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悪いニュースの伝え方(もう少し総論)

悪いニュースの伝え方について論じていく。あくまで自分の主観による部分が多いので、適宜コメントいただきたい。

リハビリテーション医療における悪いニュースの代表は「もうこれ以上機能が良くならない」である。

リハ医療に対する期待はとても大きい。たまに、とても大きすぎるとも感じる。動かなくなった手や足がまた動くようになる、元の生活に戻れるようになる。急性期医療で生命の危機をひとまず脱して、ある程度落ち着いた段階になるといろいろなことを考える。

回復期リハビリテーション病棟に転院した患者・家族には「急性期の主治医からはどのように話を聞いてますか?」と尋ねる。残念なことに、多くの方々は「入院の最初でしか会っていない」「どうなるかの具体的な話は聞いていない」「あとはリハビリ次第と言われた」などである。ほとんどの方々は何も聞かずにリハ病棟に来る。

まだ経験の浅い頃は「急性期の医師はなんと酷い人たちなんだ!」と義憤に駆られたが、これはおそらく間違いだ。説明は少なからずされている。しかし、十分に納得をしていない、もしくは頭がついていかないまま転院の流れになってしまったのだと今は思う。

リハビリテーションの役割は機能・能力の向上に留まらない。生活をするために必要な解決策を考えるのもその役割の一つだ。社会資源の活用など代償手段に関連するものに頼るケースも多い。つまり、本人の機能・能力だけでは補えない部分も検討する場面である。そこに拒否感を示す方もいる。「いずれ自分の機能・能力は回復するはずなのに、どうして代償の話をされなきゃいけないんだ」と。このギャップは真剣に考えなければならない。そして、それらを導入するために悪いニュースを話さなければならない…こういう追い詰められた状態で悪いニュースを伝えるのはとても心苦しい。

医療には説明義務がある。少なくとも現状の症状と今後の予測、起こりうる不具合も話す必要がある。医療は契約で、契約に沿う形で治療を進める必要があり、それを逸脱することは許容されない。そのためには悪いニュースに触れざるを得ない。お互いに承諾を得た状態で生活を考えることがリハビリテーションの入り口なのではないか。

こう書きながら追い詰められた悪いニュースを伝える場面は、
① 患者・家族が機能・能力の向上が思うように進まず、医療者側と何かしらのコンフリクトを生じている場面
② 代償手段(社会資源の活用)を進める・退院先を決めるために患者・家族に了承を得ておく必要がある場面

次からは、①・②を例に書いていく。
もちろん、私は追い詰められた面談は避けたいといつも願っている。ただし、私がピンチヒッター的に同席を依頼されるのはこの①と②である。
これはとても私の日常の大きな痛みだし、どうしてこうなるんだと苦々しく思いながらもこの時間を円滑に過ごすために話者以上の努力をしている。


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