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コインランドリーが娯楽になった日


最近追加された新しい習慣を思うと、やっぱり習慣とは「無理なく」「どっちかというと楽しい」そんなことのほうが続くんだなあと、感じます。

その新しい習慣とは、

「週末はコインランドリーに行く」

です。



私はコインランドリーについて、

・独身者が週末分ため込んだ洗濯物を洗うために利用するもの

あるいは

・7人家族とかですごく洗濯物が多くてどうしようもなくて手が回らない世帯が致し方なく使うもの


と長年強く思っておりました。

なので、4人家族分を毎日洗濯する人間にとってそれを利用する機会は「まずない」もので、仮に利用するならものすごい非常時に限られる。(洗濯機が壊れるとか)

と決めこんでいました。


何たってコインランドリーはお金がかかる。
ムダ使い!!


とにかく何となく、ずっとそう思っていました。


その思いこみが崩壊し始めたのは、1年前くらいにテレビで「WASHHOUSE」を取り上げた番組(がっちりマンデー)を観て、「日本ではいまコインランドリー需要が高まっている」という事実を知ったことから(おそらく)始まり、

半年前に「羽毛布団をコインランドリーで洗濯してみたら感動した」という出来事(これについてはいずれ別記事にて)、

さらにここしばらくでの「自宅の洗濯機の乾燥機能がうまく使えねえことの確信」(これもいずれ別記事で)に至るのですが、


たぶん一番大きかったのは、「精神的ストレスからの解放」かもしれない。


とくに週末の、4人分山盛りの洗濯物…

冬場は除湿機かけて乾燥させるので、脱衣場につねに洗濯物がビッシリ吊られている…

匂いも思ったほど、いや全然、さわやかでない…

……

こっちはちゃんとやることやってるのに、結果になんかモヤモヤモヤ……!

でした。



それが、
1ヶ月くらい前の土曜日に、ふと行ってみたんですね、コインランドリー。


いや、正しくはきっかけがあった。
ふと行くことになった「条件」が揃ったのだった。

①そのコインランドリーの近くにドラッグストアが新しく出来た。

通勤範囲にあるのと同じ、我が家行きつけのチェーン店。

それでたぶん、無意識に考えてたと思う。

コインランドリー
→その間ドラッグストアで買い物
→洗濯物回収
→帰宅

なんかこれ、スムーズな家事動線ぽくない?
(しかも短時間で、2つの家事コンプリートする)


そして
②その土曜日は雨にもかかわらず、シーツを洗濯してしまった(勢いで)。


シーツを干す室内スペースはない。
また洗濯機の乾燥機能は変な匂いがするので(いずれ別記事にて検証したい)使いたくない。


それは、非常時でもなく、7人家族でもない我が家に、
「コインランドリーを利用しなければならない完璧な、あるいは仕方ない理由」が揃った瞬間でした。



で、土曜日の午後、極めて自然に、コインランドリーへ。
(そしてコインランドリーはWASHHOUSEです。てことは伏線はすでに1年前に張られていたのだ)


シーツ3枚入れて、20分間(200円)回しました。

そしてドラッグストアで買い物をすませて再び回収に行くと、


そこにはホワホワの状態で完全に乾いたシーツが、乾燥機の中でふんわりと鎮座していました。



私の脳に強烈な「快感」が植え付けられるのに、それは十分な結果でした。



次の週も、今度はモリモリに洗った洗濯物を持ってコインランドリーへ。
再び20分(200円)回しました。
子供の制服シャツの襟首が若干生乾き以外は、どれも十分に乾いていました。


もうこれで、完璧に私の思いこみが書き換えられました。


「コインランドリーは4人家族の週末の必需品である。」


いやはやこんなに簡単にひっくり返るとは。


驚き、いやレボリューション(革命)に近いかもしれません。
それくらい地味に衝撃的な出来事でした。


この定義に書き換えられるにあたり、「ムダ使い」「高くつく」という気持ちは、不思議なくらいどうでもいい理由に成り下がっていました。

よくよく考えて、毎週200円として、1ヶ月1000円未満。年間で1万2000円。

しかしこれは果たして高いのか?


確かに節約の観点からすれば、年間1万2000円のコストはカットしてしかるべき対象なのだと思います。

だから世のフィナンシャルプランナー達は、エアコン代も、スマホ代も、コンビニのコーヒー代も保険代もリボ払いも、カットカットカーーット!

を口酸っぱく訴えてきたのだ。


しかし、
その年間1万2000円の節約のために、「洗濯に追われ、洗濯物に埋もれ、乾き具合を無意識にチェックしながら週末を過ごすという選択肢」は、私にはもはや存在しなくなった。


それはただの「不快な習慣」でしかなくなったのだ。


もう戻れない。
それは自家製食パンの美味しさを知ってしまってからは市販のパンが買えなくなったかのように。
(焼いてないけども)



新しく加わった習慣によって、私はいそいそと濡れた洗濯物を抱えてコインランドリーへ向かう。

もしかするとそれは、ちょっとした「娯楽」も含んでいるのかもしれない。

コインランドリーを楽しんでいる自分。

…家事にそんな「ほくそ笑む感情」をもつことはめったになく、「それってあり」なのか、よくわからない…


と自戒する気持ちが(今は)あるので、今日なんかは、昼過ぎまで外に干してみて、半乾きだったところをコインランドリーに持って行き、10分間(100円)回してドラッグストアに行ったら、ちゃんと乾いていました。100円、浮いた!なんか節約主婦(主夫)っぽい!


いや、勝間和代氏なら、「干した分の労働のほうがムダ、最初から200円払って時間を確保せよ」と見なすだろうか。

そうなると、もはや何がムダなのか…労働賃なのかコインランドリーまでのガソリン代なのかコインランドリー代なのか…わからないが、


とにかく習慣とは、快適で、無理なく、楽しく続けられるものである。


さらに実体験してみて、
無意識な働き(しかも不可抗力が加わった)が大きいほど、
定着力も高いのではないかなー
とも思うのでした。

※例えば他にも、子どもがテレビ(朝から私の気持ちをかき乱すようなYouTube)をつけている時は、必ず筋トレや踏み台昇降を10分間やるとか。これもその効果が面倒くさい気持ちやイライラする気持ちを上回り、しかも体力もつくので、快適に続けられます。


ちなみにコインランドリー習慣については、これからも晴れた日は優先して自宅屋外に干しますが、特にカラリとは乾きにくい冬場は、コインランドリーを利用すると思われます。