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「わかりやすさ」は目的ではなく手段の一つに過ぎないと思います

近頃は何事にも「わかりやすさ」を重視する傾向があり、テレビ番組も書籍も「わかりやすさ」を競っている部分があると感じています。

一方で安易に「わかりやすさ」に走ることを諫める意見もあり、例えば複雑な概念を無理にわかりやすくしてしまうと、物事の本質が伝わらず却って間違った認識を植え付けてしまう恐れもあります。

この問題について個人的には「わかりやすさ」そのものは目的ではなく、あくまで伝えようとする相手に対して、自分が伝えたいことを誤解なく伝えるための手段が「わかりやすさ」ではないかと考えています。

大学のゼミのように伝えようとする相手の学ぶ意欲が高く、学ぶための基礎知識も備わっている場合、無理に情報量を削ってわかりやすくする必要はなく、難しい概念は難しいまま伝えたほうが相手も考えてくれます。

逆に勉強に興味がない中学生に伝えるように相手の学ぶ意欲が低く、基礎知識も備わっていない場合、最初からわかりにくいとそもそも話を聞いてくれないため、相手を学びに引き付けるための「わかりやすさ」が求められます。

ただし、わかりやすく伝えるためには自分自身が伝えたいことの本質を深く理解する必要があります。

私は昔アルバイトで中学生に数学を教えたことがあるのですが、ある数学が苦手な生徒に対して「因数分解」の概念をどうしても理解させることができませんでした。

教科書に書いてあることをその生徒が理解できる表現で言い換えたりしたのですが、いくら説明してもその生徒は「因数分解」とは何か全くイメージできなかったのです。

私自身も「因数分解」については教科書以上のことは理解していなかったので、教科書よりわかりやすく伝えることができなかったのですが、もし数学者並みに理解が深ければもしかしたらその生徒にも理解させることができたのかもしれません。

アインシュタインは相対性理論を「恋愛」に例えて説明しましたが、本質を理解しているからこその「わかりやすさ」だと思います。

Put your hand on a hot stove for a minute, and it seems like an hour.
Sit with a pretty girl for an hour, and it seems like a minute.
手を熱いストーブの上に1分間置いてみてください、1時間ぐらいに感じるでしょう。可愛い女の子の隣に1時間座ると、1分ぐらいにしか感じないでしょう。

「わかりやすさ」はあくまで手段の一つに過ぎませんが、わかりやすく伝えることを心掛けることで自分自身も理解が深まるかもしれません。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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