叶わない〈想い〉が連鎖する物語――『シブヤで目覚めて』
(note企画 #読書の秋2021 課題図書『シブヤで目覚めて』読書感想文)
想いが高じたすえに、魂が肉体から脱け出し、もうひとりの自分が遠く離れた場所にあらわれる――
〈分身〉というモティーフは、『源氏物語』の六条の御息所の逸話でも知られているように、日本でも昔から多くの物語に取り入れられてきた。
チェコ出身の作家アンナ・ツィマによる『シブヤで目覚めて』では、〈分身〉が国境すらも越えてしまう。〈分身〉がプラハと東京の架け橋となり、21世紀と大正時代を結びつける。
プラハに住むヤナは、まわりのクラスメートと話が合わず、親友のクリスティーナ以外に心を許せる友人のいない学生生活を送っていた。
そんなある日、村上春樹の『アフターダーク』に出会い、すっかり日本に魅了されてしまった。財布には崇拝する三船敏郎の写真を入れ、黒澤明の『酔いどれ天使』を何度も観るようになった。
それから3年後、17歳になったヤナは念願の日本旅行をはたす。まだいくつかの単語しかわからない日本語を耳にしながら、渋谷で行き交う日本人を観察する。
すると、どこをどう歩いても、かならずハチ公前に戻ってしまうことに気づく。肉体から分裂したヤナの〈想い〉は、渋谷から出られなくなってしまったのだ。助けを求めようとしても、誰にも声が届かない。ただひたすら渋谷を彷徨う。ハチ公のように永遠に家に戻れないのだろうか?
一方、肉体を備えたもうひとりのヤナはプラハに戻り、日本学の修士課程に進学する。ふとしたきっかけで、川下清丸という大正時代の作家を発見し、1920年代に川下が発表した「分裂」という短編に強く惹きつけられる。
ヤナは川下の半自伝的な小説「恋人」の翻訳を試みるが、言葉遣いや語彙の古さに苦戦する。そこで、変人と評判の博士課程の院生クリーマにアドバイスを求め、ふたりは協力して翻訳を進めるようになる。
日本に残ったヤナの分身は、毎日毎日渋谷で時を過ごしていた。日本語もかなり覚えた。ある日、ギターを抱えた若い男にふと目を留める。三船の次に好きな仲代達矢に似ていたのだ。
しかし、もちろん仲代はヤナの存在に気づくことはなく、女の子のグルーピーとともに道玄坂のけばけばしいラブホテルへ入っていく……
この物語は、〈想い〉が原動力となっている。〈想い〉がさまざまな形に変化して、連なって絡みあい、登場人物を突き動かしていく。
川下の小説「恋人」は、主人公の少年が謎めいた女、清子に恋心を抱く物語である。その川下の〈想い〉が発端となり、ヤナも〈想い〉を抱くようになる。ヤナの〈想い〉に突き動かされたクリーマが、もうひとりのヤナの〈想い〉を見つけ、もうひとりのヤナの〈想い〉によって生き長らえた仲代と結びつく。
そうして最後は、ある人物の〈想い〉を突き動かすことによって、川下が遺した〈想い〉を手に入れる流れは、まるでピンボールマシーンの球がいくつものフリッパーを経て目的地へたどり着くように――ヤナが好きな村上にもピンボールを題材にした小説があるが――見事に構成されている。
『シブヤで目覚めて』を読んで、私が思い浮かべたのは、川下と同じ1920年頃に活動をはじめた作家、尾崎翠だ。
ふたつの名前を使って執筆活動を行ったウィリアム・シャープに魅了された尾崎翠は、〈分心〉という言葉をあてて〈分身〉をくりかえし描いている。
君が片身。
君が分心(ドッペルゲンゲル)。
おお、
君は、
なんといふ分裂詩人。(「神々に捧ぐる詩」より)
尾崎翠の代表作「第七官界彷徨」もまた、〈想い〉と分身が中心となった小説である。
主人公小野町子の兄たちは報われない〈想い〉に悩み、町子もまた従兄の佐五郎に〈想い〉を抱く。けれども、佐五郎の〈想い〉は町子の分身のような隣の家の少女へ向けられる。ほんの束の間、町子は「分裂病院」に勤務する柳浩六に〈想い〉を抱くが、柳浩六は町子を自分の好きな詩人の分身とみなす。
なにより、『シブヤで目覚めて』と「第七官界彷徨」に共通する大きな特徴は、〈想い〉や分身を描きながらも、けっして〈情念〉のように重苦しくなることなく、どこまでも軽やかな筆致を貫いているところだ。切なさを俯瞰で見るユーモアと独特の浮遊感によって、心地よく物語に没頭できる。
最後に、翻訳についても触れておきたい。
翻訳は原著者の〈想い〉を汲みとる作業である。この物語の中でも、ヤナとクリーマが力を合わせて川下の小説を翻訳することで、川下の遺した〈想い〉に近づいていく。
そしてこの『シブヤで目覚めて』本編も、ふたりの訳者が協力して、プラハにいるヤナの〈想い〉と、日本にいるもうひとりのヤナの〈想い〉を汲みとっている。
さらに、ヤナとクリーマがチェコ語に翻訳した川下の小説(小説内小説)を、大正時代の純文学の文体で日本語に翻訳するという困難な作業を見事にやってのけている。これはひとえに、この小説への訳者の〈想い〉ゆえではないかとつくづく感じた。
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