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【牧師、閉鎖病棟に入る。】「男の人も、大変なんだな」と感じていた。その理由が少し見えてきた


「牧師、閉鎖病棟に入る。」(沼田和也・著、実業之日本社)を読んでいて、コーチングをしている時によく感じていたことを思い出した。

それは、「男の人も、大変なんだなぁ」ということだ。

男女の性別で分けて物事を考えるのは偏見になるかもしれないのだが、
私が「大変なんだなぁ」と思ったのは、「自分のことを誰かに話す機会が少ないのかもしれない」「話せる相手がいないのかもしれない」と感じたことだ。

私がコーチングを提供したクライアントさんの中で、そう感じたのは女性より、男性のクライアントさんの場合が圧倒的に多かった。

なぜ、そうなのか?本書を読んでいて、理由が少し見えてきた。

著者は、キリスト教の牧師であり、幼稚園の理事長を務めていた。しかし、ある時、同僚にキレてしまう。妻の言葉もあり、精神科の閉鎖病棟に入ることにした。主治医とのやりとりや、閉鎖病棟で出会った人、観たこと、感じたことを綴っている。
精神的に追い詰められてしまった自分を振り返り、なぜ、そうなってしまったのかを考えている

わたしを含めた男性の多くは、自分の弱さを自覚することや、助けを必要とするほど追い詰められていると認めることが、非常に難しい。男らしさとか、男が泣くものではないとか。世代によっては「女々しい」という言葉と共に、泣き言を言うことを恥として叩きこまれてきた。だから自分の弱さを隠す鎧として、学歴や仕事など、積み重ねてきたものへの自負を強調しなくてはならない。
「先生」と呼ばれている者は、その呼び名から降りることはときに恐怖でさえある。男らしさを内面化してしまった男性は―わたしもそうであったが、―そもそも自分が死にたい、ああ死ぬなと思うほどに追い詰められるまで、自分が苦しいということすら自覚できない。歯を食いしばって耐えてしまうのである。
涙を流せばすっきりするのだが、そもそも泣き方が分からない。泣かないのではなく、泣けないのである。

(本書・終章:こだわるのでもなく、卑下するのでもなく より)

自分が抱えているものについて誰かと話をする中で、自分の考えや思いに気が付くことがある。誰かに話を聞いてもらうだけで、気持ちが楽になることがある。
そういう機会が少なかったり、ほとんど持てない場合には、頭も心もいっぱいいっぱいになってしまうのではないか。それはとても苦しく、大変な状態に違いない。

コーチングは、カウンセリングとは異なるので、心の病には対応できない。しかし、コーチである私と「対話」することが、自分のことを話す、聞いてもらう経験になっているとしたら、それはそれで価値を提供できているかもしれない。

そうだったらいいな、と思っている。


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