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「コミュニケーション」が如何に難しい行為かはヤフコメを見るとわかります

私は趣味で「荒れる」で悪名高い?Yahoo!ニュースのコメント欄(ヤフコメ)をよく見ています(自分では決して書き込みません)。

というのも、世の中の出来事に対する人間の本性、それも妬み、嫉み、怒り、憎しみといった「負」の本性がよく現れるので、観察対象として参考になることが多々あります。
(noteと違って負の感情がこもったコメントが多いので読んでいて気分はあまり良くはありませんが・・・)

ヤフコメを読んでいていつも思うことが、「コミュニケーション」はこの世で最も難しい行為かもしれない、ということです。

殆どの人にとって「聞く(読む)」、「話す(書く)」という行為は難しくもなんともないと思いますが、「コミュニケーション」を「自分以外の人間との意思疎通」と定義したときその難易度は飛躍的に上がります。

というのも、他人と正確に意思疎通を図ろうとすると、最低でも次の2つの条件を満たす必要があります。

  • 相手の意図を自分が誤解することなく正しく受け取る(聞くとき)

  • 自分の意図を相手が誤解することなく正しく伝える(話すとき)

ところがヤフコメを見ていると、記事の意図を自分で勝手に解釈して勝手に怒っている人や、記事に対して何か言いたいけど全然違うことを書いている人がよくいらっしゃいます。

極めつけはある記事で「本文は読んでいないのですが、この記事を書いた人は間違っていると思う、・・・・(以下長文)」というコメントを見たときです。

コメント自体はその後にも長い文が続いているため「ネタ」で書いているというよりは真面目にそう思ったと考えられますが、このコメントを書いた人は記事のタイトルだけで「著者の意図はこうだ」と決めつけていることがわかります。
(ちなみにこのコメントに対する返しが「本文読め!」でした)

とはいえ、個人的にはこのコメントを書いた人が悪いともおかしいとも思いません。

自分自身の普段のコミュニケーションを振り返ると、相手が言っていることを一字一句最後まで聞いておらず、相手が言ったいくつかの言葉で相手の意図を判断してしまうことがよくあります。

本を読むときも文章を一字一句拾っているのではなく、長い文章であれば途中途中のキーワードだけを拾いながら読んでいます。

つまり、「記事のタイトルだけで相手の意図を決めつける」という行為は私も普段やっていることであり、相手の本当の意図も知らずに勝手に反応してしまっていることがあるということです。
(逆の立場で考えると、私が不用意に放った一言で相手が私の意図を決めつける可能性もあります)

ヤフコメが「荒れる」理由については様々な意見があると思いますが、個人的には「ネタではなく真面目に自分の意見を書いている人が多い」ことも原因の一つではないかと考えています。

ネタであれば適当に流せますが、書いている人にとっては文字によるやり取りであっても「真面目にコミュニケーションを取っている」という認識であるため、ちょっとした誤解やすれ違いが更なる誤解を生み、それがネガティブな感情を増幅させてしまっているのではないかと思います。(単なる私の仮説に過ぎませんが)

コミュニケーションは本来「すれ違う」ものと考えると、ただ自分が言いたいことを言い、聞こえたことだけを聞いているとすれ違いはどんどん大きくなります。

それを修正するための努力が本来は必要ですが、人が100人居れば100通りのコミュニケーションの取り方があるため、「こうすれば絶対に誤解されない」というものはありません。

だからこそ、コミュニケーションはこの世で最も難しい行為かもしれないと思っています。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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