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【初小説】僕は僕になりたくて、君に会いたい

ふああああ、
と僕はあくびをした。

いけない。もうこんなに寝てしまっていたのか。

眠い時のあくびじゃなくて。
眠くて、実際に寝てしまって。
そして起きた後に余韻でする方のあくび。

午後六時。

今日は火曜日だからもう閉店の時間。
とはいっても店主が実際にお店を閉めるのは少し後のこと。お客さんが帰った後でも僕はもう少しゆっくり出来る。

それにしても。
今日もあの子は来なかった。

僕はこのお店にいる。
座敷童でもないし、守護神という程の権威もない。妖精といっちゃ可愛すぎるけれど、とにかくこの空間にいる。お客さんはもちろん、この店の店主すら僕のことは見えない。だから、

駅前の喧騒を抜けて。カレーとからあげの香りを鼻いっぱいに吸い込んで、深緑の扉を開けるお客さんの誰一人として僕の存在を知らない。

だけど、あの子だけは違った。
あの子は、確かに僕の存在に気づいていた。
直接会話を交わしたことはないけれど。

常連さんならいいや、と店主の作るオムライスを卵の端っこを少しかじった時もペロッと舌を出して微笑んでくれた。本当はケチャップと一緒に頬張りたかったんだ、と心の中で話しかけた。
雨の日に僕がふわりと移動して、窓際の席からボーっと雨音を数えている時に視線を感じたこともある。だから、あの子が来る日は心が躍った。

僕がここに来たのは四年半以上前。
それからの数カ月はすっごく退屈だった。今思え笑ってしまうくらい退屈。だって今みたいに誰が今日来るかな、とか。今日のおすすめスイーツはプリンだからかじったら店主にバレちゃうな。とか。僕以外の誰かに意識を向ける時間があまりにもなかったのだから。

それから半年近く。眼鏡をかけた若造が空間を彩り始めた。
最初に若造が扉をくぐってきたときに、僕のことが見えていないと分かって。少し残念だった。けれど、どれどれ。お手並み拝見とばかりに見守ってあげていたらあまりにも僕好みの空間を生み出すから驚いた。黒板にチョークとか。ふわっと香る素朴な焼き菓子の匂いとか。一度だけ、「ありがとう、若造」って話しかけた。どうせ聞こえないし。

たまに若造は寝坊した。
バツの悪そうな顔でお店に来て、世界の終わりみたいな顔をするもんだから、僕はあーあ。なんて少し冷やかしに笑うんだ。見えていたら怒られちゃうから、見えなくてよかったなんてこの時ばかりは思う。

それから二年経って。若造は店主になった。
だいぶ、店主になった。

だけど、二年経っても、
僕は相変わらず誰にも見えない僕だった。

店内に流れる音楽を全部覚えて鼻歌を歌っても、少し音痴に歌っても誰も僕の声は聞こえない。
ずっとこの空間にいるから身体がなまっちゃって。昔トライアスロンをしていたというお客さんに「僕でも出来る?」って聞いたり。
店主の恋人かな?イラストが上手い女の子に似顔絵を描いてもらいたくて目の前で正座をしてお行儀よく待ってみたこともある。

全然ダメ。

この空間と僕、それから外の景色の時代。
空間と僕と若造と、それから外の世界の時代。
若造がお店をオープンして、僕と、僕のいる空間と若造と。それから窓の外の景色とお客さん。

若造はどんどん店主になって。お客さんは常連さんになって。僕の方がずっといるのに。僕、若造の頃から知ってるんだぜ?外の八百屋さんのおじちゃんの季節ごとの掛け声全部知ってるんだよ?

誰も僕に気づかなかった。

だけど、その日は突然目の前に現れた。透明だった僕が僕になった日。

その子は深緑の扉の前で少しためらっていた。
僕はお会計横のチャリン席(僕はそう呼んでいる)のお客さんがアイスココアを飲んでいたから店内をお散歩する前に少し腹ごしらえをしていた。

運動するとお腹すいちゃうから僕は事前に食べるスタイル。
その子は意を決して扉を開けた。ように見えた。

その子はしばらくメニューを往復した。何往復もするから暗記しているのか、と思っちゃったよ。どんなメニューがあるか選びきれないのかな?とも思ったけど、どうやらそうでもないみたい。ちょっと不安そう。

そうしてしばらくして店主を呼んだ。ミックスナッツと、ピーマン味噌のおにぎり。あとは小鉢一個。変なの。変な組み合わせ。店主も少し戸惑っていたけど、その子に香ばしいピーマン味噌のおにぎりと。よくおつまみで出るミックスナッツと。それから小鉢の茄子の甘酢漬けを横から出した。

ビックリした。
差し出される料理を受け取る時、その子がこっちを見たから。

窓際の席から。誰もいない客席を通り越してチャリン席であぐらをかいて観察している僕を見た。メニューを選ぶときよりも遥かに不安そうな顔で。
えっ。と思わず声が出かかったけど彼女はすぐに目の前に出された料理を見て。そしてゆっくりと食べ始めた。本当にゆっくりだった。

少し目が合った矢先、僕はずーっと彼女を見ていた。
他の常連さんが一口で食べるナッツ一個を彼女は二倍も。三倍も時間をかけて食べた。美味しくないのかな?あ、またお箸を置いた。本に夢中なだけ?おーい、店主。どう思う?もちろん聞こえるわけがないけれど。ちょっと不安で聞いた。それは店主も同じ気持ちだったみたいだ。だけど、彼女は食べる手を止めなかった。むしろ、最後の一口まで味わうように食べ尽くした。

そして、チャリン席にいる僕の近くまで来て、御馳走様でした。
そう言った。そして付け加えるように

「最近あまりご飯が上手く食べられなくて…。だけど美味しかったです」

と言った。店主も僕もホッと胸を撫で下ろした。同じタイミングだった。
どうやら同じ空間にいると仕草やそのタイミングまで似てくるらしい。美味しくないわけじゃなかったんだ。むしろ美味しくて、だけど上手く食べられない何かしらの事情があって。それでも頑張って食べ切ってくれたんだ。

華奢な彼女の背中を見ながらどうかまた来てください、と
初詣よりも深くお辞儀をした。

思ったよりもすぐだった。
この日の僕は常連さんの食べるシフォンケーキのホイップクリームをほっぺにくっつけておやつの時間になったらペロリと食べようと企んでいた。

深緑の扉が開いて、彼女が現れた。

僕は驚いてクリームを床に落っことしたけど。店主にバレたら、とかそんなことを考えるよりも嬉しかった。そうして彼女に聞きたかった。僕のこと見える?って。

確かドリンクを頼んだ彼女に、僕は小さい声で聞いてみた。たとえ返事がなくても傷つかないようにね。真剣な眼差しで本を読む彼女が、一旦読んでいる本の見開きを返して飲み物を手にするタイミングで。

彼女からの返事はなかった。だけど、静かに。確かに彼女は浅く頷いた。
そして彼女は何事もなかったかのようにまた見開きの本を返して読み進めた。一段落ついた頃、彼女は帰り支度を始めて店主と会話を交わした。僕も混ざりたかった。

まだ、大学生であること。しゅうしょくかつどう?をしていること。(僕はこの空間に来るお客さんしか分からないから会社がどんなところか想像もできない)少しずつ話し始めた。

彼女は少しずつ常連さんになっていった。
来るときは決まって本を読む。どうやらチャイティーが好きみたい。
僕も店主のチャイティーが好き。嬉しかった。たまにほうじ茶。
たまに穀物カフェラテ豆乳変更。

じーっと本棚の前でうずくまって今日の本のお供を選ぶ。
少ない時は一冊。多い時は四冊。飽きないのかな?

僕は邪魔をしたくなくて、自分の中でルールを決めた。
絶対に彼女の飲み物は飲まないって。他の常連さんの飲み物はバレないように飲んじゃうけどね。

少し目が疲れたら僕のことを見る時もあるけれど、基本的に本の世界にどっぷり浸っている彼女。西加奈子の「サラバ」を読んでいる時は、自分の人生を少し好きになったように見えた。

そうそう、彼女は一回泣きながらここに来たんだ。僕はびっくりしちゃったよ。大学生って楽しいって思っていたから。
彼女もきっと色々辛いことがあったんだと思う。

そんな彼女に店主は「喜嶋先生の静かな世界」を薦めた。彼女は静かに読んで。そして清々しい顔をしていた。

彼女は大学卒業間際だった。僕は彼女が大学を卒業したら、もうここには。この空間には来なくなってしまうんじゃないか。もう僕に微笑んでくれなくなるんじゃないかって。心配になった。

卒業間際に一週間通ってくれた時。毎日会えて。
温められたやかんから湧きあがる湯気を一緒に見つめた。けれど、彼女が帰る度にもう会えなくなる?と彼女に聞こうとして声が詰まった。

だって、大人しそうに見えて。凄く静かに生きてそうに見えて彼女はふらりとどこかへ行っちゃう儚さがあるから。
店主の定食の小鉢のビーツのきんぴら。そのビーツが美味しかったという理由だけで店主の友人の農家さんの元へ行っちゃったんだ。もう帰ってこないかもってカウンターの、シフォンケーキの瓶の上で泣いた。

慌ててここへやってきて、店主のカレーをテイクアウトして帰った日。チャリン席で寝そべりながら聞く耳を立てていると何やら明日から小笠原諸島へ行くと言い出した。一人旅だと言った。僕は彼女の肩に乗っかって。付いていきたかった。

だけど、僕はこの空間にいたいし、いるべきだって分かっていた。

彼女の卒業式の日。僕は少しソワソワしていた。数日前から、ネクタイをつけているお客さんが来たときは「お願いです、すこ~しだけ長居してください」と祈ってその締め方を覚えた。そして当日までに、ティッシュで僕サイズのネクタイを折れるように練習をした。きっと可愛らしい袴姿の彼女に少しでも似合うようにね。

朝からネクタイを締めて。エヘンっ咳払いをする。
彼女におめでとうって伝えるんだ。
ほんのり黄色の袴に身を包んだ彼女を見ると息が止まった。
想像以上の愛らしさだったのはもちろんあるけれど。

ピーマン味噌のおにぎりをゆっくり食べていた彼女。
チャイティーの入ったカップで冷え性の手を温めながら飲んでいた彼女。
店主の作る世界一のカレーを(本当だぜ?)他の人の半分の量を噛みしめて食べた彼女。
真剣な眼差しで本棚の前を占拠していた彼女。
淡路島での、小笠原での思い出を嬉しそうに語っていた彼女。

僕は涙を流した。
温かい涙を流した。おめでとうの「お」の字すら出てこなかった。
この空間で、誰か一人の人生をこんなに真剣に見守ったのは初めてだったから。

若造が店主になった時、それはなんというか気づいたら、だった。

だけど、今日は違う。
少し違う。
全然違う。

何週間も前から覚悟はしていたけれど、彼女は社会の中で門出を迎えた。そして彼女自身も静かにそのことを受け入れて。丁寧に装いをして、目に見える形で大きな節目を迎えた。あぁ、だから涙が流れているんだと僕は自分自身に気が付いた。

僕が彼女と初めて目が合って僕になったように、
彼女はまた一つ彼女になった。

大学生じゃなくなった彼女。
僕はもう今度こそ会えなくなるんじゃないか。そう思ったけれど、彼女はこの空間を彼女自身の手で彩ることもした。店主とは少し違う。もう少しあどけなくて、不器用で。

店主の置くどんな本よりも画質が荒い本を、彼女は自分で作った。僕は一番に読みたくて店主の隙を見計らってはページをめくった。可笑しくて、いつも土曜日に来るシュガートーストお砂糖マシマシのお客さんから、お裾分けを頂くのを忘れちゃって。気づいた時には腹ペコで苦しくなったくらい。

本を読み終わった頃、彼女は彼女のお客さんを呼んでおもてなし会をした。店主以外のお客さんは新鮮で寝ている暇はなかった。僕もお呼ばれされるか不安だったけれど、彼女はしっかり店主の見ていない隙に僕の分の賄いをこっそり準備してくれた。

僕が彼女に会える頻度は、あの大きな節目からは減ってしまったけれど、だからこそ彼女がここへ来る時、ここでの時間をとても丁寧に扱っているように見えた。少し寂しかったけれど、それでも僕はたまに会えるのが嬉しかった。

彼女のお誕生日の日。彼女はここへ来てゆっくり日記を書きながら、窓の外の雨を見ていた。きっと街ゆく人たちの傘の角度が90度で。せめて45度にならないかなってきっと思っているんだろうな。
僕は心の中でおめでとうと言って初めてルールを破った。
少しだけ彼女の飲み物を貰った。

それから、彼女が来ることは少しずつ減っていった。寒いからかな、忙しいのかな。もしかしてもう僕に会いたくなくなっちゃった?
もしかしたら何か店主が知っているのかもしれないけれど、僕のことは見えないからもどかしさだけが募る。会いたいな。

彼女がいる時、僕は僕でいられるから。
もしかすると、すごく遠く。はるか遠くの国に引っ越しちゃったのかな。

何日も来なくて暇を持て余して居眠りばかりしていた僕は、彼女以外のお客さんに少し目を向けるようになった。もちろん誰も僕を見えない。

だけど、お客さんはみんなこの空間では「自分」だった。

僕がその時食べたい店主のメニュー。
それと同じものを注文しているお客さんからつまみ食いするように、お客さんはみんな自分が食べたいものを食べていたし。
僕が本を読んでいる彼女に話しかけたように、話し相手を店主に求めた。

僕は若造と空間と外の景色だった時代を少し思い出して。
それから今の自分を考えた。

僕はもうしっかり僕だった。
彼女がいる時は僕で、彼女がいなくてもしっかり僕だった。

だけど、僕はやっぱり彼女に会いたくて。
僕が僕であることを彼女に伝えたかった。
そして、「一口貰ってもいい?」って彼女と会話をして一緒にチャイティーを飲みたかった。そんな彼女との時間を想像した。願わくは、彼女が遠くに引っ越しても僕のことを忘れないでいてほしかった。

僕はこの空間にいたくて、いるべき存在だから。それが僕だから。

そんなことを考えて今日の僕は店主の新作という桜フィナンシェをかじっていた。今日は満席が続いて僕の席はずっと店主のリュックの上だった。

あれ。この足音。もしかして。
今、からあげ屋さんの所を過ぎた足音。
セブンとイレブンどっちの数字がメインか分からないコンビニの前を通り過ぎた足音。

そして、深緑色の扉を開けたのは…

僕の。僕という存在を。
確かに見守ってくれていた証の物語を手にした彼女だった。

【僕は僕になりたくて、君に会いたい】
1人時間に寄り添う喫茶食堂kenohi:4周年記念寄稿作品

(作者)
れいちゃんのぼっち飯(の中の人) それはつまりれいちゃん

こちらの作品はこれ一人時間に寄り添う喫茶食堂kenohi4周年記念作品として寄稿したものです。

4月中旬以降、私の作品を含め
素敵な作品が集まった小冊子が販売されるそうです。気になった方は、kenohiのアカウントを
引き続きチェックしてみてくださいね。

kenohiに通って2年。
泣いたり笑ったり落ち着いたり。私の感情の全ての
きっかけを作ってくれた場所のような気がします。

店主ひかるさんを始め
kenohiを通じたご縁
出会いに心から感謝です。

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