見出し画像

少し苦しかった時の話をしようか。

人と食事を摂れないわけ。その過去

おはようございますっ。

氷枕を頭の下に敷いて寝ておりますが、
夜中に段々溶けてくるんですね。
そうなると少しでも冷たい場所をおでこに当てたり。
はたまた首の下に位置を変えてみたり。保険の教科書でよく見るわきの下に入れてみたりと...。

試行錯誤が絶えない日々です。

れいちゃんと一緒にサイ〇リヤの間違い探しではなく、
”少しでも冷たいところ探し”をしてくれる仲間がいたらご連絡お待ちしております。
LINEグループでも作りましょう。入りませんが。

今日の前置き据え置きお取り置きは
本当にこの辺にしておきます!

なぜなら調子に乗って話過ぎてしまうからです。
とはいえ、現実世界のれいちゃんは割と根暗で口数も
かなり少ないので驚くかもしれません。

ではでは…。

改めまして、れいちゃんです。
渋谷のハチ公前改札に向かう階段を駆け上るのが
友人や家族と比較すると早かったので特技はそんな感じです。

そして問題はなんと言っても《御食事解》です。

以前、描いた自己紹介noteで

『人と食事をすること』
『自炊以外の料理を口にすること』
が少しばかり苦手なことを自供しました


ついに白状です。しかもかなりサラっと。

とはいえ、そんなに悲しい表情をしないでくださいね。同情はいりません。

なぜって?れいちゃん、御ぼっち飯を”御一人様謳歌飯”といわんばかりに超絶楽しんでいるのですから!

御食事中に見るドラマやYoutubeの動画に出てくる人たちを観ながら、話しかけることでしっかりと

【決して自分はぼっちではないゾ】

と自らに言い聞かせ慰めているのですから。

そんな感じで、高所恐怖症の方が少し高いところが苦手なように。猫嫌いの方が、猫を避けるかのように。
れいちゃんは人との食事が少しばかり苦手分野なだけなのです。

ただ、ここまではあくまで【結果】の話。
今日は”なぜご飯を食べられなくなってしまったのか”の【理由】について話せたら。

少し苦しかった時代について自戒を込めて。
少し過去を客観してみることが出来るようになった今、未来のれいちゃんに向けてそっと背中を押せるような気持ちを文章で描けたら。

そんな風に思っています。

【目次:人と食事が摂れないわけ。その過去】

◇ビジネスに興味を持った3年前のこと
◇1年前に始めたインターン経験
◇家族とれいちゃんと。
◇1人暮らしを始めてからのこと

◇ビジネスに興味を持った3年前のこと

3年前といえば、19歳というラストティーンを謳歌?していたのかしていなかったのか...。それくらいもうすっかり過去になってしまった時期。

だけど、その時期に関してはっきりいう事が出来るのはれいちゃん。

ビジネス】や【事業づくり

に果てしなくハマっていた時期です。

その時期に「大学生と企業を繋げる事業を作るんだ!」と意気込み、いろいろな企業の方にお話を聞きに突撃していた(やり方が無茶苦茶すぎて”突撃”という表現がドンピシャだと思いました)

画像2
やばすぎるQOL
画像1
学生仲良しすぎる
《チナミになる話:ビジネスに興味を持ったきっかけ》 
大学の授業で”経営学総論”という授業で『エルメスは昔、馬具屋だった』という話を聞き、ターゲットを変えずに事業を大幅転換させた。そんな話を聞いてから面白い!とビジネスの奥深さにハマっていました。
某番組のパクリではないです。

そんな突撃という奇行の中で、100社以上の方からはお断りを受けたり、というかそもそもお返事を頂けなかったりということはザラでした。

しかし!その中でもお話を聞いてくださる数少ない企業の方の中に私の行動力を面白がってか、かなり目をかけて親身になってくださる1社がありました。

その後も、何度もお話を聞いて下ったりオフィスに呼んでいただいたりと可愛がってくれていたのです。
詳しくは割愛しますが、大学3年生になった時の就職活動で納得のいく結果にならず、この先どうしよう....と悩むれいちゃんに

ウチでインターンしない?

と話を持ち掛けてくださったのもこの企業の方々です。

◇1年前に始めたインターン経験

こうして始まったインターン。オンライン授業が増えたことで怠惰な学生と化したれいちゃん。

最初は授業との兼ね合いから週に3日程度の出勤でしたが、夏休み以降はほぼ毎日のように働く”社会人0年目”を歩んでおりました。

かなり特殊なインターンのスタートだったので、自分以外にインターン生はおらず”ぼっちインターン生”として自らをブランディングしていました(笑)
ただ、ナンバーワンよりオンリーワン思考な自分。環境としてはかなり自分が理想していたものでした。

1人だからこそ、インターンを始めたての頃は
もう好き勝手に。自由自在に駆けずりまわり、暴走爆走していました。言っちゃえば『裁量権しかない』土俵でかなり自由にワガママに働いていました。

この頃は、自分の企画が通る楽しさ、企画が形になっていく過程や終わった後の達成感がもうもう。堪らなく楽しかったです。これは誰が何と言おうと楽しかったです。

画像3
周りの企業の子を巻き込んだイベント

だけど。
だんだん自分の発案した企画が全て通るようになって。そのプロジェクトへの投資金額が高まって。

毎日100万単位で上乗せされる金額。増えていく業務。
増えていく他社の社長の方との関係性。

画像7
お顔ピカピカに⭐︎

あぁやばい。失敗できない

だんだんそう思いようになってきました。

目の前のタスクをこなすのにもう手一杯で、
何のために自分が何をしているのか、分からなくなっていくような感覚でした。
頭の中にはいつもグーグルスプレッドがあって、☑をつけていく。また増えた項目をこなす。その繰り返しのマシーンになった気分でした。

上司の方が、自分について書いてくださったnoteを皮切りにツイッターなどでDMをくださったり。

優秀
すごい

と言っていただけたことは純粋にすごく嬉しかったけど、

果たして本当にそうなのか?
期待を裏切っていないか?

そう思うようになってから出社するのが怖くなりました。

最初の頃はお弁当を持参して一人で食べる毎日、なんなら”愛自分弁当”なんてギャグをかますくらいすごく楽しみな時間でした。

画像6
煮卵半分は何処へ?
画像5
にんじんポリポリ

しかし、一大プロジェクトが進行してからは
もう緊張とプレッシャーと”早く業務に戻らなくては”という気持ちから持参したお弁当も食べきれなくなっていました。

帰る時間もかなり遅くなっていたので、夜ご飯を食べるタイミングも良く分からず。

かつ、デスクでの業務が多く”あまり動いてなしな~”と食事をする気にもなれずさけるチーズやヨーグルトを軽く食べて終わる日が続くようになりました。

もちろん帰宅した後は、軽くお弁当をつくって眠るだけです。

そんな食生活を続けていたから、当然見た目も数値も痩せていていたのでしょう。最初は緊張やプレッシャーで”食べられない”という感覚が、段々と”もう食べたくない”に少しづつ変わっていきました

画像8
助けを求めていたのでしょう。

今考えると、よく頑張っていたなあ。

でも『頑張らなくていい”がんばる”
だったんだろうなと落ち着いて考えられます。

だけど、当時の自分は家からも会社からも離れられる自分だけの居場所が欲しかったのでどうしても一人暮らしをしたくて。

お金は貯めなきゃと思っていたので休みはなかったです。というか、休み方もわからなかったです。

出社が怖くなって、自宅から出ると過呼吸になるようになってからは流石にどうしようかなあ、パパ活でもしないといけないのかなと思うこともありました。

◇家族とれいちゃんと。

実はインターンを始める時期より、少し前の就活時代から家族との関係性は良くなかったです。

悪い、とまではいかずとも。少なくとも”良い”といえる状態ではなかったです。
(誤解を恐れずに言えば、これは私も家族も誰も悪くないと思います。ただ、上手くコミュニケーションを取るのが苦手でいつもすれ違いまくってしまう不器用な家族です)

前提、私の家では大量の夜ご飯が出てきます。
母が料理好きで、メインはいつも肉も魚も両方出てくるぞ”といわんばかりのディナーセット。
れいちゃんには少し多かったです。

白米も夜食べるのは嫌で食べたくなかったけれど「食べなさい」という言葉がプレッシャーでした。
(まあ、親ならそりゃ言うよな。て感じだけど私には重かったです)

段々一緒に食事をするのが嫌になって、就活の面接や授業を言い訳に家族と食事時間をずらしたり部屋で一人で食べても文句を言われないように試行錯誤していました。

そんな中で始めたインターン。夜まで仕事をしていたので”一緒に夜ご飯を食べない格好の理由がついた!”とすごく嬉しくて。自分のペースで食事を出来ることに安堵していました。

ただ、インターンの項目で書いたように夜ご飯はほぼ簡易的なさけるチーズやヨーグルト、サラダチキンで済ませていたので生活時間がずれたことで中々顔を合わせることが少なくなっていた母や兄は私が少しずつ痩せていったことに気づいたのでしょう。

かなり瘦せたね

とこの頃から指摘されることが増えていきました。もちろん、そうかもしれません。だんだん痩せていっていたと思います。

だけど、わがままかもしれないけど。私はもっと楽しくて、インターンのことを忘れられる、食事のことでもない話をしたくて仕方なかったです。

末っ子気質で甘えん坊なれいちゃん。髪の毛を切ったら”可愛い”って言ってもらえるかなと思って美容院に行った帰宅後に

「ご飯しっかり食べなよ」

と一言言われてしまった時は、もう心が壊れてしまった音しました。

心配で言ったのは分かるけど。あんまり分からないけど、髪の毛を褒めてほしくて。なんか疲れちゃって、休みたくて。食事を考えなくていい場所や安心できる空間をずっとずっと探すようになっていました。

母がれいちゃんが好きな時間に食べられるように、と気遣ってタッパーにいれた冷蔵庫内のおかずをタッパーごと思い切り捨ててしまうようになっていました。

心が限界だったんだと思います。

食べたくないのに何で食べないといけないのか
どうして食べる量を決められないといけないのか

訳が分からなくなって、逆に

食べなくていいよ
自分の好きなタイミングで好きなものを食べていいんだよ

と言ってくれる人や空間で時間を過ごして心を落ち着かせるように努めるようになっていきました。

ただ、出社も怖くなっていたこの時代。

大学の図書館に篭っていた時期もあります。
大学の夏休み時代はコンビニのイートイン時代もありました。それも難しい時は家出をしていました。

母とも自宅でもLINEで会話するようになって。

画像8
このLINEきたらびっくりしちゃうよね。

この写真を送った時は、もう体重も34kgを切っていて、夜は30分以上眠ることはできていなかったです。

◇1人暮らしを始めてからのこと

会社からも家族からも逃げるように、一人で内見を申し込み一人暮らしを始めることになりました。

どのタイミングだったかはもう思い出せないけど、仕事はお休みしました。

一度行った病院で”この体重は仕事をしてはいけない体重だよ”と言われていたのでそんな感じだったんだと思います。

”食べられない”から始まった身体の状態でしたが、段々”太るのが怖い”になっていったれいちゃん。

落ち着く環境は手に入れたけど、最初は
自分は何が食べたいのか
何を食べたら太らないのか
分からなくて食べ過ぎてしまったり。

食べ過ぎて苦しくて泣いてしまったり。もう散々なスタートでした。

人と食事をすると
「早く食べなきゃ」
と自分のペースで食べられなかったり。

自分の作ったご飯でないと
「どんな調味料や油がどのくらい入ってるんだろう」
と心配になったり。

これは正直今でも変わらないです。

だけど、今の自分は”変わらなくていいよ”と優しく自分に言えるようになってきました。

だって、世界の誰よりも”れいちゃんのぼっち飯”を楽しんでいるのはれいちゃんなのですから

自分で野菜と少ない調味料でシンプルに味付けをした料理を、ゆっくり時間をかけて食べている時間は世界一幸せです。

画像9
卵かけご飯の術
画像10
誰がどう見ても絶品

少しづつ、

れいちゃんだけの空間で
れいちゃんの好きな野菜と好きな人の食材で
好きな御料理を
好きな時間やタイミング・ペースで

楽しむ。

これが『れいちゃんのぼっち飯』です。
結構素敵でしょ?素敵なんです。

◇最後に。れいちゃんから


少し苦しかったあの時代。
頑張ってくれたれいちゃんに

「本当に本当によく頑張ったね。ありがとう。
【誰か】になれなくていい。期待に応えようとしなくてもいい。自分の心の【嫌だ!】って言う叫びに少しだけ耳を傾けてね】
振り返って書いた文章

と言ってあげたいです。

あ、インターン先の方とは今でも普通に連絡も取っているしすっごく尊敬しています。
ちょくちょくSNSで見てくれて、今の私の夢を応援してくれてちょうどいい距離感でなんだか嬉しいです。

家族は多分、自分のことをたまに思い出してくれています。

偉い人に認めてもらうことが今までの人生だとしたら、
これからは自分の

これがしたいんだよな〜れいちゃんは!!!

をもっともっと楽しみたいです。もっともっと自由に。

私は私にしかなれないなら、
野菜とお米が大好きで、
ふざけた文章を書くことが大好きな自分を
これからも愛し続けたいです

同じくらいみんなにも愛を返していきたいです。

やばい。って思う3歩前で逃げてもいいんだ!
と声を大にして言いたいです。

ゆっくり、ゆっくりね

少しだけ苦しかった時の話をしようか
ありがとうございました。

Instagram: https://www.instagram.com/reichan_no_gohan

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?