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世界がいつもより穏やかに見える日は
自分の心模様を見ているのだろう

King Gnu - "The hole"


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物書きを始めて2年が経った

かつて感じていた絶望や不安は消えて
少しずつ穏やかな日常を送れるようになってきた

作品数も増え、素敵な友達に囲まれ、
とても幸せな日々を送っている

かつてあっただろうか

今ほど自分の行動を自分で選択できて
やりたいことをやれて
未来に希望を抱けていたときが

こんな温かい夜に
僕はこうして
この文章を書くことができている

これからきっと
長い道のりを歩いていくことになるだろう

進むべき道を見つけたんだ

それまでには沢山の涙が伴った

それでも、僕は今、
進むべき道を一歩ずつ歩んでいる

今は毎日が愛おしい

世界がいつもより穏やかに見える日は
自分の心模様を見ているのだろう

本当に、豊かになった
そう思えて、温かな気持ちになってくる





たくさんの人に支えられて
私はこうして、ここまで歩んできた

空手に出会って
尊敬する先生たちのもとで
一生懸命に何かに打ち込む機会があって

学校に行けば好きな女の子がいて
面白い友達と、毎日のように、
お腹が痛くなるまで笑い合うことが出来る

そういう生活を送ってきた

嫌なことも勿論あったけれど
良いこともたくさんあった
それが嘘偽りのない事実だ

本気で目指したいと思うものができたとき
いいね、やりなよって
そう言ってくれる家族や友達がいて

自分を成長させてくれた人達が、
先生たちが、沢山いる

辛いこともあったけど
大事なものが全て崩れ去ったように見えた日もあったけれど
僕が腐らずここまでやってこれたのは

いつだって、
近くで温かな言葉をかけてくれたり
時に厳しくても、愛のある言葉を
僕にぶつけてくれる人がたくさんいたからだ

挫折はあったけれど
僕は孤独ではなかった

寂しいって思っていたけれど
それは幸せの残り香だったんだ

忘れちゃいけない
どんなときも

君はたくさんの人に愛されてきた

次は、君が人を愛す番だ
それが、君が目指していたものだから

強くて、時に厳しくても
本物の愛をくれる人

誰か一人何てけちくさいこと言ってないで
周りにいる人全員助けてあげられる強い男

そういう人に、ずっと憧れてきた
それが、僕がずっと求めていたものだから

いつしかの涙も
人を癒す温かな慈しみの雨となるだろう

全てを溶かし
包み込んでゆく

自分の弱さを認めることによって
君は誰よりも強くなれる

君は進むべき道を見つけた

作家として、これからたくさんのことを成し遂げていかなければならない

最期に何を書きたいのか
自身の絶筆に当たる作品を君は仕込み始めた

世界史に刻み込まれるような作品を
作ってやろうじゃないか

どうせやるなら、
勝つまでやる

それが才能のない凡人が勝つための唯一の方法だ
君は、長く進んでいかなければならない



最初は、何もかもが自分のためだった。

ペンを取ったのも、自身の中にあった葛藤や絶望を言葉にすることによって、内側に巣食っている黒いものを外に追い出そうとしていたからだ。

破壊の衝動は創造的でもある。
いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。

パブロ・ピカソ


まさしくその通りだ。最初に書いた『道楽ー地獄ー』も『俺の聖書』(現 : 僕がいつも考えていること) も、自身の叫びを書いている。

それは、近年連続した大きな挫折の中で、暗闇の底を這って心身ボロボロだったときに、そこから這い上がっていくためだった。


始めは自分を落ち着けるために書いていた。
自身が見ていた世界を再構築するために。

この2つの作品で自分の内側にあったものは、全て吐き出したと言っても過言ではないだろう。

暗闇の底から這い上がるために書いていたから、とてつもないエネルギー量で作品は一気に完成した。

どちらも7万2,000字の中編小説と8万8,000字の哲学的エッセイとなっている。

時折読み返してみると、「やはり言いたいことは全てこの2つで言い切ってしまったのではないか」と思う。

もうこの2つで作品は十分なんじゃないか、と。

新しいものを書いても、この2つで伝えたかったことを手を替え品を替え、表現していくだけになるのではないかと、読み返す度に思う。

しかし、きっと、想いの伝え方にもたくさん方法があると思うから。これからは、かつてのように自身の叫びをぶつけるんじゃなくて、前向きな気持ちで、沢山の作品を作っていくと決めた。

人を本当の意味で包み込んでくれる温かな作品。

本当の底にいる人には、甘ったるい詩的な文章は何の意味も持たない。だから、甘ったるい文章じゃなくて、私は光も影も両方書けるようにならなければならない。

そこは間違えてはならない。

ただ、その影を描くことが、単なる叫びで終わらないように、私は時折、自身の原点に時折立ち返って、紡ぐ言葉に慎重にならなくてはならない。

言葉を扱う者には創造者としての責任が伴う。
自分が発した言葉は、自身の血肉になっていなければならない。

そのことを僕は胸に刻み込んでおく必要がある。

忘れてはいけない。

自分が何のためにペンを取ったのか、誰のために書いているのか、何を伝えたいのかを。



本当は、最初から何もかもが愛おしく思えたわけじゃない。

辛いことも沢山あった。
悲しいことだって沢山あった。

今では克服できたとはいえ、僕は僕なりに歯がゆい思いをして、奥歯を噛んで生きてきたんだ。

父さんに帰ってきて欲しかった。
母さんに、苦労せずに笑顔でいて欲しかった。
妹とも、もっと話してやりたかった。
じいちゃんに一回でいいから会ってみたかった。
ばあちゃんは殆ど何もしてやれずコロナ禍に死んだ。

何もかもを素直に、前向きに、捉えられるわけではない。でも、前を向いて進むしかないから。

僕は、『家族愛』について書きたい。

大人の世界に上手く希望を抱けていなかったけれど、長く続く幸せだってあるんだって、証明したいから。

僕は本物の愛を知っているから。

立ち止まってちゃいけない。
今日も僕は書き続ける。

温かなものを広げていくために。

言葉によって世界の色を書き換え、自身の行動を変革し、温かなものを広げていくために。

皆が、生きているうちに。
やるべきことは果たさなくてはならない。

進むと決めた己の道を
ただ淡々と、進んでゆくんだ。







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