れいち理論の根幹

もしこれを読んでも、

「私には生きている価値がない」
「早く死にたい」
「やっぱり、無理」
「問題は解決しない」
「不安でたまらない」

と思う人がいたら、ご連絡くださいませ。

私の伝え方や表し方に問題があり、
至らない点があるかと思うので、
修正・改善に尽力いたします。

◽️ 共通点(中心点)をしる

まず、全てのものに共通する部分、箇所があるということ、
それを事前知識として覚えておいてください。

例えば、今これを読んでるあなたは、
私と同じ「日本人」という共通点があるかもしれません。
男性であれば、同じ「性別」という共通点もあります。

そうでなかったとしても、絶対的な共通点として、

「今生きている(生かされている)」
「地球に住んでいる(許可を得ている)」

は、誰もが同じ要素として持ち合わせています。

多様性(ダイバーシティー)が叫ばれ、
人との違いを見つけること、
認めることを良しとする世界が構築されつつあり、
それ自体に異議を唱えることはありませんが、
その前に、まずは「同じ」ということをしる必要があります。

まず、そこを理解しないと、次に進めません。

◽️ 0 人間の存在意義(人生の意味と価値)

【無限の可能性を定義する】

知っていたはずなのに・・・。

恥ずかしながら、告白します。

理解が浅かったのか?
重要性に気づいてなかった?
他のことに気を取られ、忘れていた?

以前から認識はしていたはずなのに、
なぜか、私も記憶から無くなっていました。
この大切さや偉大さを心からわかっていませんでした。

いずれにせよ、本当に愚かなること・・・。

これ以上に大切なことってある!?
否、ない。

生命を大切にとか、
愛とか、希望とか、協調とか、
そういうのも全部ひっくるめて、
まずは、これありき、これ以外にない。

というか、これがなかったら、
全て勿体無いし、本来の意味や価値は発揮されない。

有名な「7つの習慣」とか、スピ系や心理学の本、
自己啓発本でも言われている、
「前向きな発想」「プラス思考」等とも同じではあるが、
似て非なるもの。

何かが足りなかった。

やっぱり「神様」なんだろうな、と。

さっき伝えた絶対的な共通点が欠けていると、
おそらく、気づくことははなく、忘れていってしまう。

ちょっと前置きが長くなってしまいました。

できるだけ、例を用いて簡単に説明したいと思います。

「意味・価値はない」 → 「意味・価値を付ける」

究極にシンプルな式にするとすれば、こうなります。

今、私が書いている文字・言葉も、
誰も読まなければ、意味・価値はないに等しい。

もちろん、書くことで私自身のアウトプット、
心の整理等の作用が働くとはいえ、
私以外の人がこの文章の存在に気づかなければ、
せっかく書いても意味や価値はないとも言えるでしょう。

しかし、この文章から読み手がどのような意味を見出し、
価値を感じ、自らの人生に活かし、応用するか。
それによって、この文章の意味や価値も変わります。

これと同様に、人生の事柄全ては、
どんな現象や状況が訪れてきたとしても、
それを「自由に」意味づけ、価値づけできる。

それはみな平等に与えられた共通の権利であり、義務でもあり、
そこに大いなる我々の「存在意義」があるとも言えます。

ただ「幸せになればいい」といった単純なものでもなく、
病気や不幸に思える現象で苦しんでいたとしても、
そこに「意味」と「価値」を付けるのは自由です。

何からも制約を受けることはありません。

「意味」は簡単に言えば、神の「意図」を「味わう」こと。
「価値」は自らの「あたい(プライス)」を相対的にではなく、
「値(直)」のように、直接的に決めることができること。

これを忘れずに記憶させながら人生を歩むのは、
知らないことと比べて、
天と地ほどの差が開くと思われます。

つまるところ、究極に大切なことは、
今この瞬間、1秒、0.1秒、0.01秒、
言葉に表せないような「感動」を味わうことに尽きます。

◽️ 1 人生の夢

【人生の目的や目標を探る】

この瞬間を味わうのに、
特に「これをしなさい」というものはありません。

だけど、ちょっと矛盾した言い方になりますが、
「的」がないと矢が放てないように、
目指す場所がないと「旅行」できないように、
人生の終着点「ゴール」の設定は必ず必要です。

これはもちろん、人それぞれで誰一人として同じものはなく、
誰からも強制されることなく、自ら設定していいのですが、
みな同じ「共通」の目的や目標もあります。

まずは、最初の前提条件にも書いたように、
人であれば、誰もが必ず「死」を迎えます。

そこを真剣に捉えて、考えなければなりません。
要するに、「死後」が「ある」と「ない」では、
この世の生き方が全然変わってきます。

わかりやすい例で言えば、
「楽しければいいや」と楽している学生は、
社会に出てから苦労する可能性が高いです。

「社会に出てからも困らないように、きちんと学ぼう」と思う学生は、
しっかりと準備、心構えができているので、
社会に出てからもスムーズに進む可能性が高くなります。

これと同じように、「死」を迎えてから、
「え?準備してなかった、知らなかった」では済まされず、
今から、きちんとした準備をしておかなければなりません。

すごくシンプルに言えば、

「0(ゼロ)を目指す」

ということであり、
目に見える世界が1だとしたら、
見えないあの世が0ということでもあります。

また、0は「神」でもあり、神と同じ様なこと、
つまり、この地球上で人間は様々な「創造」行為をしています。
また、0は丸なので、全てと「繋がる」という意味もあります。

○ 両方必要 

最後に「両方」ということを覚えておいてください。

最初の「共通点(中心点)」の話に戻すなら、
上限前後左右等の片方では、中心が存在できず、
どちらも揃って、はじめて中心が成り立ちます。

人生を物語やキャンバスとして考えるなら、

「書かれるもの」
「書くもの」

どっちが欠けても書けないことがわかります。

環境や周りに左右されない自由な選択、
意味付けや価値付けができるとしても、
環境や周りの影響を受けないわけではありません。

幼い赤ちゃんや子供は大いに環境の影響を受けるし、
自らの力で変えることも難しく、非常に環境が大切です。

そのため、人それぞれによってその重要性は異なってくるとはいえ、
どちらも必要だということです。

今この現代社会を支配しているコンピューターなども、
基本的には0と1の組み合わせで構成されており、
人間も男と女、心と体、動物や植物なども同じです。

そして、その0と1の間には無限の可能性が含まれており、

時間で言えば、最小単位の「秒」で考えても、

0秒と1秒の間は?

答えは無限ですよね。
0.00000000000…..秒
キリがありません。

空間で考えてみても、長さの「ミリ」で捉えれば、

0ミリと1ミリの間は?

0.0000000…..ミリ

これも、キリがありません。

これは我々が誕生してから死ぬまでの可能性も示しているし、
現象や出来事が起きて、それをどのように理解し、味わい、
意味付け、価値付けするかという無限の可能性をも表しています。

毎日、同じ様なことの繰り返しでも、
螺旋階段(0と1)を登るように、
我々は確実にレベルアップしています。

ただ、こういった根本的なこと、事実と真実を
「しる」か「しらない」かでは、
人生の光り輝き方が全く違ってくるのは、
言わすともご理解いただけるかと思います。

まだまだ説明が足りず、
例えで示したいことは沢山ありますが、
私の残された人生の中でこれから、
少しずつでも多く証明していけたらと思っております。


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