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三谷幸喜脚本の舞台『笑の大学』について熱弁!!!

――物語の舞台は、昭和20年の日本。戦争真っただ中です。その頃、あらゆる文化が検閲にかけられ、喜劇作家の書いた脚本も検閲にかけられていました。これは、1人の喜劇作家と1人の検閲官が紡ぐ物語なのです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「三谷幸喜脚本の舞台『笑の大学』について熱弁!!!」というテーマで話していこうと思います。

◆舞台『笑の大学』


昨日、ふと観たくなって『笑の大学』という舞台を観ました。ネットを漁って見つけたんで、多分違法アップロード(笑)

三谷幸喜さん脚本の喜劇で、僕はかれこれ5回は見ています。今回はその魅力について熱く語っていこうと思います。


『笑の大学』は、近藤芳正さんと、西村雅彦さんによる2人劇で、1996年に初演が開幕した舞台です。


物語の舞台は、昭和20年の日本戦争真っただ中です。その頃、あらゆる文化が検閲にかけられ、喜劇作家の書いた脚本も検閲にかけられていました。これは、1人の喜劇作家と1人の検閲官が紡ぐ物語なのです。

検閲官は脚本の手直しを命じ、どうしても上演許可をもらいたい喜劇作家は条件を飲み1晩で書き直すのです。それを繰り返して、途中から検閲官も一緒になって、より面白い喜劇をつくっていこうとする物語なのです。


検閲官からは無理難題を出されるんですよ。

はじめ、『ロミオとジュリエット』のパロディで『ジュリオとロミエット』という脚本を提出したんですが、戦時中の日本で外国作品のパロディを上演するのはいかがなものか、と難癖をつけるのです。

そして、「舞台を日本に、登場人物を日本人にしてもらいたい」という条件を出すのです。

作家からすれば、脚本を1から書き直すことになります。しかし、「このままでは上演許可を出せない」と言われ、渋々脚本を書き直すことにしたのです。


とはいえ、いざ書き直してみると、脚本がさらに面白くなっていることに気が付きました。『ロミオとジュリエット』の舞台を日本に落とし込むことで、さらに喜劇として良くなったのです。


こんな風にして、脚本をどんどん書き直していき、どんどん面白くなっていくという話なのです。


◆ただの喜劇じゃない


『笑の大学』は喜劇なので随所に笑いどこがあるんですが、それだけじゃないんです。ただの喜劇じゃないんです。


喜劇作家の矜持。

国家権力の圧力。

戦時中という空気感。

そういったものが作品全体に横たわっているため、ある種の緊張感が漂っているのです。「緊張と緩和」という言葉があります。張り詰めた緊張がゆるむときに、笑いが起きるわけですが、この物語には常に緊張感があるので、ちょっとしたネタでもその輪郭が鮮明なので笑えるし、印象的なんですよね。


さらに、物語の終盤、ある出来事から一気にシリアスな空気になり、胸を打つ展開が待っています。ネタバレはしませんが、本当に美しい閉幕が待っています。

前に登場したジョークの1つが伏線になっていて、物語の最後に回収するのです。同じフレーズなのにこんなにも聞こえ方が違うのか、と感心します。笑えるネタが、涙を誘うのです。


細部にまでこだわりが見られて、何度観ても楽しめる、傑作喜劇だと思います。


◆身を削ってまで届けたい物語がある


『笑の大学』に登場する喜劇作家は、1週間、毎晩毎晩脚本を書き直します。検閲官に出された条件を飲んで、何度も何度も書き直し、さらに面白い物語に仕上げようと努力していました。


自分の身を削ってまでも、届けたい物語があったのです。


その喜劇作家は、喜劇を通して、1人でも多くの人を笑わせたい夢を持ち続けていたのです。その一心で、めげずに本直しに尽力しました。


身を削ってまで届けたい物語。

あなたにはありますか?


僕は今、どうしても多くの人に届けたい物語を創っています。自分が面白いと思う作品を1人でも多くの人に届けるために、いろいろ手を打ってみようと思います。

まずは、作品の完成を目指します。


最後まで読んで下さりありがとうございました。

【#324】20220520 横山黎



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