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お姉さんの荒ぶる吐息が、用水路の水の音よりもよく聞こえた。

 あっ……!
 スーパーの駐車場を、黒のTシャツにジーンズ姿の女性が歩いていた。
 徒歩だった。昨日はママチャリだったけど、今日は歩いてきたのだろうか。まだ遠目であったが、お姉さんもこっちに気づいたみたいで、小走りし始めた。タッタッタ、この距離では聞こえるはずもないのに、お姉さんのスニーカーの音が近づいてくる感じもした。
 お姉さんは小さなバッグを肩から提げて、右手にはスーパーの袋を持っていた。大きな胸元も、上下に揺れていた。祐介は待ちきれず、自転車を手で押しながら、駆け寄った。
 夕焼けの下、祐介とお姉さんの影が近づいていく。
「ごめんごめん。ちょっと買い物してて」
 声が届く距離まで来たところで、お姉さんが息を弾ませながら叫んだ。
「今日は、自転車じゃないんですか?」
「そう! 朝、土砂降りだったじゃん。だから、バスできたんだ」
 ついにお互い立ち止まる距離まで接近して、お姉さんのハアハアと荒ぶる吐息も聞こえた。
「そうだったんですね」
「うん。あ~、疲れた。ちょっと私、もう無理だから。はい、自転車乗って」
「え?」
「早く、早く!」
 昨日みたいにここでお話をするのかと思っていたのに、お姉さんは急かすように言って、祐介のお尻を叩いてきた。
「あ、はい」
 ワケがわからないまま、サドルにまたがった。
「これ、おみやげ」
 チャリンコの前カゴに、お姉さんがスーパーの袋を置いた。
「なんですか?」
 手を伸ばして袋をめくると、長方形のぶあつい「板こんにゃく」だった。
「買ってきたんですか?」
「うん。そんなことより、早く、早く」
 ずしりと重みを感じた。それは、板こんにゃくの重みなどではない。
 チャリンコの後ろの荷台に、お姉さんが体を横向きにして腰掛けていた。
「え……っ?」
「ほら、漕いで! ゴーゴー!」
「いや……え?」
「もう早く! こんなところ、店の人に見られたら面倒でしょ!」
 腰に、手が回ってきていた。背中に、柔らかいものが密着してきていた。ふんわりとシトラス系のさわやかな香りが鼻腔をついた。
 走ってきたばかりのお姉さんの荒ぶる吐息が、用水路の水の音よりもよく聞こえた。
「あ……はいっ!」
 自分のどこにこんな力が隠れていたのかと思った。チャリンコで二人乗りなんて初めてだったけど、まったく重さを感じなかった。車輪はスムーズに滑り出し、ハンドルがぶらつくこともなかった。
 胸がいっぱいで張り裂けそうだった。青春ドラマで見たことはあったけど、放課後の学生カップルのように、チャリンコで二人乗りをしているのだ。
 興奮しすぎて、祐介はつい「俺、初めてっす! 二人乗り」と夕日に向かって叫んだ。
「そうなの? なかなか上手じゃん!」
 お姉さんも向かい風に負けないように、大きな声で返してきた。
「そうっすか!?」
 気持ちの昂ぶりをおさえられない。祐介の大声に呼応するように、田んぼの稲穂も揺れていた。
「ふふ。そういや、名前、聞いてなかったね。教えて」
 お姉さんがさらに体を押しつけてきた。たぶん、少しでも近づいて、祐介の声を聞き取ろうとしているのだろう。
「渋谷です! 渋谷祐介!」
 自分の名前をこんなにも大声で叫んだこともなかった。
「え!? なんて?」
 風を切る音で聞き取れなかったみたいで、お姉さんが甲高い声で聞き返してきた。
「渋谷祐介です!」

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(第一章 こんにゃくと、レジのお姉さん)より抜粋

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