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「かたちある理由」〜アカシア/BUMP OF CHICKEN 感想 〜



皆さん、こんにちは。たじーと申します。不慣れな駄文がしばらく続くと思いますが、どうか、お付き合いいただけると嬉しいです。


さて、今回ですが、
タイトルの通り、BUMP OF CHICKENの
『アカシア』という曲についてお話をします。



…と、その前に。
音楽に対する、私の嗜好について
少し書きたいと思います。



私は普段よく音楽を聴くのですが、メロディに惹かれて好きになることよりも、詞に惹かれて聴き込むことになるのが殆どです。

理由は単純ですが、"ことば"というものに昔から興味があったからです。

人と人が通じ合う上で不可欠な"ことば"の意味や所在、形を考えることで、沢山の気づきや感動、閃きや発見がある。そこに魅力を感じ、私はずっと、"ことば" について思考してきました。

三浦しをんさんの『舟を編む』という小説の中で、「言葉の海を泳ぐ。」というメタファーが用いられていますが、正に言い得て妙です。

音楽を聴き、"ことば"の海を泳いで辿り着く場所は、果てしなく新鮮で代え難いものなのです。

このようにして私は、「ことばに触れながら音楽を聴く。」ということを楽しんでいるわけです。



さて、前置きが長くなりましたが、
いよいよ本題です。


お察しの通りだと思いますが、今回はこの『アカシア』という楽曲の歌詞について書いていこうと思っています。

実は、この曲と出会ってから、詞を読み解こうと思い立つまで、かなり時間がかかりました。笑

何を隠そう、この曲がポケモンのMVに使われていたからに他ならないのです。

▼2分30秒の中にこれでもかと青春が詰められた箱庭はこちら▼


何気なく視聴したこの動画に、見事に左胸ど真ん中を撃ち抜かれました。

今年で28歳になりましたが、ポケモンはゲームボーイの初代赤緑からプレイし続けてきたため、ポケモンを欠いては自分の半生を描けないほどに、日常にありふれる存在だったのです。

そして、映像の内容から作画にいたるまで本当に全てが素晴らしい。リリース以来毎日必ず視聴していて、中々離れられません。笑

そんなこんなで、ポケモンの世界に入り浸ってしまった私が、本来の『BUMP OF CHICKENのアカシア」に辿り着くまで時間を要してしまったというワケです。

ーーー

まず、この『アカシア』という曲ですが、″ことば″が大好物な私にとっては堪らないほどふんだんに盛り付けられた単語、フレーズ、その一言一言が何よりの魅力であって、ただ一つこの曲について書きたいと思った圧倒的な理由です。もう既に何度も咀嚼して味わって、お腹いっぱいです。

ここ近年で、これほどに一言一句も欠かせない詞に出会ったことはなかったと思います。ヴォーカルの藤原基央さんが書く詞は元々好きだったのですが、今までの中でも、私は『アカシア』の詞が群を抜いて好きかもしれません。

本当は余すことなくお伝えしたいのですが、詞の中でも、5つほど切り取って、ご紹介させてください。(5つでも絞るのが大変でした。)単なる自己満足に終わってしまわないように、できるだけ丁寧に紐解いていきたいと思います。


まず、1つ目。

透明よりも綺麗な    あの輝きを確かめにいこう
そうやって始まったんだよ   たまに忘れるほど強い理由

このセンテンスだけで、初っ端からもう『アカシア』の世界感に引き込まれますね。と同時に、非常に重要な部分でもあります。なぜなら、一曲を一つの旅と例えると、その旅に出る目的(理由)を歌っている部分だからです。

それが、「透明よりも綺麗なあの輝きを確かめにいこう」というわけです。では、“透き通ったものを超えるくらいの輝き”とは、一体なんなのでしょうか。

おそらくは、この「なんだろう」が
答えなんじゃないかと、私は思います。

これだ!というヒントがない以上、自分でその輝きの正体を探すことになります。でも、それで良いのではないでしょうか。

透き通った光の先に見る輝きの正体は、人それぞれ異なっているでしょう。この″ことば″に触れることで、私もそうですし、私じゃない他の人も、それぞれ大切に思っている「輝き」を想像しながら、それを探す旅を、一緒に始められるわけです。

たまに忘れるほどに、自分と一体化していて時には自分の強さに変わっている「輝き」。それはなんだろうかと考えさせられる、非常に大切なフレーズです。


次に、2つ目。

いつか君を見つけた時に   君に僕も見つけてもらったんだな

はい。もう好きです。好き過ぎます、このフレーズ。一番好きなんじゃないかな…。

これ、ようは「君と僕が出会った」という事実を表しているのですが、その出会いの中にあったであろう、心の動きが鮮明に映し出されます。僕が君と出会えたことに感謝を表すのは勿論のこと、君が僕に出会ってくれたことも、僕は感謝している。なんて素敵なんだろうと。

普段から、こういう視点の切り換えを行えることはまず難しいと思いますが、嬉しいことや感動したことを享受する時、自分からの視点だけでなく、他の人からの視点でも想像してみると、その瞬間の感動は2倍にも3倍にも出来ると思っていて。大切な瞬間は、もっともっと贅沢に味わうべきだし、それが出来るのが、″ことば″でモノを思考する人間の特権だなと思っています。


ちなみに、さきほど私はこのフレーズへの思いを「好き」と表現したのですが、この曲で本当に凄いと思ったところが、『アカシア』全編を通して、「好き」や「ありがとう」など、好意を直接伝える言葉を一つも使っていないところです。
日本語独特の奥ゆかしさというか、美しいところだと思うのですが、ことばを上手く工夫し、織り交ぜ組み合わせれば、いろんな思いを伝えられるんだなと、あらためて感じました。


次、3つ目。

ゴールはきっとまだだけど   もう死ぬまでいたい場所にいる

はあああ。もう。最高。

当たり前のようで、でも中々気づけない、とても大切なこと。
ゴールがあることは先にとらえながらも、自分が今持っている、かけがえのない大事なものがあるはず。ここもやはり、感謝や好意を示す言葉は使われていませんね。それでも、自分が冒頭でイメージした「輝き」を、一緒に共有したい人や、また新たな道筋が自ずと思い浮かばれる、そんな場面です。


4つ目。

君に会えたから見えた   あの輝きを
確かめにいこう

ここ。
Cメロですが、冒頭のテーマから
少し「輝き」の輪郭が見えてきた場面です。

僕にとっての″君″が、「輝き」に欠かせない存在だということがわかります。忘れそうになることもあるかもしれないけれど、それでもこうやって強くリフレインして、側にいてくれる″君″を思っているんだと、気付かされます。

″君″っていう日本語も、実はすごく好きで。
この代名詞は、英語では、″You″(あるいは、もっと穿ってみると″it″)と訳すしかなくて、日本語では″あなた″と言い換えることもできます。あなたやYouというと、直感的に誰か1人を限定しなければならないようなプレッシャーを与えられるのですが、″君″は随分と柔らかい。こうして、いろんなメッセージをいろんな形で伝えられる日本語を、本当に上手く使われているなと感動しました。


さいご、5つ目です。

そして理由が光る時 僕らを理由が抱きしめる時
誰より (近くで) 特等席で 僕の見た君を 君に伝えたい

ようやく、タイトルを回収できました。
そう、これは藤原基央さんの表現の中でも特に好きな部分ですが、「理由」を、まるで人やモノのように変えてしまえるところです。

ここでいう理由とは、当然この旅を始めたきっかけであり、目指すべきゴールです。その理由が光り、そして僕らを抱きしめる。ここが、『アカシア』で最も重要な場面ではないかと思っています。

ここで″理由″は、ただの概念的なものではなく、命が吹き込まれ、生き生きとかたちあるもの(人)として描かれています。それにはとても強いメッセージがあると思っていて、例えば私たちが、なにか挑戦をする中でつまづいたとしても、それを始めた時に胸に秘めた″理由″が、私たちに寄り添ってくれて、激励し、背中を押してくれることがあるのではないでしょうか。まるで、友達や家族、恋人のように。

私たちが普段支えられている人やもの、場所と同じように、″理由″もまた、確かにかたちあるものとして、私たちの心に存在しているんだということをあらためて強く感じました。

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とんでもなく長くなりましたが、なんとか書き切りました。こんなに、誰かに伝えたい、良さをわかってほしい!と感じた詞は本当に久し振りだったものですから。。

皆さんも、もし何か困っていることや不安なことがあるときは、ぜひ、この『アカシア』を聴いてみてください。忘れていた強い「輝き」を思い出す、きっかけになるかもしれません。



ここまで読んでいただき、有難うございました。


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