せいにする

「○○のせいにする」

ついつい誰しもがやってしまいがちなこと。
特に、「自分のせい」や「他人のせい」にすることが多い。

自分の不幸や不遇の状況を、周りの環境や社会、
家庭状況などの「せい」にすることもよくあること。

「私がこんな不幸で最悪な人生を送っているのは神様のせい」

神が存在し、全知全能であらゆることが可能であるならば、
こんな不幸な私を助けないなんて信じられない、
神なんかいるわけがない、いたとしても、私は信じない。

そんなことを思う人も多いでしょうし、私も思ったことがある。

「全てを神様のせいにする」

この世界全ての創始主、「神様」が全ての原因であり、
結果である地球上の全ての出来事の責任がある。
神様と比べて非力な人類は神の「子」みたいなもんで、
親である「神」の足元にも及ばない。

人間の親子でも子供の責任の大半は親にあることが多い。
子供が成長して大人になれば、親のせいにはできなくなってくるが、
それでも、親の影響はゼロではない。

神様のせいにしたところで、それを拒否したり、
受け入れられないような器ではないし、神は全てを受け入れる。

しかし、ここで大事なことが1つある。

神様のせい、つまり、「親」のせいにするならば、
「親の言うこと」を子は無視してはならない。
私も人の親であるが、子供たちに対して命令、というか指示、
これを食べないさい、あれをしなさいということがある。

それをして、子供が危害を被ったり、
病気になったりすることがあれば、私に責任がある。
ただし、私の言ったことを守らずに、
子供が自分勝手なことをしていれば、それは子供が悪いことにもなる。

もちろん、子供が聞く耳を持たないような言い方しかできない、
親に問題があるということもできるが、
どっちが良い悪いではなく、親子関係、上下関係、
これはどこにでも当てはまること。

神様は漢字にあるように、様々な現象を通して、
「申し示されている」
それを聞くか、聞かないかは人間次第。

神様のメッセージを聞かずに、
神様のせいにするのは、単なるわがままとなる。
それは自分勝手であり、ますます不自由になっていくだけ。

神様のせいにしてもいい、だけど、その代わり、
神様のメッセージを素直に受け止めて、
できる限り、実行していくこと。

そうすれば、親の子に対する愛を感じるはずだし、
神のせいにしている自分が馬鹿馬鹿しくなり、
親子共々、一緒になって何かを成し遂げ行こうという気持ちになる。



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