キャンサーロストよりももっと大事なものは? ~乳がん術後一年を迎えて~
気がついたら、今日、2022年6月14日で手術からちょうど一年経ったことになる。
前回の更新のあと、読書会やトークイベントの準備※、勉強会の課題、そして一応やむなく会社にも行っているので、あれこれ忙しくしているうちに5月が過ぎて6月になり、気がついたらこの日を迎えていた。
(※翻訳ミステリー読書会主催で、レイモンド・チャンドラー『長い別れ』新訳出版を記念してYouTubeでイベントを行いました。こちらからアーカイブを視聴できます)
やりたいこと、やらなければいけないこと、そんなあれこれに追われながら、ふとした瞬間に、去年のいまごろはさまざまな検査を受けながら仕事の引継ぎをしていたことや、入院の準備に追われていたこと、手術前日に父ヒロシに迎えに来てもらい、キャリーケースを抱えて病院に入ったことを思い出すと、遠い昔のように感じられたり、でもついこないだのように気持ちが蘇ったりと、なんだか不思議な気持ちになる。
去年のいまごろは、一年後、こんなふうに慌ただしく過ごしてしているなんて想像もしていなかった。
病気のことも忘れそうになるほど(「そうになるほど」というのがポイントで、ほんとうに忘れることはできないが)、やることがあるのは有難い。
さて、先日TwitterでCancerWithのアカウントを見たら、「キャンサーロスト」についての記事が紹介されていた。
「キャンサーロスト」とは喪失体験という意味で、がんによって奪われたもの、もしくは諦めたものを指すらしい。
回答を見ると、がん患者の約8割の人が「キャンサーロストあり」と答えている。
具体的に何を喪失したのかというと、1位は仕事(失職・退職)、2位は出産の機会、妊孕性、3位は趣味の機会(旅行、運動、おしゃれなど)がランキングされている。
さらに下位の方を見ると、仕事関係、人間関係、夢や目標、生きがい、お金、はては心の平安や自身の存在価値といったありとあらゆるものが、がんによって奪われてしまった(と感じている)のがわかる。
自分自身を振り返って考えてみても、たしかに「当たり前だった日常生活」が奪われたのはまちがいない。
「体力」や「業務遂行能力」がどれだけ奪われたのかははっきりわからないが、奪われたのではないかと不安になるのは事実だ。
「転職の機会」というのも納得できる。新しい職場で病気や通院について説明しないといけないことを考えると、いまの職場にできるだけしがみつかねばと涙ながらに(?)思ったりもする。
けれども、病気になる前の自分には戻れなくても、
健康だけは自信があると思っていた毎日が奪われても、
心の平穏はもう返ってくることがないとしても、
それでも、なにより、生きててよかったな~~~~という思いが
くり返しくり返し胸に押し寄せてくる。
当たり前だけど、生きていなければ、こうやって本を読んだり、音楽を聴いたり、ライブに行ったりできないもんな……と、ベッドに寝転びながら考えていると、傍らにこの子が寄りそってくる。
そう、このつやつやの毛を撫でていると、
たとえどれだけ奪われても、もう何も残っていなくても、
この子さえいてくれたら生きのびる価値がある……!
と、心の底から思う術後一年の今日なのでした。
ちなみに、父ヒロシに「去年の今日手術したの覚えてる?」と聞いてみたところ、一応覚えているようでした。
(すべてを捨てても生きていかないと……)
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