見出し画像

墓標

血肉の通った文章を書くというのもなかなか大変なことなのだなと実感し始めたのはお恥ずかしながらつい最近。恐ろしい事だが、これだけAIの精度が上がった世の中では実体験が伴わない机上の空論は価値の無いものとして弾かれる。借り物ではない生の書き手が浮かび上がる記事に自然と行き着くし自分の記事もそういうものにイイねが集まる。

丁寧に生きなければなぁ、とnoteを開く度に思う。

とは言え、社会と関わっていたら筋が通らない雲行きが怪しい事象に幾度となく出会う。滅多に腹を立てることは無い性格ではあるがたまにどう考えてもこれはおかしいぞと憤慨してしまう出来事が起こる。

そんな時にはまだまだ血気盛んだなと失笑しながら先ずは自分の苛立ちに任せて頭の中で罵り言葉を発してみる。言いたい事を言い尽くしてスッキリしたら今度はその憤慨の理由が自分の保身故では無いか検証してみる。自分だけに矛先が向いているなら納得できない相手とは喧嘩別れしてしまえば良いが、他の人を巻き込む可能性が大きければ大きいほど慌てて冷却ファンを回し怒りの言葉を穏やかな言葉へと変換する。

これが本当に難しい。

穏やかとは言えど芯の抜けたただ甘いだけの言葉では相手をのさばらせるだけなのでしっかり噛み締めると激辛のスパイスをほんの少し練り込む。毒も愛情なのだ、と理解して貰えるように。

こんな風に地獄の釜と永久凍土の間を行ったり来たりして産まれた言葉は流麗な文体を纏ったとしても割と生々しい。これでもう真意が伝わらないのならその人との関係はお終い、と自分の中で予め墓標を立てておく。

あーあー、このnoteは軽妙洒脱をモットーにしていたのに少々毒が溜まるとこういうことになってしまう。適度に発散する術をそろそろ会得したいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?