写真集の発売、人気サイトでのコラム連載。成功の道をたどる片渕ゆりさんに聞く夢を叶える秘訣
「好きを仕事にしているあの人の物語」をテーマにインタビュー記事を投稿する「one's story」。
3回目となる今回は、私の友人でもあり、写真家・ライターとしても活躍する片渕ゆりさんにオンラインでインタビューを行いました🎙
副業での活動を経て、フリーランスで写真と文章を仕事にしているゆりさん。雑誌「GENIC」のwebサイトで旅コラムの連載をもち、昨年4月には初の写真集も出版されました。
そんなゆりさんに、これまでの経歴の振り返りと、夢を叶える秘訣についてお伺いしました。
写真と文章。2つの軸で活躍する現在
改めまして、片渕ゆりと申します(笑)
今は、写真と文章の2本の柱でお仕事を受けています。どちらかだけということはあまりなくて、写真と言葉をどちらも提出するパターンが一番多いかなと思います。
最近はオミクロン株の影響で旅行系のお仕事は難しくなっているのですが、過去の旅関連のコラムを書いたり、旅の写真素材を提供したりもしています。
変わり種でいうと、写真とコーヒーのコラボで、コーヒーのパッケージに写真を載せてもらうことも去年はやらせてもらいました。
そうですね。ここ1年くらいは、自分でリサーチして書くライティングよりは、エッセイの依頼が多いですね。
過去にはインタビューなどの裏方的なお仕事も行っていました。それはそれで好きだったのですが、スキル面での仕事の広げ方が分からなくなってしまって……。自然と今の形におさまった、という感じですね。
読書が好きだった子ども時代。実は文章を書くことは好きではなかった!?
子どもの頃からハリーポッターが好きで、本を読むことも好きでした。言葉が好きだなという認識もありました。
でも文章を書くのが好きだと思ったことはなかったです。10代のころは、テストで文章を書くとか、読書感想文を書くとか、書かされる文章が多かったので、好きで書いていることはあまりなかったですね。
どちらかというと苦じゃないという感覚のほうが近かったのかもしれないです。交換ノートや日記など、縛られていないところで書くことは好きだったので。
積極的に「私は言葉で生きていくぞ」みたいには思っていなかったです。
ほかに取り立てて「これができます」といえるスキルもなかったし、地方の大学だったので都内の同世代の子たちのようにインターンもしていなかった。押し出せる経歴もなくて、消去法でメーカーのコピーライター職に就いたという感じです。
めちゃくちゃ難しいです!自分の中にある言葉の貯金みたいなものって、現状維持だと減るなと日々体感しています。
そうなんです。増やしていかないと減りますね。放置するとエネルギーが減るタイプのゲームってあるじゃないですか。イメージとしてはそんな感じです。
補給すると増えるけど、使わない言葉ってどんどん忘れていっちゃう。ここ数ヶ月小説系の本から離れていて、昨日久しぶりに小説を読んだら「あ、自分の語彙すごく狭くなっていたな……」と感じて。
書きたい文章のお手本やこういうのいいなという本を、定期的に一定の量取り入れることをやっていかなきゃいけないな、と昨日ちょうど反省したところでした。
「ものすごくエッセイ・コラムがやりたい!」と目指してきたというよりは、結果として今の形になったので、模索しながら続けているという感じですね。
写真の原点は高校時代。はじめて握った一眼レフ
写真に出会ったのは高校2年生の学園祭のときです。当時、実行委員に入っていて、オープニングムービーを作る担当になったんです。写真部にカメラを借りて、写真部の顧問の先生と一緒に、みんなが学園祭の準備しているところを写真を撮ってまわって。その写真をつなぎ合わせて1本の動画を作りました。
そのときの体験が原点になっているなと思っています。当時はスマホもなかったし、学校へのカメラの持ち込みも禁止だったから、日々の記憶を残すことってなくて。生まれてはじめて一眼レフを持って、夕暮れの靴箱とか、誰もいない教室を撮っていたら、当時エモいという言葉はなかったけど「エモい……!」という気持ちになりました。その感覚は今も忘れられないですね。
でも当時高校生で、お小遣いでカメラを買うなんて夢のまた夢だったから、大学生になったらお金を貯めてカメラを買うっていうのが、うっすらと自分の中で夢になったんです。大学の合格発表の日にヨドバシカメラへ行って、念願のカメラを買って、大学生活とともにカメラ生活もスタートしたという感じです。
ないですね。写真も文章も向いていると思えたことはないです。
でも写真に関しては、ちょっと開けたなと思ったことはありました。学生時代は独学でやっていたんですが、社会人2〜3年目のころに、SHElikesやLovegraphの養成講座を受講しはじめて。講師からフィードバックをもらうようになって、「ここ直したら?」と言われたところを直すことを繰り返していたときに、「あ、なんか自由になった!」という感覚がありました。
なりたい自分に会いに行こう
一番形になったのは、1000字のnoteを500日毎日続けたことですね。
それ自体は仕事ではなかったけど、そのときを見ていてくれた人がフリーランスになってからお仕事をくれたり、縁をつないでくれたりというのはありました。明確にフリーランスになるための準備ではなかったけど、結果それが一番お仕事につながったと思っています。
写真でいうと、個人で声をかけさせてもらって撮ったり、声をかけてもらって撮ったり。ひっそりと練習していました。期間でいうと1年くらいですかね。
練習を続けているうちに、「旅の記事を書きませんか?」と依頼してもらえるようにもなりました。細々とではありましたが、会社員時代に副業のような形でお仕事をすることが増えていきました。
写真集を出したいというのは高校生のころからの夢でした。
夢を叶える秘訣の一つは、やっぱり口にすること。私が写真集を出せたのも、一昨年の誕生日に酔った勢いで「誕生日だから言うけど、写真集を出したい!」とツイートしたのがきっかけで。
それをたまたま出版社の方が見てくださって、話が進んでいきました。口に出すことで自己暗示にもなりますよね。
もう一つは「やってみる」こと。いきなり仕事にするのが無理なら、SHElikesとかオンラインで開かれている場所もあるから、とりあえず入ってしまえば「お金払ったし、やるしかない!」みたいになると思います。
▽片渕ゆり写真集
変化したい姿に一番近い人のところに行ってみることですかね。
直接会える友人・知人であれば、「話を聞きたい」と会いに行ったらいいと思うし、今の時代だったらSNSで実現している人を見つけてコンタクトを取ってもいいし。SHElikesのようなオンラインコミュニティで、同世代で夢を叶えてる人を見つけてみるのもいいと思います。
実際にやっている人の話を聞いたり、その人をよく知ったりすることで、夢物語だったものが、自分の中の現実として捉えられるはず。話を聞く中で、自分に置き換えた場合のヒントが出てくるかもしれないし、もしかしたら「憧れてたけどこれは違うな」ということもあるかもしれない。
変化後の姿に一番近い人を探して、その人をよく知るっていうのが近道なんじゃないかなと思います。
編集後記
写真と文章。
ゆりさんを象徴する2つの要素。意外にも「自分に向いている」と思ったことは一度もないといいます。
そんな彼女が写真集を出したり、webサイトでコラムを連載したりと、夢を叶えてこられたのは、その努力と行動力にあるのだなとお話を伺って感じました。
簡単に成し遂げられないことをコツコツと積み上げてきたゆりさんだからこそ、夢を叶えられたのだと思います。
今後のますますのご活躍を楽しみにしています🤍
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片渕ゆりさんSNS
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