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⑤英雄的なリーダーシップとメサイアコンプレックス

前回の記事↓


固定観念としての「英雄的なリーダーシップ」

ここまでは、「メサイアコンプレックスとサービスの提供」という視点で見てきましたが、次は「メサイアコンプレックスとリーダー」というトピックについて考えていきましょう。

リーダーとは、関わる人々を”導く”立場であり、その場の課題に対する答えに最終的な責任を持つ立場です。リーダーはフォロワーに対してより高い地位(ランク)で指示したり、または手助けしたりすることが暗黙の了解となっている存在です。

ここでの「リーダー」は必ずしも「社長」や「代表」のような肩書きを持っている人に限らず、非公式な関係性であっても、その場に最終責任を持つ人や、その場面で人を導く人、というくらい広い意味合いでとらえてください。

今回はそんなリーダーという役割とメサイアコンプレックスの関係についてみていきます。

リーダーはその立場上、必然的にその地位(ランク)がその場において高くなります。それは、リーダー本人は感じないかもしれませんが、フォロワーからすると、その地位(ランク)の差を如実に感じるので、リーダーが高圧的な態度であるとかそういうことに関係なく、リーダーは勝手に地位(ランク)が上がり、下の人はどこか圧を感じると考えると良いでしょう。

ここからが本題ですが、人よりも地位(ランク)が上がる状況で、リーダーは簡単に「英雄的なリーダーシップ」を発揮することに陥りがちです。”陥りがち”と言うか、そもそも世の中の「常識」とされているリーダーシップ像が「英雄的なリーダーシップ」像ですので、ある意味現代でリーダーになる機会では、必然的に「英雄的なリーダーシップ」を発揮しようとしてしまいます。そのため、人が「リーダー」の立場となり、「リーダーとして頑張らないと!」と思えば思うほど、世の中の「英雄的なリーダーシップ」像に引っ張られます。

では「英雄的なリーダーシップ」が何のことを指しているか説明しますと、それは、集団のリーダーがあらゆる問題を解決してくれる「ヒーロー」のようにふるまい、そのフォロワーたちも「あの人はなんでもできるから、とりあえずあの人の言うことを聞いておこう!」と妄信的になりやすいリーダーシップの在り方です。

必ずしもリーダーが「ヒーロー」のようにふるまっていなくても、フォロワーがリーダーを「ヒーロー」のように崇めることで、気づかないうちにリーダーの在り方が「英雄的なリーダーシップ」に変化していることも考えられます。

英雄的なリーダーシップのイメージ
・目標達成にすべてをかける
・抵抗勢力は圧倒的な能力と魅力で吹き飛ばしていく
・大儀を掲げる
・自分(たち)なら絶対にできると信じさせる
・私についてくれば全てうまくいくと断言する。または言葉にされていなくてもそうした雰囲気が醸成されている。

「英雄的なリーダーシップ」の何が問題かと言いますと、それはこれまで見てきた「メサイアコンプレックス」と深く関係してきます。


メサイアコンプレックスのおさらい

メサイアコンプレックス

これは自己肯定感の低さに起因すると言われています。自己肯定感が低く、自分には価値が無いと無意識に信じているとき、人は他者を助けるときに自分が一時的に優位な立場に立つことを快感として感じることがあるのです。

一般に人助けには、潜在的に「メサイアコンプレックス」が発生する余地があると考えられます。なぜなら我々が人を助けるとき、基本的には助ける人がその場では一時的に高い地位(ランク)となり、支援される側が一時的に低い地位(ランク)となります。支援される側は実は自分の「できなさ」への直面を迫られており、一時的にでも精神が繊細な状態になります。もし支援を行う側が、その時の地位(ランク)の差に優越感を覚えてしまい、人を助けることそのものではなく、その優越感を味わうために支援を行い出すと本末転倒です。こうした関係性は、支援の関係ではなく、虐待に近い関係(心理的な 奴隷関係)であると言えるでしょう。

特にヒーロー(英雄)としての立場に人が立つことは、それがどんなに健全でも、相手に「あの人はすごい人だ!」と思わせます。すなわち助けられる側の人は潜在的に「あの人は私に無いものを持っている。」という感情や、さらにその奥に「私には何かが欠けている。私は1人で自分の問題に対処できない。非力な存在である。」という感覚も味わうことになります。つまりメサイアコンプレックスにのまれた状態で人を支援することは、相手に「できない」という烙印を無意識に押し、実際に相手の成長機会を奪うことで力をつけさせないこともあるということです。

(↑こちらの記事より引用)


大儀で隠れるものがある

メサイアコンプレックスの問題点は、支援をする人間が、一時的に(または永続的に)発生する地位(ランク)の差に優越感を感じ、その感覚を求めるために支援をするようになってしまうことです。ボランティアなど、より純粋に”人助け”を行っていると、優越感という感覚で無くとも、「自分が必要とされている感じがする」「役に立っている感じがする」というポジティブな心象を覚え、それを報酬に感じます。

英雄的なリーダーシップの問題点とは、「リーダーが、掲げる大儀などの”目的”を達成することや、フォロワーがより幸福になることを真に目指しているわけではなく、自分の立場の優越性”やってる感”を維持するために活動を行ってしまう。」という状況に”無意識に”陥ってしまうということです。

そしてこれは、メサイアコンプレックスの説明でもでてきますが、英雄的なリーダーに対するフォロワーは、「あの人はすごい人だ!」「自分にはできない」「すごい人のもとで活動させてもらっている」など、リーダーを神格化した発言をします。

同時にそこに伺えるのは、そのリーダーに投影した自分の要素です。「投影する」とは、自分の中の満たされていない願いや欲求を自分以外の人やモノに見出すことです。この場合、リーダーに対して抱く「あの人は有能だ」「あの人なら成功する」という考えの裏には、「本当は自分も自分のことを有能だと思いたいんだけど、それは叶わない」「自分も成功したいんだけど、自分は成功できる人間ではない」などの複雑な感情が含まれます。

英雄的なリーダーは、そのヒーローとしての役割を担うと共に、人の満たされなかった願いや欲求のガス抜きとして機能しています。言い換えると、人は、自らの成功(社会的ステータス)や強気な自分・自信のある自分を、リーダーに投影することで、自分の中にあるそうした性質から目を背けます。結果的に、そうした投影される相手としてリーダーが存在することで、フォロワーが自分の欲求に向き合い自らの内に「自信」「強気」「自己効力感」などの要素を持つことを妨げているのです。”ガス抜き”として人の感情の器となる存在はいつの時代も求められますが、それによって人がより自分のことを疑ったり、欲求を抑圧するようでは、それは他者の健全な成長を阻害している存在になっていると言えます。


また、リーダーが無意識的に自分の優越感・有能感を味わうことに囚われてしまうと、長期的にみると往々にして目的を真に達成することはできず、また達成できたとしてもその効果・良い影響の波及はごく一部の人に限られる。(=ついていったフォロワーすべてが報われるとは限らない。)という状況となります。

地方の自己啓発セミナー+マルチ商法の団体や特定の政治家などは分かりやすく人を盲従させるリーダーシップの発揮の仕方をしているように思っていますが、一見倫理的な昨今の起業ブームやNPOの立ち上げなどでも、こうした注意は必要だと考えます。

「大儀を掲げなければならない」という暗黙の社会的なプレッシャーの中では、高尚な理念を掲げて簡単にヒーローという役割(ロール)を引き受け、ヒーローとフォロワーという構図を、リーダー-仲間・リーダー-顧客の間で成り立たせます。特に、企業広報の戦略の中で個人をマーケティングの材料に使うときに陥りやすいように私の目には見えています。

また、そうした集団に参加している人の中にも、あたかも自分たちは重要なことをやっているんだという感覚を抱くことがあるでしょう。
経営理念やミッションやビジョンを掲げるということが、思考停止の”善いこと”と崇められる原因もここにあるでしょう。

大儀名分を掲げた自分たちの活動が、本当に善い行いとなっているのか?と、より広い構造をとらえて自分たちを俯瞰すると、実は問題の再生産をしているだけにすぎなかったと気づくときもあるでしょう。

例えばこのような事例がありました。この方は物事を俯瞰してより深く見る内省のあり方を示しているように思います。


「人を助ける」という行為で、「助けてくれる」と顧客も喜び、関係者もやりがいを感じていて、活動がうまく回っているときこそ最も注意が必要に思います。その状況で自分たちの活動に疑いの目はなかなか向けないと思いますが、そうした状況下でこそ、メサイアコンプレックスなどの話を補助に自分たちの欲求や目的に改めて注意を向けることが、より純粋に”大儀”として掲げている目的の達成のための良い足掛かりになると思います。

”大きなことをした人が偉いのではない。
ただここに生きていること自体が非常に価値あることであると認める。”

また、英雄的なリーダーシップの弱点を補うためにも、「謙虚なリーダーシップ」など支援的なリーダーシップについて知っておくことも良いと思います。答えは無いですが、少なくともこの時代において支配的になっているリーダー像を相対化し、別の可能性を模索し、結果として自分独自のリーダーシップというものを追求していくことが、仲間や自分が求めている「目的」を本当に達成するために重要だと思います。



ここまでで「メサイアコンプレックスと英雄的なリーダーシップ」の話は終わります。

次は最終回、メサイアコンプレックスに対して我々はどう対処したら良いのか?についてです。



  

 

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