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私が本当に欲しかったもの・・・

最近は特に”自分と向き合う”時間が増えました
「私はだぁれ?」
「私はナニモノ?」
「私は生きていてもいいの?」

6歳の時に母が家を出ていきました
多分、その前から
嫁姑問題もあり
子どもの頃から大人の顔色を見ながら生きてきました
父からは「子供らしくない」と言われましたw
祖母からは「おまえ達のせいで娘は出て行ったんだ」とも。

私ってね。
「誰かの為に」しか生きてこれなかったんです。
私の存在意義は「誰かの為
だから
『あなたはどうしたいの?』と聞かれるのが
最も苦手です

一時期は仕事に逃げ
完全なる「ワーカーホリック」になって
一度では懲りることも無く
なんどもぶっ倒れていました。
何故って?
仕事していたら「存在意義」が得られるから。

でも、この歳になり
いよいよ・・・
今までこなしてこれなかったパラレルに入った模様でw
(パラレルか輪廻かはお任せします)
”私”という存在を見つめています

一つだけ
先ずは一つだけ出た”私の願い”

仲間が欲しい


今はまだ
「不思議」と処理される能力が覚醒して
どうしていいのか分からず
本当に苦しい時を感じていました

いつも相談している真言宗の僧侶に相談しても
「おまえが”間違いない”と感じたらそれでいい」
・・・って。Σ(・ω・ノ)ノ!
・・・そ・・・それからどうしろと??
其れが欲しいのに・・・

ちなみにその時の状況を他のブログサイトで
記してました

ネットで知り合ったとある女性の周りには
いつも話し合える人たちが居る
本人は自覚していないけど
巫[かんなぎ]であり、審神者[さにわ]が何人も居る
羨ましかった・・・
ただただ羨ましかった
点と点が重なり一つの問題が解決されていくのを
観ていたら、本当に”いいなぁ”と思っていました

私はニンゲンが嫌いで
人から見たら「誰とでも話す」愛想のよい人間と思われている
でもニンゲンが嫌いだった
人の感情が一番ダメージを喰らうから

そして人の気持ちや願いをいち早く察知してしまうから
自然と「その人の為に」動くことになる

だから、ご縁がありそうな出逢いですら
切ってきた
自然に「その場限り」で切ってきた

私から望めば、きちんと繋がっていたのかもしれない

なんで?って聞かれたら
「もしも裏切られたら辛いから」
気が付いたら悪者にされていた
気が付いたら私のせいになっていた

でもね。
「火のない所に煙は立たぬ」
私にもなんらか原因があったのだろうね。
いっそ、人のせいにできれば楽だったのかもしれない。
でも、そうなると私は「私のせいだ」と思う癖があるの。
だから「自分をこれ以上傷つけないよう」
人との縁は切ってきた。

いつもベッタリで
いつも一緒の行動をして・・・
なんていう「仲間」ではなく
前を向いて、お互いに向上しあえる。
時には励ましあって、時には苦言を呈して
そんな仲間が欲しい

そもそも年齢や性別などは気にしないから
若くてもその人が私が凄いなぁと思えるのであれば
それで充分・・・

皆それぞれ個別に動いてていい
でも「この時」という時には
語り合えるような・・・

疲れたら
素直に「疲れた」と言え
一緒に過ごして
「よし!元気になった
じゃ またねぇ~」
みたいな。。。。

さて。
願いは出たからどうやっていくのか
これから考えていきます

でもなにせ
「自分の意志で動く」ことをしていない人生
どうやっていけばいいのかもわからない

でもでも
「私が望んだこと」が出てきたから

此処に[言挙げ]します



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