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好きになるという感情の厄介さ

何か、もしくは誰かを「好きになる」というのは、感情を持つ人間として自然なことです。

しかし、「好きになる」というのは時に厄介な側面も有しています。

そんなことを10分くらいで考えてみたいと思います。

何か良い結論が導き出される訳ではないですが。


好きになるってどういうこと?

改めて定義するとなると難しいですが、あまり難しく考えなくて良いと思っています。

何かを好きになる、何かを好む、誰かに好意を抱く、といった感情ですよね。

その対象が含む何らかの要素が、自身の嗜好に合ったときに、「私はこれが好きだ」と感じる(言う)ことができるでしょう。

その辺りの定義づけにとやかく言うつもりはありません。

問題は、「好きになる」のは自分が勝手にできることだという点です。


誰でも勝手に、何でも好きになる

例えば、カレーライスが好きだとしましょう。

カレーライスの味が好きだとか、香りが好きだとか、スパイスに拘って作る過程が好きだとか、人それぞれ理由があってカレーライスが好きなはずです。

しかし、あなたがカレーライスを好きだということは、カレーライスにとっては関係がありません。

あなたがカレーライスを好きだろうが嫌いだろうが、カレーライスにとってはどちらでも良い話です。

食べ物を例に挙げて遠回りしましたが、これは他人を好きになるという問題を考えたときにより厄介になります。

分かりやすい例では、ストーカーなんかがそうでしょうか。

ストーカー加害者はある種の精神疾患のように扱われるようですが、少なくとも好意を持ったり相手に依存してしまったことから生じる状態がストーカーのようです。

誰かが誰かを好きになる。それは自然なことだし、自由なことなのですが、そこに相手の都合は考慮されていないという点が厄介だと考えています。


『愛する』になると少し違う

『好きになる』と似た言葉で、『愛する』というのがあります。

『愛する』の意味や定義を調べてみると、「それに対し愛を注ぐ」「心から大切に思う」という意味があるようです。

『好きになる』というのは自分自身の感情だけで完結できてしまうものですが、『愛する』となるとそれを受ける側の都合も考慮する必要が出てきます。

相手や対象を「心から大切に思う」のであれば、相手の気持ちを汲んだ上で、できれば相手の望む形で「愛を注ぐ」必要があるからです。

このように『好きになる』と『愛する』には違いがあり、この違いを理解しておくことで、相手や対象に対して自分が何をしているのか、何をしようとしているのか、何をしたいのか、ということを考えるきっかけになるのかな、と思います。

だから何だ、という結論ですが。


おわりに

9分56秒でした。

珍しく10分を切りましたね。

冒頭でも書いたように、何か良い結論が導き出される訳ではありませんでした。

ただ、「好きになる」というのが自分都合の勝手な感情だということを理解しておくと、コミュニケーションを取る上でブレーキとして機能することができるのかな、と思ったりはします。

では、また。


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