自決

訃報が続く。ネット上では色々な憶測が飛び交っていて、根拠もない情報なのに何となく引っ張られ、正直信じそうになってしまう自分もいる。でも、私が思うことはひとつ、死の選択肢が他の人よりも少しだけ近くにある人間が、この世には一定数存在しているということだ。

私は心を病むと、本来とても狭いはずの死への道が、ひらけてくる。気づいた時には生への道と死への道が、同じくらいの幅で自分の前に続いていて、これまでは間違いなく生を選べてきたはずなのに、じきに答えを出せなくなる。ふと、死へと足が向いてしまうことがある。


こんなことが、一年前にあった。


わたしは、そのとき処方されていた睡眠薬を沢山のんだ。水とともに流し込み、すぐにベッドに入った。ふしぎと、とても冷静に「遺書書いてないな」「家族はびっくりするだろうな」と、そんなことを考えながら、眠りについたと思う。


気持ち悪さが襲ってきて、起きてしまった。胃の中のものを空にしても吐き気は続き、その後5日間は脳はふらふらとしていた。


自殺に失敗した人間が私。成功すれば良かったとか、むしろ失敗して良かったとか、ふしぎと今はなにも思わない。あの瞬間、一度「無」となり、また私の前に道が生まれ、続いているだけ。

生き残ったというより、続いた道を今歩いているだけだ。そこに意思はなく、ただすこしの責任感と愛と苦しみによって、現在のわたしは構成されている。


成功してしまった人たちも、案外こんなものではないかと思う。たまたまうまくいった。自殺とは、スーパーでサニーレタスを手に取るような気軽さで近くに来てしまうものだ。



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