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7日間ブックカバーチャレンジ DAY 5

世阿弥『風姿花伝』(野上豊一郎・西尾実校訂、岩波書店〈岩波文庫〉、1958年/『現代語訳 風姿花伝』水野聡訳、PHP研究所、2005年/市村宏訳注、講談社〈講談社学術文庫〉、2011年/『風姿花伝・花鏡』小西甚一訳、たちばな出版〈タチバナ教養文庫〉、2012年/『風姿花伝・三道』竹本幹夫訳注、KADOKAWA〈角川ソフィア文庫〉、2013年/佐藤正英訳注、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2019年ほか)

 本書を読んだことがない方でも、著者の世阿弥という人物はご存知だろう。今からおよそ600年前の室町時代を生き、父・観阿弥を引き継いで猿楽、つまり現在の「能」を大成させた人物だ。それまで口授によって継承されてきた極意の数々を秘伝書という形で後世に残したものが、この『風姿花伝』である。

[原文]
此芸、その風をつぐといへども、自力よりいづるふるまひあれ、語にも及がたし。そのふうをえて、心より心に伝る花なれば風姿花伝と名付く。
[通釈]
この芸は、先人の遺風をついでゆくべきものではあるが、自力によって案出するわざもあるから、言葉で説き尽すということは困難である。そのやりかたを習得し、以心伝心たるべき花なのである故、これを風姿花伝と名付ける。
(講談社学芸文庫版 p.133, 137、太字筆者)
[原文]
此別紙ノ口伝、当芸ニヲイテ、家ノ大事、一代一人ノ相伝ナリ。タトヘ一子タリトイフトモ、フキリヤウノモノニハツタフルベカラズ。家々ニアラズ、ツヾクヲモテイヘトス。人々ニアラズ、シルヲモテヒトヽストイヱリ。コレ万徳了達ノ妙花ヲキワムル所ナルベシ。
[通釈]
この別紙の口伝は、当猿楽の芸において、家の一大事であり、また一代一人を限って相伝すべきものである。たとえ子であっても、器量を備えていない者には相伝すべきではない。家といって、ただ家屋があって、人が住めば家だというものではなく、伝統を伝えるものをもって家とするのである。人も単に人だというのでなく、知るところある者が人らしい人なのである、といってある。これこそ万徳了達の妙たる花を極めるところであろう。
(同上 pp.210-211、太字筆者)


 お気づきかもしれないが、本書のキーワードは「花」である。最初から最後まであらゆる箇所に、この「花」という語が散りばめられている。いったい、どのような喩えなのだろうか。世阿弥はこう記している。

[原文]
ソモ/\(筆者注:ソモソモ)ハナトイフニ、バンボクセンソウニヲイテ、四キヲリフシニサクモノナレバ、ソノトキヲエテメヅラシキユヱニ、モテアソブナリ。サルガクモ、ヒトノココロニメヅラシキトシルトコロ、スナハチ、ヲモシロキコヽロナリ。ハナト、ヲモシロキト、メヅラシキト、コレ三ツハヲナジコヽロナリ。イヅレノハナカチラデノコルベキ。チルユヱニヨリテ、サクコロアレバメヅラシキナリ。
[通釈]
そもそも花というものは、あらゆる草木において、四季それぞれの時節に咲くもの故、その咲くべき時に咲いて珍しいから賞讃するのである。猿楽の花も、人の心に珍しいと感じさせるところが、つまり面白いと感じさせるものである。花と、面白いということと、珍しいことと、この三つは同じ意味である。どんな花でも必ず散り失せる。散るからこそ、咲く時分には珍しいのである。
(同上 p.176, pp.179-180、太字筆者)

 この「花」の伝承こそが能楽史の中で『花伝書』が編纂された経緯であり、その中の白眉たる『風姿花伝』の眼目なのだろう。

 また、世阿弥は「秘すれば花なり」と言い、秘伝の意義を説いている。公に知らしめず秘事とするからこそ価値が生まれ、人々の心に感動をもたらし、結果的に伝統芸能として現存しているというのは、見事な逆説であるといえよう。


 本書からは、単なる能楽論としてのみ解釈するには余りある洞察が得られる。一道を極めようとする者において、手元に一冊置いておかない理由はない。

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