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嵐の下、青空を目指す



 そのとき、空はどんよりとした黒い雲に覆われていた。雨が地面を刺すように降っていて、僕は窓からその光景を眺めていた。

 真昼間なのに外は薄暗くて、気分が上がらなかった。もうすぐ、飛行機が飛び立つ。福岡空港から目的地である仙台空港へ向けた、小さな飛行機に、僕は乗り込んでいた。

 先日買った本でも読もうかとカバンからハードカバーの本を取り出してみたけれど、どうにも本を読む気分にはなれなかった。

 それは、自身の夢を叶えるために、「俺の聖書」の制作に奔走し始めて、少し経った頃のことだった。

 本を書き始めるとともに、猛スピードで膨大な文章を書き、ひと段落して少し立ち止まっていた時期だった。僕は大学の部活の試合で、宮城県仙台市に向かっていた。

 飛行機が飛び立つ時間になった。飛行機がゆっくりと滑走路へと入っていき、飛び立つための直線ルートに入った。

 しばらくして、機体は急加速し、背中がシートに一気に押さえつけられ、独特の一瞬の恐怖を感じさせた。そして数十秒超高速で滑走路を駆けた後、ゆっくりと機体は空へと飛び立った。

 窓から景色を見ていると、町中どこもかしこも、空を覆っている暗い雲のせいでどこかどんよりして見えた。思わずため息が出るほどに。

 飛行機はそのまま上昇を続け、雲へとゆっくり近づいていく。やがて、窓の外は雲に覆われ何も見えなくなってしまった。

 目的地までは数時間かかるし、やっぱり本でも読もうかと思って仕方なく、重たいハードカバーの本をもう一度カバンから取り出した。

 そして、新品の本の一行目を読み始めてしばらくすると、眩しい光が目を差し、僕は思わず窓の外に目をやった。そこには息をのむような綺麗な青空が広がっていた。

 先程の空を覆っていた不穏な雲は眼下へと移り、さっきまで影も形もなかった太陽が眩しく輝いていて、雲も綺麗な色をしている。あまりの景色の変化に驚いていると、「あ、これだ」と思った。

 僕が目指しているのは、この光景なのだと確信した。僕は今、空へ飛び立つために、滑走路を高速で走っている最中なのだと、そう思った。



『Silver lining』(シルバーライニング)という言葉を知っているだろうか。

 これは英語圏のことわざで、日本語にすると、「銀の裏地」という言葉になる。ぱっと聞いただけでは何を意味した言葉なのか分からないけれど、希望についての言葉だ。

 銀の裏地の銀とは、空を覆いつくすどす黒い雲のことを表している。

 つまり銀の裏地は、どす黒い雲の裏側のことを指している。空を覆うどす黒い雲の奥の方に隠れている、眩しい太陽の光のことを意味している言葉なのだ。

 要するに、辛い思いをしたり、きつい状況に立たされたりしてお先真っ暗になっている状況でも、見えていないだけでその先には希望の光が輝いているという意味なのだ。

 目の前に広がる綺麗な青空を見ながら、この言葉をはっと思い出した。

 まさに今、僕は銀の裏地を見ている。ただ単に飛行機に乗って雲の上に行き、太陽を見ただけではなかった。


 僕はその当時、本気で本制作に取り組んでみようと決めて動き出して直ぐの頃だったので、いろいろと不安を抱えていた。自分なりに納得して、本気でやってみようと思って走り始めたものの、これを突き詰めた先にどんな未来が待っているのか分からず、少し心細くなっている時期だった。

 だから、この太陽の光と綺麗な青空は心に響くものがあったのだ。

 僕はずっと、自分が今いる環境に満足していなかった。自分が持っている限界みたいなものが、憎くて仕方がなかったのだ。

 自分が持っている夢と自身の実力の間には大きな乖離があって、今いる環境でのほほんと暮らしていても未来永劫この状況は変化することはないように思えた。

 それでも、時間は過ぎていく。やらなければならないことは増えていく。

 そして、ただいたずらに時間を潰していけば、背負うべきものもどんどん増えていくし、年を重ねるごとに自由が利かなくなっていくことは目に見えていた。このまま周りの大きな流れに身を任せていれば、一生自分の夢は叶わないと思った。そういう恐怖感もあった。

 もし叶ったとしても、このまま何もしなければ夢が叶うのは数十年後の話だろうと思った。もたもたしていると直ぐに寿命が来る、そういう恐怖感もあった。

 でも、周りの環境に文句を言っていても仕方がない。変えられるのは自分自身だけだ。そう思って悩み続け、最終的に今できるベストの選択をとって行動し始めたものの、やっぱり不安というものはどうしても付きまとう。

 学問の道、就職の道、職人の道、芸術の道、スポーツの道、芸能の道、その他、自分が決めた道など、いろいろな進むことができる道があって、その中からどれを選ぶかどうかは個人の自由だけれど、その選んだ道を滑走路として、飛び立つには相当な量の努力をしなくてはならない。

 空へ飛び立って、自分の未来を覆っているどす黒い雲を突き抜けていくことは、そんなに簡単なことではない。ただ、つらくきつい選択かもしれないけれど、雲の上まで行った人間にしか見えない景色があるはずだ。

 これは、銀の裏地を見ようとした人間にしか見えない景色だと思う。

 雲の上まで行ってみないことには、事が前に進まない。僕も一回「本を書く」ということを本気でやろうと思って、それだけに全てを捧げる生活を始めるとき、急にとてつもない恐怖感に襲われた。

 それは恐らく、飛行機が飛び立つための滑走路のスタートラインに立って、急発進をしたときに感じる恐怖感のようなものだったと思う。

 そして、高速でその道を進み続け、減速しそうになっていた時期に、こうして僕は飛行機に乗って綺麗な青空の景色を見ることができた。

 きっと、このまま進み続けていけば、この景色が待っているはず、と自分の明るい未来を疑似体験することができたのだ。



 飛行機が滑走路を走りだして空へ飛び立つには、高速で走り出してから一定時間走り続けなければ空へ機体が飛び立つことはない。

 つまり、高速で走り出して、シートへ体が反動で打ち付けられる恐怖感を味わった後、報われなくて苦しくても減速することなく走り続ける努力をする時期が雲の上に行くには必要だということだ。

 雲の上に行くこと、社会の流れや周りの環境に左右されない自分なりの幸せな毎日を作っていくことは、そう簡単なことではないと思うのだ。

 雲の下にいたのでは、雨なのか嵐なのか晴れなのか雪なのか曇りなのか、全てその日の運によって決まる。普通に生きていれば地上の天気のように、自分の人生の良い波も悪い波も全てが運任せになってしまう。

 そして、圧倒的大多数は雲の下で生活している。要するに、自分が置かれる状況をコントロールすることはできないということだ。

 自分の身の回りで起こる全ての事象をコントロールすることはできないと分かってはいるけれど、ただぼーっと身を任せてのほほんと生きていくには二十歳前の僕にとって残された時間はあまりにも長い。

 だから、僕はどうしても雲の上に行きたかった。

 しかし、雲の上まで行こうと思ったら、そのどす黒い雲を通り抜けなければならない。それに、雲の上まで行くことはそう簡単なことではない。

 途中で自分が目指しているものに対して全然力が足りない中途半端な自分に嫌気がさしてくることもあるけれど、簡単なことじゃないからこそやる価値がある。

 底なし沼にでも沈んでいく感覚がするし、すごく怖いけれども、雲の上に到達した瞬間に、もう自分を覆っている不穏な雲は無くなって、「頑張って良かった」と思える日が来るはずだ。


 斬新なものを生み出すときには、不快感が伴う。

 何か新しいことを始めたり、これまでに無かったようなものを作り出すときには、独特の恐怖感や不快感が伴う。

 これは、つわりのようなものだと思う。それほど、無の状態から何か新しいものを生み出すというのは大きな試練なのだ。

 何もなかったところから赤子が生まれてくるような奇跡が起こるときは、何かしらの試練があるものだ。何の障害も感じないのであれば、それは既存の物事の真似事に過ぎないか、自分を雲の上へと連れていってくれるような挑戦ではない。

 自分がやろうとしていることが独創的であればあるほど、斬新であればあるほど、感じる恐怖感は大きくなるものだ。

 新しい挑戦を始めたとき、もしくは絶望を味わったとき、自分の前に広がっているのはどす黒い真っ暗闇で、何もかもを飲み込んでしまいそうな不穏なオーラをまとっている。

 でも、そのまま自分が決めた道を突き進んでいけば、いつかはそのどす黒い闇やら雲を潜り抜け、銀の裏地が自分を待ってくれていると思う。

 そう思いながら、僕は今も滑走路を全力疾走している。






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