童謡『桃太郎』への違和感

おもしろいおもしろい
残らず鬼を攻めふせて
ぶんどりものをエンヤラヤ

【#182】20211229


人生は物語。
作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。

今回は「童謡『桃太郎』への違和感」というテーマで話していこうと思います。



☆童謡『桃太郎』


僕は今、新しい『桃太郎』をnoteで共同制作しようという企画を進めていることもあって、趣味が「桃太郎について調べること」という危ない大学生になっているんですが、そういえば桃太郎の物語ばっか触れてきて曲について触れていませんでした。


昨日、エハラマサヒロさんのつくった『桃太郎』について紹介しました。「ET-KING風にアレンジしたキジのアンサーソング」です。笑って泣ける名曲です。



さて、今回は童謡の『桃太郎』です。「桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけた黍団子~」でお馴染みのあれです。


実はこの曲、6番まであるって知っていました?(笑)桃太郎の物語を全部描いているので長くなっちゃったのだと思います。ちなみに、全部の歌詞を載せておきますね。

桃太郎さん桃太郎さん
お腰につけた黍団子
一つわたしに下さいな

やりましょうやりましょう
これから鬼の征伐に
ついて行くならやりましょう

行きましょう行きましょう
あなたについて何処までも
家来になって行きましょう

そりゃ進めそりゃ進め
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ鬼ヶ島

おもしろいおもしろい
残らず鬼を攻めふせて
ぶんどりものをエンヤラヤ

バンバンザイバンバンザイ
おとものいぬやさるきじは
いさんでくるまをエンヤラヤ

(引用:童謡『桃太郎』)


桃太郎の誕生のシーンはありませんが、鬼退治に出かけてから帰ってくるまでの一連の流れが描かれています。


僕が特に気になったところは、5番です。鬼退治に関して「おもしろい」と言っているんですね。ちょっと神経疑いますよね。1番2番はよく知られていますが、5番の歌詞まで知っている方は多くないと思います。僕も、調べるまで知りませんでした。


しかし、今にも残る童謡『桃太郎』には、こんなにも残酷なフレーズがあるのです。それは、時代の傷痕といってもいいかもしれません。



☆明治政府がつくらせた唱歌『桃太郎』


なんでこんな歌詞をつくって、なんでそれが当たり前に受け入れられていたかというと、この童謡がつくられたのが明治時代だったからだと考えられます。

僕も何度も何度も書いていますが、今の『桃太郎』の物語って、明治時代に固定されたといっても過言ではないのです。それまではいろんな物語があったんですが、「鬼退治」に重きを置いた『桃太郎』は、明治時代につくられたのです。


というのも、当時の日本は強い国づくりを目指していたので、とにかく強く在りたかったわけです。それはもちろん軍事的にもいえることで、強さが一番に求められていた時代ですから、将来を担う子どもたちにその教えを説くために、『桃太郎』は教科書に載り、今回紹介している童謡『桃太郎』がつくられたわけなんです。


明治時代といえば、日清戦争とか、日露戦争とか、第一次世界大戦とか、決して小さくない戦争がいくつかありました。この時期は、日本は戦で負けていなかったので、「強さこそが偉大」という思想が支持されていたことでしょう。


だから、鬼退治のことを「おもしろい」といっても、受け入れられていたのではないでしょうか。


多くの一般市民も「強さこそ正義」という考えでいたからこそ、自分の子どもには強くなってもらいたいという願いをかけていたのかもしれません。


とにかく、「鬼退治=面白い」を許容できる時代だったわけですね。



☆今、「鬼退治=面白い」は通用しない


さて、では今はどうでしょうか。

ちなみにですが、僕は今実家に帰っていて、試しに妹の隣で童謡の『桃太郎』をYouTubeで流してみました。妹は携帯でゲームをしていたんですが、5番の歌詞「おもしろい」を耳にした瞬間「……面白い?」と疑問の声を上げました。ゲームに夢中になっていても、違和感を覚えるほど「鬼退治=面白い」は受け入れらなかったわけです。


今を生きる人だったら、この感覚は持ち合わせていると思います。


悪いことをしたやつを退治するのは分かるけど、それを「おもしろい」と思う桃太郎には抵抗を覚えますよね。

ちょっとしたフレーズに帝国主義、軍国主義の名残を垣間見ることができます。僕らのつくる桃太郎はそんなイメージを綺麗サッパリ払拭したいなあと考えています。


争いに燃えるヒーローではなく、共に生きることを選ぶヒーローを描きます。


興味を持たれた方は、是非、下のマガジンを覗いてみてください。


最後まで読んで下さりありがとうございました。
横山黎でした。



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