ししん

●人生の進路(針路)

人生を航海と考えるならば、方位がわかる「方位磁針」、
つまり「コンパス(羅針盤)」が必要であり、
その針が指す方向を知る必要があります。

この「指針」がわからなければ迷子になり、
自分の位置や向かうべき方向を失ってしまいます。

人生も同じように、自らの進むべき方向、
「ししん(指針)」がわからないと、迷子になってしまいますよね。

今回は、この「ししん」という漢字の言霊を探っていきます。

●心

・私心(私信)

自分勝手というネガティブ要素の強い言葉かもしれませんが、
他人の意見ではない、自分の考え・気持ちという観点で捉えれば、
別に悪い意味だけではありません。

その自らの気持ち「私心」を知らずして、
自らの人生を歩むことはできません。

そして、そんな「私心」を信じる気持ち、
「私を信じる(私信)」も絶対的に必要なものです。

「私信」の本来の意味は、「通信」のことで、
メールなどのメッセージを「発信」「受信」する「交信」のことで、
「私用の手紙」「誰にも知られたくない内密の知らせ」という意味があります。

こういったプライベートな「秘密情報」は誰もが持っていますよね。

その「秘密情報」に良い悪いといったものはなく、
過去の事、未来の事、今抱えている問題等、
全ては私の中にある「手紙」ともいえ、
それをどのように「読み取り」信じることができるかどうか。

人生の航海を問題なく進めていくためにも、
この「私心(私信)」は最も重要な肝といえます。

・至心(至信)

仏教用語の1つではありますが、
シンプルに「まことの心」「まごころ」と考えていただいて構いません。
「この上なく誠実な心」というようです。

その「まごころ」をあらゆるものに込めることを「至信」と言います。

自分の本来の「まごころ」を知るのはなかなか難しく、
外来情報が溢れる昨今では、どうしても「己」を見失いがちになります。

「私心」と同様に、本来の「私」に至るために、
「まごころ」を大切にして生きること。
あらゆることに「忠誠」を込めること。

わかりにくいとは思いますが、
人生の1つの「ししん」として大事にしてくださいませ。

・詩心

「詩」というのは別に「詩人」だけのものではなく、
凝り固まったものとして捉える必要はありません。

「詩」は「ウタ」とも読めるように、
人生で感じた事柄を「詩」にすると言うのは、
「ウタう」ということでもあります。

ワンピースの最新映画で「ウタ」という主人公もいて、
「歌」がテーマともなっています。

我々も小さき頃から歌を歌い、
節あるごとに歌を口ずさみ、
歌と共に人生を歩んでいるとも言えます。

人と人との会話なども、
ある意味では「詩(ウタ)」にすることはできますし、
どんなことも捉え方次第で「詩」となります。

決まったルールを作る必要はなく、
言葉に「リズム」を持たせて、
改行や句読点、文字数など自由に決め、
「詩」を作ればいいのです。

自らの人生の「詩」を自由な発想で展開し、
言葉にし、振り返ったり、望みを抱いたりして楽しむこと、
人生の1ページにあってもいいかと思います。

・死心

人は誰しもいつか必ず死にます。
逃れることはできません。
絶対的なものです。

この「死」を受け入れる心こそ、
今という「生」を生きていく重要な「ししん」です。

「気持ちを殺す」という意味も、
時として必要であり、自分の感情ばかりを出さないようにする。

「あきらめる、断念する」という意味も、
「死」から逃れられないことと同様、
自分の身体や人生の各種場面も、
変えようとするより、まずは受け入れる。

なんでも「断念する」というネガティブなイメージではなく、
「死」を受け入れる心を持つことで、
「思い切り」目の前の人生を一生懸命に歩める。

「断念」は「観念」と同様で、
「今」の
「心」の状態を
「観」ることができる。

●神

・使神(信・臣)

これは神道の言葉ですが、私流に意味を変化させるならば、
「神にどう使われ、神をどう使うか」ということ。

「使信」はキリスト教の使徒が信仰してきたものを言うらしいのですが、
これもキリスト教に絞る必要はなく、
今までの歴史上、人々が「信じて、使い続けてきたもの」と考え、
今でも残っているものを信仰する、でいいかと思います。

「使臣」は君主の代理という意味があるのですが、
つまり、「君主=神」の代理として我々はこの地球上で人生を歩んでいる、
そう捉えると人生の意味や価値がより明確になってきますね。

・私神

これは完全な造語で、私が勝手に付けた言葉ですが、
「私=神」という感覚は非常に大切です。

「違うけど、同じ」

人類は皆1人として同じ人はいませんが、
皆同じ地球上に住み、同じ空気を吸い、
同じように生まれ、死んでいきます。

人と動植物は違いますが、
同じ重力の上で生きてる点は同じです。

このように、「多様性」が叫ばれている昨今ですが、
「違い」よりも「同じ」ということの方が大事です。

我々人間も「神」とは違いますが、
「同じ」目的と使命をもった「同類」と考えることもできます。

「親子」で考えた時に、親子の力関係などは全く違うけども、
血が通っているので似ている、「同じ」ところが多々見受けられます。

「私=神」

お子さんのいらっしゃる方なら、より一層、
私の言っている意味、ニュアンスが伝わるのかな〜と思います。

・四神

元々は、これについて書こうと思ったんですけどね。
「ししん」と打ったら、いい漢字(感じ)が沢山出てきたので、
壮大なタイトルと内容にしてしまいましたw

ご存知の方もいるかと思われますが、
「四神」とは中国の神話に出てくる天の四方の方角を司る「霊獣」です。

青龍(青)・東・春・木
朱雀(赤)・南・夏・火
白虎(白)・西・秋・金
玄武(黒)・北・冬・水

これらのそれぞれの意味は他のサイトに譲り、
私オリジナルの解釈をここでは説明します。

この世に「産まれる」までは反時計回りで、
この世に「生まれ」てからは時計回り。

黒の陰に、白の陽を照らし、
赤子生まれし、青年となる。

青年が成長し、大人となり、
熱く燃える恋や仕事に熱中し、
やがて衰え白髪となり、いずれ死ぬ。

色の黒→白→赤→青となり、
青から、赤→白→黒と元に戻る。

こんな説明で伝わりますかね?w

単なる偶然などというものはなく、
意図してこういったところも示されていると思われます。

●四

最後にちょっとだけ「おまけ」です。

・四診

これは漢方の診断方法なのですが、
東洋医学などに興味がない人でも、、
是非一考してもらいたい内容です。

私たちは普段の生活の中で、
いろんなものを「見」ています。

この「見る」だけでなく、
「観る」や「診る」といったことも大切です。

今回の「診」や主に病院の「診断」などに使われ、
病気を「診る」といった意味があります。

我々、心身の健康状態を「診る」のはもちろん、
国や地球など、大きなものの状態も「診る」ことが大切です。

「望診」
視覚を使い、皮膚や顔色、その人の動作・仕草、舌の状態、
排泄物などを見て確認して、健康状態をしること。

「聞診」
聴覚を使い、声のトーン、異常音、ここでは嗅覚も含まれるようで、
臭いなどの違和感なども察知して、現状を知ること。

「問診」
味覚とは違いますが、会話を通して、その人の状態を知る。
苦いのか(苦しいのか)、甘いのか(甘えているのか)、
しょっぱいのか(寂しいのか)、酸っぱいのか(辛いのか)。

「切診」
触覚を使い、直接触れることで状態を知ること。
なぜ「切」という字を使っているのか不思議なところではありますが、
お腹に触れる腹診、手首の脈をはかる脈診が主なようです。

この五感を駆使した四つは人生において非常に重要ですので、
ぜひ、覚えておいて損はないかと思います。

・四箴

最後の最後に「四つの戒め」について。
これは上記と対をなすもので、
そのまま同じように考えてもらって構いません。

「視箴」
「聴箴」
「言箴」
「動箴」

それぞれの説明はあえてせず、文字通りと捉えてください。

当て字にしていけば、まだまだいくらでもありそうですが、
これぐらいで終わりにしますね。

と、言いたいところですが、もう1つ思い付いたので。。。

「ししん」を並び替えると、「しんし」になりますよね。

漢字としては「紳士」「真摯」が有名ですが、
「親子」も「しんし」と読めますよね。

「ししん」と「しんし」

どちらも似たような意味合いを持っている言霊。

1つ1つを詳しく覚える必要はないので、
なんとなく、漢字・言葉の「言霊」を感じとってもらい、
人生の糧としていただけたらと思います。

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