでコンタクトできていれば、今回の事件は思いとどまることができたかも知れないのだから。

 だからまずは、様々な社会問題に悩む[当事者同士の交流の場]や沢山の[小さな支援者窓口]の存在を、全力で知らしめること。こんなにマッチングアプリが流行っている時代に、困窮している当事者と支援者が出会えていないこの現実の“パイプの詰まり”を、まず直すことから始めねばならない。

 私は【1】に全力投球すると決めているからここまでは関われず、無責任に“口で言うだけ”しかできないが、どなたかがここにフォーカスして取り組んでくださることを期待している。

【3】安倍政治の神格化


 これはもう言わずもがなだが、9月27日の国葬の日は、大々的な報道によって《普段政治に無関心な人でも安倍さんの人生の振り返りを目にする日》になる。そして、私たちの社会には節度(美徳といっても良い)があるから、どうしてもこの日の表現は、“政治的に”と言うよりも“自動的に”、称賛のトーンがアンバランスに大きくなる。

 「今日は故人を悼む特別な日だからね」と、その論調を冷静に受け止められる大人ならば良い。心配なのは、政治に普段無知・無関心な若者たち=次世代の担い手たちの受け止めだ。私が接する学生の中からも、事件から6日後の時点で、すでにこんな氷山の一角の声が届いていた。

「私はなぜか安倍さんに良い印象を抱いていなかったです。しかし今回の事件で安倍さんについての多くの事がニュースなどで取り上げられているのを見て、とても良い人なのではないかと少し印象が変わりました。」
                          (原文のまま)

こうした政治的無関心層が、この日だけ国葬の大報道(彼らはテレビや新聞は全く見ないけれど、結局それを出所とするネットを見ている)に接して、客観的とは言えない特殊な日の安倍政治評価に染まってしまう事は、今後の世論に何らかの[歪み]を与えはしないだろうか。

◆では、せめてどうすれば良いか。

 まず各メディアにお願いしたいのは、当日の報道(実況描写でも事前に作る企画モノでも) に用いる言葉遣いを今のうちに精査しておくこと。例えば「改憲の半ば」の“夢”には元々ポジティブなニュアンス(「改憲=果たすべき正しい目標」と言う無意識の価値付け)があるから、より中立的な「思い半ば」に置き換える、といった極めて具体的なチェックだ。(もちろん、「たくらみ半ば」もNG。否定的でも肯定的でもなく、あくまで中立的に。)

 当日や直前の作業ではどうしてもその場の空気に飲まれてしまうから、ここは事前に周到に準備されたい。こうした些細な言葉一つ一つの選び方だけでも、故人への礼節を損なわない範囲での中立化努力はできる。

 それでもなお残るアンバランスには、9月27日の直前直後の日の報道ラインナップでバランスの回復を図ることを、意識してほしい。

これは、決して《反安倍報道の勧め》ではない。
私は「情報は偏りなく受発信しよう」ということを日頃教えているメディアリテラシー教育者だから、そんな1サイドからのアピールは断じてしない。
これは、《反安倍報道の勧め》ではなく《偏りなき報道の勧め》だ。

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