見出し画像

『ばくりや』と才能 #読了

表紙に惹かれて読みました。

作者の乾ルカさんは、幽霊や怪異的なホラーをよく描く(wikiより)らしい。
その評に違わぬ、じつに「奇妙でゾッとする」短編集だった。

”もしも、他人の「才能」を交換できたら…
あなたは、代わりに何をさし渡すだろうか?”


『ばくりや』(乾ルカ.2011)は、とある人間だけがたどり着ける、不思議な店の話
そこに訪れた客の、その後の破局を楽しめる。
ブラックなお話である。


『ばくりや』を訪れる人間について触れます。
彼らには、とある共通点がある。

それは、「才能」をもっていること。
ほかの人間にはない、自分だけの特異な能力をもっていること。

『ばくりや』では、その自分と他人の才能を「交換」することができるのだ!
なんとも、奇妙なセンサーをくすぐる話である。

たとえば登場した才能でいえば、

  • 出会ったどんな異性にもモテまくる

  • たぐいまれなる投擲力

  • 大食い

  • すぐに感動して泣くことができる

などなどである。
一見すると、まぁ、その人だけがもつ希少な才能だな~ってかんじ。

だが、お客はこうした「才能」を求めてお店を訪れるわけではない…

彼らが持っているのは、他人にはない「才能」だ。
それも、ただの「才能」ではない。
ほかの誰よりも、特筆される固有の「才能」。生まれつき手にした天賦の才。
優れた才能とは、ひとことも言っていない。

たとえば、異性からモテまくる。
なんともうらやましいことだ。

出会う人、すれ違う人、たった一瞬のきらめきだけで好意を持たれる。
気になるあの子も、クラスのマドンナも、心さみしい未亡人も、老若男女関係ない十割バッター。
365日、つねに異性からの好意にさらされる。
知らない、一瞬しかかかわりのない人間が、常に自分を求めてくる。

欲しくもないプレゼントであふれかえる生活圏。
聴きたくもない愛のささやきと告白に満ちたメッセージ欄。
自分だけの時間は、ズケズケ侵害される。

『ばくりや』はけっして、「才能」のプラス面を描いていない。
「才能」をもったことで、それに苦しめられている人間たちが主人公なのだ。
だから彼らが求めるのは、「才能」の交換ではない。
自分の「才能」を、他人の「才能」と交換すること、だ。
すなわち、これは「才能」を捨てたい人間の話なんだといえる。


多くの人間は、他人と自分を比較する。
とくに、自分にはないが、他人は持っている部分を気にする。
「うらやましい」「すごい」「いいね」「あこがれる」
これら羨望の感情と欲望が、人間には渦巻いている。
しかし、周りからはステキに見える部分も、本人にとっては醜く、むしろ隠匿したい部分であることだってある。逆も然り。

特定の発達障害における特異な才を、ギフテッドと称することがある。とんでもない記憶力や、空間把握能力、音楽や芸術の才などがよく知られる。
はたして、そうした才能は、本人を救っているのだろうか?
同様に、才能を交換した(捨てた)主人公たちは、救われたのだろうか…?

わたしは、『世にも奇妙な物語』や『笑うセールスマン』、『地獄少女』、『銭天堂シリーズ』(『ドラえもん』?)など、自らの欲におぼれたせいで破滅的なエンドを迎えるストーリーが、好物です。

また、二面性をもったストーリーライン。
つまり、ある人から見た出来事が、別の人(その人以外の人々)から見れば、まったく異なる結末を迎えるというも、とてもおもしろく読み読みしてしまう生き物でもある。

なんと本著では、このふたつを同時に楽しめてしまえる。お得!すごい!
メゾネット本である。

ご興味あれば、ぜひ一読。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?