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団地の花子さんと死にたい死神くんの人生実況解説動画 第14話

 そうして眼球くんが震えた後は、とても健全だった。

 ジャージにティーシャツ。そんな姿で引っ越す二人。
『奮発しちゃった』と引っ越した先は、見覚えのある団地だった。狭いワンルームに置く家具は少ない。それでも工場やスーパーなどで、休む暇なく働く二人の汗は眩しかった。

 忙しい間をぬって、彼らは遊んだ。春は桜の綺麗な通りでお花見をして。夏も同じ通りで花火をして、警察に怒られていた。秋は紅葉の下でお弁当を食べて、冬は雪をかき集めて雪だるまを作る。家の近くで、決して派手な遊びではないけれど。健全に遊ぶ彼らは、いつも楽しそうで。

 春夏秋冬が一通り巡ったある晩、具のないインスタントラーメンを食べる二人は話す。

『どうして上京したの?』
『んー。なんとなく? 上京したら、何かが変わると思ったから』
『どうして、俺を誘ったの?』
『アタシと……同じ目をしてたから』

 ――行く場所がない、捨てられた猫のような目。

 小さく笑った女性は立ち上がる。そして、その場で脱ぎだした。肩甲骨がくっきりの背中。まろやかなくびれの白い腰。私はバッと死神くんの両目を塞ぐ。

「花子氏。見えませぬ」
「花子さんお手製健全動画改革です」
「それ、拙者しか改革できておりませぬが?」

 そんなやり取りしている間に、着替えシーンは終わる。真っ赤なワンピースが、団地の四畳半には似合わなかった。

『んじゃ、行ってくるね』
『行くなよ』

 食べる手を止めて、女性の手を引く青年。だけど女性はカラカラと笑って、その手を振り払った。

『言ったじゃん。アタシ借金あるんだってば。働かないと』
『俺が深夜の仕事も探す』
『アタシの借金は、アタシが返す。それが筋さ。アンタだって膝ギリギリ――』
『結婚しよう』

 女性を見上げる彼の横顔は、甲子園のバッターボックスに立った時と同じだった。

 だけど、女性は鼻で笑う。

『バカ言わないで』
『愛してる』
『……その言葉ほど信用できないものはないんだよね』

 顔を背けた女性は、小さな鞄を手に持った。

『毎晩、客に言われてるからさ』

 そして女性は高いピンヒールを履いて、部屋から出ていく。小さなちゃぶ台の上には、食べかけのラーメンが二つ。もうすっかり伸びていた。

 それから眼球くんが何度振るえても、女性が映されることはなかった。

 ただただ、一人で質素なご飯を食べる青年が映るだけ。春夏秋冬。また季節が一通り巡った頃、彼の元に手紙が届く。その封筒の中には、団地の名義人変更届けと一枚のメモ。

 結婚する。ごめん。

 短すぎる手紙を握り潰して、彼は俯いた。狭い部屋に小さな嗚咽の声が響いて。

 季節は巡る。そのたびに、彼はどんどんと老けていった。だけど眼球くんが映すのは、あの小さな部屋で一人暮らしを続ける男の姿。

 だけど、彼がすっかりおじいさんになった頃。彼に新しい日課が出来た。例の桜通りで、日中の時間を潰すのだ。ぼんやり座るおじいちゃんの眼には、何が映っているのだろう。同じものを、私は見ることが出来ない。

 なぜなら――

「おじいぢゃああああああああああんっ」

 目からボロボロ。涙で視界がぼやけているからね。

「……はい。例のごとくだんまり実況ありがとうございまする」

 明らかに呆れ果てている死神くんが、私の鼻にティッシュを当ててくれる。そのご厚意に甘えてチーンした後、私は目を拭った。

「あの女サイテーだ! そうして女ってどいつもこいつも身勝手なの⁉」
「花子氏もその女の一人なんですけどね」
「私あんな腹黒い甲斐性ないもん!」
「甲斐性ともかく、誰もが皆『自分は例外』って思ってる所が不思議です」

 私の熱弁をさらりと躱した死神くんは、眼球くんと耳惠ちゃんを片付けて「よいしょ」と立ち上がる。そして冷蔵庫から取り出した紅茶を注いでくれた。

「それ飲んで落ち着いたら、花子氏も出かける用意しないと」
「へ?」

 足された紅茶はほんのり甘いストレートティー。それをストローで飲むだけで、ほんのり贅沢な気分が胸に広がる。私は安い女なのだ。

「ご老人は労らないと、ね」

 時間はもうすぐ正午になろうとしている。
 だから――いつもより落ち着いた様子で微笑む死神くんに、私も渋々頷いた。

「死神くん、なんか元気なかったなー」

 そうつぶやきながら、私は桜通りをてくてく。おばあちゃん家はこの通りに沿っていくのが一番早い。おばあちゃんの家に行くだけなので、ジーパンにダウン。そろそろダウンは暑いかな、と思う今日このごろ。でも三月ってまた急に寒くなるから困りモンなんだよねー。

 だから、元気ない死神くんも、そういう気分なのではなかろうか。実年齢はよくわからないけど、見た目は私より年下の売れ若き青年なのだ。もしかしたら花粉症なのかも?

「帰りにマスクでも買って帰る……」

 そんなトンチな思案をしているにも、理由があった。

 だって、だってね――ほらいた。やっぱいた!
 今日も『あのおじいちゃん』はベンチに一人座っているんだもん!

 嫌でも目に入っちゃうよね⁉ あんな悲しい過去を覗き見しちゃった後に、儚げなおじいちゃんの姿見ちゃったら……見ちゃったらさ……

「うぅっ」

 緩みそうな涙腺をしかめっ面で我慢して、花子は脱兎のごとく走り抜ける。逃げたのではない、これは戦略的撤退だ。これからおばあちゃんに会うというのに、泣きっ面してたら面倒なことこの上ない。

 そうでなくても、どのみち面倒くさいのだから。

「アンタいい歳して、なんでそんな息切れてんだい」
「こう……急に走り出したくなる、お年頃なのですよ……」
「二十歳超えたいい大人が何言ってんだ」

 いい歳してぜぇはぁする孫を渋い顔で迎えくれてくれるおばあちゃんこと、藤原ヨネ子。七十ウン歳。少し背筋が曲がってきたものの、ピンピン一人で元気に暮らすおばあちゃんです。玄関から入ってすぐのうちより綺麗な台所では、まな板の上に切っている途中の人参があります。ご飯が出来るまで、まだまだ時間がかかりそうだな。

 その視線に気が付いてか、おばあちゃんはますます渋い顔をする。

「まったく。急に来るんだから。家出るまでに連絡のひとつも入れられないのかい」

 いや、そっちが来いと言ったから来てやったんだが?
 言い返すと後が面倒だから、素直に「ごめん」と謝っておくけどさ。

 ともあれ私が玄関を上がれば、おばあちゃんは「やれやれ」と再び台所に立つ。その間にやることと言えば、あれだ。

「おばあちゃーん。おとうさんに挨拶するよー」
「その前に手ぇ洗いな」
「はーい」

 言われた通り洗面台で手を洗う。ほんとおばあちゃんの家、うちより綺麗なんだよね。所々に手すりが付いているバリアフリー仕様。まぁ、おばあちゃんの場合はその手すりがタオルなど小さな洗濯物干しスペースになっているのだが。

 そんなこんなでリズミカルに包丁を動かすおばあちゃんの背を抜けて、奥の部屋へ。畳まれたお布団の隣にあるのは、小綺麗な畳部屋に不釣り合いの仏壇だ。今日も綺麗なお花の真ん中に、おじさんと呼ぶには少し早い男性の顔がある。藤原宗一郎。享年二十九歳。笑った顔が幼いなかなかイケメンの父親だ。職業もお医者さんだったというし、生きていたら今頃イケオジになってたんだろうなぁ。まぁ、父親に萌える娘なんて我ながら気持ち悪いが。

 あと一緒に飾られているのは、小太りのおじいさんだ。藤原宗近。享年……七十三歳だっけ? でも今のおばあちゃんより年上だったはず。ツルッパゲが神々しい。並ぶお父さんに比べたら鼻の形以外似てない地味顔。でも、おでこの三本線とツルッパゲ以外にに目が行かないから問題ないね。

 私はチーンとあの叩くやつを叩いて、そんな二人の遺影に手を合わせる。

 ハロー、おとうさん。どうして私にその頭脳と顔面偏差値をくれなかったんですか。そうのせいでもあるようなないような色々とある毎日ですが、それでも今日も花子は元気です。

 ハロー、おじいちゃん。どうかそのハゲ遺伝子が私に受け継がれていませんように。女でハゲは人生辛いぜ。これ以上勘弁してください。 

 そう挨拶して、目を開ければ――仏壇に、缶詰が置いてあった。サバ缶である。

 元から変な趣味のおばあちゃん。お供え物はなぜか缶詰ばかり。ホタテ缶とか、カニ缶とか。おばあちゃん曰く、缶詰は腐らないずっと美味しいから、いつお父さんたちが食べてもいいように、との配慮かららしい。

 それでもちょっとお高い系の缶詰が置いてあったはずなのに。サバ缶はさすがに安すぎないかい?

「おばあーちゃーん。さすがにこのお供え物はないんじゃないの?」
「はあ?」

 冷蔵庫から何かを取り出そうとしているおばあちゃんの顔が向く。おばあちゃんはやっぱりむくれていた。

「最近アンタが勝手に持ってくからでしょーが。アタシだって年金ぐらしなんだよ!」
「え? 私が泥棒扱い?」

 んな馬鹿な。おばあちゃんの家に来たのは、お正月以来だぞ?
 それでも、おばあちゃんはプンスカ怒り続ける。

「アンタ以外誰がいるというのさ――そんなくだらないこと言ってるなら、ネギを買ってきとくれ! それでチャラしにてやるよ!」
「えぇ~」

 そんな理不尽な。そもそもお昼ごはんに呼んだお客様をお使いに行かせるなんて。

 だけど、おばあちゃんと喧嘩して勝てたことはなし。
 私は渋々腰を上げる。



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