見出し画像

がんの緩和ケアとは? 京都で写真展を観て友人たちに会い、OTODAMA初日に行った日記

2022年4月26日

ホルモン治療の副作用か、相変わらず熟睡できない日々が続いている。

寝付くのは問題ないが、2時や3時、下手したら1時過ぎくらいに目が覚めて、そこからなかなか寝られない毎日。漢方薬でなんとか乗り切ろうとしているけれど、睡眠不足の日が何日も続くとさすがにしんどいので、いったん目が覚めたあと睡眠導入剤を飲んでいる。

しかし前回(3月)の診察では、睡眠導入剤を10日分(10錠)しかもらえず、残り少なくなったので、がん支援相談センターへ電話をする。

そう、前の日記で、がん支援相談センターに予約を取ったところまで書いて、そこからばたばたしていてアップデートできていなかったけれど

(翻訳ミステリー読者賞のYouTubeイベントなどがあってばたばたしていたので……アーカイヴはこちらで見ることができます。
私が紹介した『ヒロシマ・ボーイ』をはじめ、読書会世話人がこれぞ!というイチ押し作品を紹介しています)

あれからがん支援相談センターに行って、副作用はなんとかならないのか? 今後の検査はエコーと年1のマンモグラフィーで大丈夫なの??
と、うだうだ相談したところ、緩和ケア外来を勧められた。

緩和ケアというとホスピス、もう手の打ちようがなくなって運びこまれるところ、つまりは終の棲家とイメージしている人が多いかもしれないが、現在は、がんと診断されたときから緩和ケアを受診することが推奨されている。

このがん情報サービスのページに詳しい説明が書かれている。

また、こちらの勝俣先生の動画もわかりやすくてオススメ。

で、緩和ケア外来に行ってみようかなと、がん支援相談センターへ電話をしたのだけれど、いまの薬が切れたのならまずはいつもの乳腺外来に行くように言われ、定期診察より早く予約を入れる。

乳腺外来はいつも混んでいるので、薬だけもらいに行くのもなんだか悪い気がする一方、がん治療において、副作用対策がどうしてこんなに手薄なのか? 厚生労働省などのがんについての公式なページには、患者のQOLが大事だとか、治療と仕事の両立の重要さとかが嫌というほど書かれているのに……と、どうしても思ってしまう。

以前に紹介した『一流患者と三流患者 医者から最高の医療を引き出す心得』の作者である、MDアンダーソンがんセンターの上野先生がリツイートしていたように、医師は患者より副作用を軽くみるので、しっかり伝えないといけないのだろう。

2022年5月1日

京都へ行く。かなり人が多い。
まず京都駅の美術館「えき」で、平間至写真展を見る。90年代、ロッキンオンジャパンなどの雑誌のグラビアを席巻した写真の数々を鑑賞する。

学生でも景気が悪くなりつつあるのを感じてはいたけれど、それでも未来は明るいように思えた時代。ライブハウスやクラブで刺激的な音楽を聴き、ミニシアターでわかるようなわからんような映画を観て、悦に入っていた時代。あの時代の空気が蘇るような心地になる。と同時に、近年の写真館としての活動――家族写真や遺影など――も強く印象に残る。

それから烏丸御池に行き、高校時代の友人たちにひさびさに会う。疾病退散を祈願して、発酵食品メインのアフタヌーンティーを食べる。ちょうどさっきの平間至写真展の時代をともに過ごした友人たち。

平間さんの写真や被写体のミュージシャンたちが更新し続けているように、私たちも20年以上いろいろあったけど歩き続けてきたな……と感慨にふけりそうになるが、よく考えたら、自分はなんにも変わっていない。

本を読んだり音楽を聴いたり、ときにはライブに行ったりと、高校生や大学生のころと何ひとつ変わらない生活を送っていることに驚く。
ただひとつ、変わったのは病気になったこと。
このさき20年、30年、いや40年も、こうやって集まれますようにと願う。

店の近くの京都文化博物館では「鈴木敏夫とジブリ展」が開催されていて、“鈴木敏夫”がジブリより前に来るのか……と友人たちと語り合った。

2022年5月5日

清水音泉主催のフェス、いまや関西名物となったOTODAMAの初日。
大阪北東部に住んでいる私にとっては、めったに乗らない南海電車に乗って、大阪南部の泉大津に行くだけでちょっとした小旅行になる。感覚としては、神戸や京都に行く方がまだ近い。

泉大津からさらにシャトルバスに乗って海沿いの会場へたどり着くと、アドバルーンがあがっているのが目に入り、ついにこの日が……と感慨深くなる。コロナのため、三年ぶりにようやく開催できたのだ。

Grapevineを聞きながら長蛇の列に並び、旧ヤム邸のカレーで腹ごしらえをして、くるり、The Birthdayのステージを見る。学生のころから聞いていたミュージシャンが(もちろんThe Birthdayではなく、当時はミッシェルですが)いまも第一線で活動していることに、あらためて胸が熱くなる。

ハナレグミのステージでは、夕暮れの空に永積くんの声が溶けていき、桃源郷のような心持ちになった。そのあとのナンバーガールは、再結成後のライブを観るのははじめてだったけれど、昔のライブで聴いていたナンバーガールの音が響いていて、バンドというものの不思議さについて考えさせられた。

OTODAMAはフジロックなどとちがってステージも2つしかなく、しかもかなり隣接しているのだけど、それでも往復しているとそれなりの運動量になり、帰ってから歩数を調べると18000歩を超えていた。
毎日フェスがあれば、確実に健康になれるにちがいない。
この日は5時過ぎまで目が覚めることなく眠れた。

(この日、1曲目の上海蟹のあとがこの曲で、テンション上がりました)


↓↓↓サポートしていただけたら、治療費にあてたいと思います。(もちろん強制ではありません!)