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少し長い自己紹介~リハビリとの出会い②~

株式会社H&H代表の池畑です!
前回の記事は毎度のように長くなってしまい、就職してからのことをシンプル(たぶん)に書きたいと思いますので、引き続きお付き合いください!!


初めての就職

私が理学療法士を志した時は初任給700万と求人があったのですが、ちょっと前まで本当にそんな時代があったのかと思うほど、給与は下がっていて(まあ以前が異常だったんだと思います)、びっくりしました😵‍💫

地元の方で就職しようと考えていて、横須賀の公立の病院に就職して公務員になろうかとも考えたりしました。(今の私を知っている人からするとビックリするほどの安定志向😁😁)

当時は就職は急性期に行って勉強した方が良いという風潮もあり、もれなく私も急性期を探していました。

急性期とは救急車が運ばれてくる病院のことで、手術などがたくさん行われている病院です。

なぜ急性期が良いのかは入ると良いのか就職前はよく分かりませんでしたが、入ってから圧倒的な量を経験できて、急性期が勉強になるというのも納得でした。(勉強になるかならないかは本人の選択でどうにでもなるので、環境は関係ないですが・・・😅)

急性期の病院の求人票の中に、横浜のみなとみらいにある病院が目に留まりました。

みなとみらいといえば、横浜市民にとっては憧れの場所。(横須賀市民でしたが🤣)

募集人員は1名という狭き門でしたが、こんなところで働けたらカッコいいだろうなと不純な動機でとりあえず電話連絡してみると、募集は既に締め切ったとのこと。

しかし、事務の方がすぐに履歴書送ってくれれば受け付けます!とのことで、病院を見学したりせず、みなとみらいという場所と急性期というだけでエントリーすることになりました😁

病院に初めて行くのが、面接という珍しい状況で、面接会場に行くと20名ほど就職希望者がいて、1名だし採用されるわけないか・・・と思っていたら、これまた面接で面接官と野球の話で大盛り上がり😁

なんと1名という狭き門を合格しました!!

最終的には履歴書を紙飛行機にして飛ばしたら一番飛んだという噂もあります😉

就職まで人生は口で切り開いてきたと言っても過言でないと思っています!!(今もか!!)

先輩との出会い

右も左も分からない新入社員は良くも悪くも環境に大きく左右されます。
どんな先輩がいるのかによって、社会人生活に大きな影響を及ぼします。しかし、実際の職場環境は入ってみないと分からないわけです。
そういった意味で、最近は親ガチャ、上司ガチャと言われるように職場選びも運の要素も大きいかも知れません。最悪、ガチャに外れているにも関わらず、本人が気づいていない人も多いような気がします。

安易な動機で決めましたが、私は職場ガチャ、上司ガチャで当たりを引きました。

多くの先輩が努力をし、学ぶという環境が当たり前でした。
仕事が終われば、飲みながら「リハビリとは何か?」ということを熱く語ってくれたり、患者さんがどうなったら良くなるかを共に考えてくれて、時には厳しい言葉をかけてくれる人ばかりでした。

医師や看護師の方々もとても可愛がってくれて、今でも付き合いがあるくらいです。(人に好かれる技術は長けてました😁)

そして一番良かったのはハードワークできたことです。
大きい病院の割にはセラピストの数が少なく、即戦力としてどんどん仕事を任されました。入社して1か月後には難易度は違えど先輩たちと同じ数の患者さんを担当するようになっていました。(セラピストしか分からないですが毎日21単位、時には上限の24単位、1週の上限の週108単位は当たり前)

最近は「残業しないためには、記録の時間を考えると、まあ16単位~18単位くらいが理想だな」なんて声がよく聞こえてきますが、私はそんな職場でなくて良かったと心の底から思っています。
自分の性格もあるかもしれませんが、そんな環境だったら確実に今はないと断言できます。

業務量に能力が追い付いていないので、先輩と同じ量をこなすには時間がかかるわけで残業は当たりまえ。全然終わらずに夕食後にベッドサイドでリハビリを行い、看護師さんに怒られたこともあります。(もちろん廃用など悪い影響が及ばないように順番は考えていましたよ!)
自分の能力が低いだけなので、もちろん残業代なんて請求できませんし、するつもりもありませんでした。
圧倒的な量をこなしたので、日々自分の能力が上がってくることが実感できて、もちろん上手くいかないこともあり、悩み苦しむこともたくさんありましたが、仕事が楽しくて仕方ありませんでした。
しかも、当時は4週6休で休みも少なかったですし、給料も手取りが20万を切っていました。(それなのに調子に乗って家賃10万のみなとみらいのワンルームマンション借りました!笑)

経営者の立場からするとNGな働き方ですが、権利者意識を持たずに、とことん成長を求めた当時の私には最高の環境で、不平や不満を持つことはありませんでした。(有給休暇も使ったことありませんでしたし、夏休みも消化してね!って言われて消化しているくらいでした)

どんなに忙しくても、新規の方が来れば「自分がやります!」と真っ先に手を挙げていましたし、症例が難しければ難しいほど、学びたい意欲があったので、自ら進んで担当して、先輩にフォローをお願いしていました。
そんな姿勢なので、挑戦する機会をたくさん与えていただき、失敗しても先輩たちは温かい目で見てくれ、支えてくれました。(もちろん患者さんに害が及ばないように先輩たちはサポートしてくれていました)

個人的な考えではありますが、今の若い方はある意味で可哀そうかもしれません。最も成長に重要な20代に徹底的に働くという経験ができない時代です。そもそも新卒で入った職場で先輩たちが「残業しないためには、記録の時間を考えると、まあ16単位~18単位くらいが理想だな」(もちろん質をとことん追求していたら別ですが・・・)と話し、「給料が安いなー、セラピストの将来は厳しいよ・・・」なんて言っていたら、もう最悪です。(個人の感想ですが、多い気がします)
元来怠け者で、勉強嫌いの私がそんな職場に就職していたら、完全に腐っていたと思います。

猛烈に働いて充実した日々を送っていましたが、大きな転機が訪れます。

転職を決意

仕事に不満は全くありませんでしたが、仲の良い事務の方にこっそり昇給表というものを見せてもらう機会がありました。

・大卒と専門卒では昇給率が違うこと
・年功序列なので満足いく給与がもらえるころには50歳になっていることが分かりました。

障害を持つ兄がいるので、親が亡き後は自分が看なければいけないと漠然と考えていたので、「この給料では無理ではないか?」という不安がよぎりました。

そこで組織に内緒に休みの日に理学療法士のアルバイトを始めました。(週7勤務の始まりです😁)

当時は時給も良かったので、日当で2万円から3万円くらいもらえていたので、常勤と合わせると困らないくらいになりましたが、将来のキャリアを考えた時に今のままではいけないと危機感を覚えました。

今の整った環境では自分がダメになる

そう思って、もっと厳しい環境に身を置こうと決意をし、お声かけいただいたこともあり、リハビリ科の立ち上げメンバーとして転職することにしました。

そこで、新規事業の立ち上げなどを経験し、挑戦する機会をたくさんもらいました。

給与も困らないくらいもらえていましたし、家族もできました。
ちょっと安定志向になりそうな時に、兄が亡くなりました。

初回の記事にも書きましたが、一度しかない人生、もっと人の役に立ちたい、もっと豊かになって親孝行したい、家族を幸せにしたい、色んな思いが出てきて、会社を立ち上げました。

そのあたりは会社のHPにも書いてありますので、ご興味がある方は読んでみてください😊

だいぶ長くなりましたが、こんな感じの私です!

これからも末永くお付き合いいただければと思います!!



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