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「辛かったら無理しなくていいよ」は相手を甘やかすことになるか?

人を指導する上で悩ましい問題が「相手に対してどこまで厳しくしていいか?」ということです。

厳しさが全くなければ相手のためにならないこともありますが、厳しくしたら今度は相手が耐え切れずに潰れてしまう可能性もあります。

この問題は職場での人材育成のみならず、おそらくスポーツの世界や子育てにも共通する悩みかもしれません。

そもそも「厳しい指導」とは何か

「厳しい指導」と聞くと、昭和のスポ根マンガなどに出てくる鬼監督が怖い顔で「バカヤロー!何やってんだ!」と罵声を飛ばすような場面をイメージするかもしれません。

これはこれでアリとは思いますが、厳しい言葉を飛ばすだけでは指導されるほうはそのうち慣れてしまい、叱られても「すみません!」と表向きは従っているだけで効果は無くなってしまうことが考えられます。

また、今では御法度の鉄拳制裁も、やられる方はそのうち「鉄拳の回避」が目的になってしまい、本来の目的から外れてしまうことになるでしょう。

指導はあくまで相手を成長させることであり、今までできなかったことをできるようにすることが本来の目的です。そのためには相手に今のレベルで満足させないよう、今より一段上のレベルを求めることが必要です。

そういうわけで、厳しい指導とは「厳しい雰囲気」で指導するものではなく、努力をしないと達成できない高い基準を要求することではないかと考えております。

求める基準をどこに設定するか

指導において最も重要なことは相手の力量に応じて現状より少し高い基準を設定することです。

下図のように、相手の力量で簡単に到達できる基準では成長につながりません。一方で現実的に到達が不可能な高すぎる基準を示してもすぐに挫折してしまいます。

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理想は相手が努力できるレベルで適度に高い基準を設定することですが、よく言われるのが110%~120%の努力で達成できるレベルで設定するというものです。

ただし、そのためには教える側は以下の2点を把握する必要があります。

・相手の力量の現在地を正しく把握する

・相手の伸びしろを正しく把握する

しかし、上記2点を最初から正確に把握することは難しく、「このぐらいしかできない」と思っていた人が実はもっとできる人だったこともあれば、「このぐらいできるだろう」と思っていた人が実は全然できていなかったということもあります。

そのため、現実的には実際にやらせてみて求める基準を調整するしかないと思います。

提示した目標に対して相手が簡単に到達したら基準を引き上げ、提示した目標に対して相手が最初から諦めているようなら基準を引き下げる、といった具合です。

そういう意味では、タイトルに書いたことは以下のように言えるのではないかと思います。

1.高い基準を求める前に「辛かったら無理しなくていいよ」と言ってしまうと相手を甘やかすことになる(成長につながらない)

2.高い基準を求めた結果、相手の心が折れそうになったら「辛かったら無理しなくていいよ」と言うのは妥当

いずれにしても、厳しい指導は相手を苦しめることが目的ではなく、あくまで成長させることが目的ですので、求める基準をどう設定するかは指導する側の課題であると思います。

今回もお読みいただきありがとうございました。


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