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団地の花子さんと死にたい死神くんの人生実況解説動画 第10話

「どうしてこうなった?」

 私はきちんと言ったのだ。ちゃんと今どきの化粧で可愛くしてね、と。
 それなのに、私を仕立て上げた鏡越しの死神くんはドヤ顔だった。

「だから、化粧はちゃんと『イマドキ』ってやつを勉強したじゃないですか」
「じゃあどうして私は着物を着てるんだあああああああああ⁉」

 厳密に言えば、着物じゃない。着物のような……洋服になるんだろうか? 首周りは緩く、だけど太い帯はキツく。裾は膝丈。黒タイツとブーツを履いているから、防寒対策に抜かりはない。

 ラジカセは今日も真っ逆さまに落ちそうなゲラゲラを流している。ほんと堕ちるぜ、この衣装。笑えない。踊れない。私のガラスの足元はあっけなく割れる寸前。

「どこからこんなコスプレ用意したの?」
「そこは死神ですから」
「答えになってないんですけど⁉」

 鏡から振り返れば、いつもよりサラサラの髪がふぁさっとはためく。こないだと違い、髪型はいつものボブなんだよね。

「大丈夫ですよ。きちんとギリ合法的な所から用立てたので」

 そ、その答えがめっちゃ怖いのですが……。死神くんがミハエル様よりちょっと丸い鼻を高々にしているので、それ以上はツッコめず。

「でも、お化粧は花子氏のご要望通りでしょう?」

 そうなんです。お顔は津田さんバイブル雑誌のまんまなのです。だから今ひとつ強く言えず……そこはお疲れ様でした。この一週間ずっと雑誌とにらめっこしてくれてたもんね。私も私のお財布ちゃんも頑張ったけど。

 化粧道具は、津田さんと一緒にドラッグストア行って買ってきた。予算は五千円。うん、終始しかめっ面の津田さんが頑張ってくれたよ。

 津田さん……あの時『本当に自分で出来るの?』と心配してくれたけど、ダメだったよ……。お化粧は綺麗なんだけど、お顔が良くても服がダメダメだったよ……。

 だけど、何の計らいか。すでに当日の土曜日。待ち合わせまであと一時間の夕方。当然着替えたりする時間はありません。同じ都内なのに繁華街まで一時間掛かるのが我が愛すべき地元クオリティですからね。どこから用意した黒い毛皮のコートをはおらせてもらい、私は満面の笑みで背中を押される。

「いってらっしゃい。僕らも花子氏の勇姿、見守ってますからね」

 死神くんの肩には、眼球くんと耳惠ちゃんがちょこんと乗っていて。
 ……もう、我は何も言わん。好きに何でも撮ってくれ。

 だって、電車でガタゴト揺らている時当然白い目で見られるけど、一人じゃないって方が心強いもんね。私には仲間がいる。今も見えない姿でイケメン死神くんたちが見守ってくれている。それだけで、花子は強く――なれるわけはないんだけどね! あああああ、地下鉄よ、光速を超えろ! なまじ微妙にスカスカな混み具合だから余計に目立っている気がするんだ。居たたまれないっ!

 そんなこんなで、行くだけで疲れた花子なのですが……試練はもはやこれからです。

「花子さん……今から行く所、幕張じゃないっすよ」

 でーすーよーねーっ‼
 うん、知ってる。今からこのたっかいホテルの上の方へ登っていくの聞いてる。なんか中華らしいよね。そこはおフレンチとかじゃなくて良かったな、と思ってるけど。だってテーブルマナーとか知らないしさ。

 私が汗ダラダラで視線を逸していると、スーツの中に青のチェックシャツを着た橋元くんが吹き出した。

「ま、しゃーないか」

 灰色のオシャレネクタイを少しだけ緩めた橋元くんが、私の手を引く。お、男の人と手を繋いじゃった……どうしよう。汗でぬるぬるしてないかな。男の人の手って、こんなに固いものなんだっけ?

 私は手を引かれるがまま、視線をあちこち迷子にさせるだけ。なんかキラキラしているエレベーターを待っていると、橋元くんが訊いてくる。

「ところで、花子さんのハンドルネームってなんすか?」
「え? たいてい『ナナシ』にしているけど」

 いきなりなんだろ? フレンド登録でもしたいのかな? さすがにIDまでは覚えてないなぁ、と私が携帯を取り出すも、握られた手に力を入れられる。

「名無しの『ナナシ』?」
「え、あ……うん」
「へぇ。じゃあ、今日は俺『なな』って呼ぶんで。苗字は……田中でいっか。呼んだらちゃんと返事だけしてくださいね」
「あ、はい……」

 私は『なな』。のっと花子。あいあむなな。いいな、ななちゃん。可愛いな。田中なな。めっちゃいいじゃん。誰だよ、御手洗花子って。くそー。

 そんなこんなで、二十五階。エレベーターから下りると、橋元くんは私からパッと手を離し、小走りでお辞儀をした。

「お待たせしてすみませんっ! 植田支店長」
「ははっ、自分が早めに来ただけだから。そもそも自分が無理を言って……」

 四十代半ばくらいかな。私の担当の課長代理と同じくらいのオジサン。だけどほよん、とした雰囲気はなく、浅黒い体育会系なオジサンだった。頭が坊主だ。つるつるではなく、数ミリ生えているけれど。

 そんな支店長さんが私を見て、目をパチクリ。小粒な目が意外と可愛い。

「か、彼女が……?」
「紹介遅れてすみません。この人が俺の婚約者の田中ななさんです」

 紹介されて、私も頭をペコリ。一応「はじめまして」と言おうとしたけど……急に口が乾いて、ボソボソとしか聞こえなかっただろう。そんな私を、橋元くんが笑顔でフォローする。

「彼女、すごい人見知りでして。今日も無理を言って来てもらったんです」
「あーそれはすみませんでした。と、とりあえず中には入りましょうか」

 なんか支店長さんの愛想笑いがぎこちないけど、花子気にしない。花子悪くない。花子仕事した。後はしずしずタダ飯を食らうだけ……タダだよね? 支店長奢ってくれるよね……? 確認してなかったけど大丈夫だよね。お財布には三千円しかなかったと思うけど開けずに済むよね⁉

 そんな恐怖にヒヤヒヤしながら、連れて行かれたのは個室だった。うおー、これが噂の回るテーブル。「適当なコースでいいよね?」と支店長が勝手に注文する。

「田中サン、お酒は?」

 このテーブル、勝手にグルグルしたらダメだよなー。回したいなー。遊園地のアレみたいにこっちもグルグル回ったりしたら面白そうだなー。あのコーヒーカップの乗り物なんて言うんだっけ?

「田中サン?」
「ななさん」

 支店長の直後の橋元くんの声でハッとする。
 あらやだ。私が『タナカナナサン』だったわ。

「ハイ、ワタシがタナカ|ハナ(・・)です」
「……すみません支店長。彼女、本当に緊張しいなんです。自分の名前を間違えるくらい」
「そうみたいだね」

 なぜか謝ってる橋元くんが「彼女酒抜きでお願いします。悪酔いしやすいタイプで」とかなんか言って、そこから談笑が広がっている。うん、とりあえず私も年上のお姉さんらしくニコニコしていよう。勝手に私の空想悪酔い秘話が繰り広げられている気がするけど気にしないぞ☆ なんたって、私年上だからね。

 とかなんとか言っている間に、ご飯がどんどん出てきました。なんか……なんか凄いぞ⁉

 フカヒレ? この固まった春雨みたいなのが噂のフカヒレですか? お出汁の効いたスープに浸る柔らかい春雨……うん、春雨だな。いいお出汁。

 今度は北京ダックですか? お店のお姉さんの説明どおりに皮に巻いて……ぱくん。うん、美味しいタレ! このタレ美味しい。パリパリに焼かれた鶏皮みたいで美味しいぞ! 一口で終わったけど! あれだけ丁寧に説明してくれたのに、たったの一口でおしまいだと?

 そうしている間にも回転テーブルにはどんどん野菜炒めやエビチリや炒飯らしきものが並べられていく。

 これが本当の満漢全席! 凄いなぁ。全部どこか上品すぎて物足りない感があるけど、きっと全部美味しいんだそうなぁ。

「田中サン、お仕事は服飾関係なんですか?」

 支店長からの質問に、私はもぐもぐを呑み込んでキョトン。
 なんで服飾関係? 

 すると、橋元くんがペラペラ助け舟を出してくる。

「そうなんですよ。呉服の新しい可能性を普及させるべく、普段からこんな格好をしているんです」

 あー、この恰好のせいか。確かに着物みたいだもんね。案外動きやすいから忘れてたよ。

 すると、支店長が「ふむ」と頷いた。

「なるほど。デザイナーさんでしたか。先程は失礼しました。正直、その服装に驚いてしまって」
「あ、いえ……」

 そりゃ驚きますよねー!
 大丈夫です、私も鏡見て現実を悟りたくないくらいですから。

 あーでも、そろそろお手洗いに行きたくなっちゃったな。まだまだ食事が出てきそうな雰囲気だけど、席を立っていいのかな?

 橋元くんと支店長さんは「そういや〇〇病院の奥様も着物が――」とか話している。だけど、橋元くんが私の視線に気が付いてか、ニコリと微笑んでくれた。

「化粧直してきて大丈夫だよ。俺も、少し支店長と仕事の話がしたいから」
「あ、田中サン遠慮しないでいいですよ。今日は無礼講なので」

 支店長も気を利かせてくれて、私は「では」と席を立つ。
 とまぁ、トイレに行ったら行ったらで、一般席のお客さんからジロジロと見られ、鏡でハイカラ(?)な自分と対面するだけなんだけど。

「でも、凄いなぁ……」

 思い出して感嘆を漏らす。すげーな。営業トップの気遣い。どうして視線だけでトイレ行きたいと気が付いたんだろう?

 支店長はともかく、橋元くんは年下だ。しかもヲタクだ。それなのに、あんなペラペラと偉い人と喋れて、私なんかに気遣いも出来る。こう……人としての格というか、出来というか。同志と呼ぶに甚だしい自分との格差にため息吐いて。

 せめて、逃げちゃダメだ。年上の先輩らしく、最後まで戦う勇姿を見せなくては! そして屍を超えてゆけっ‼

 そう自分に喝を入れて、私はお店に戻る。
 だけど、やっぱ逃げれば良かったと後悔したのはすぐだった。

「だけど橋元クン……今からでも、自分の娘と会ってみる気はないかい?」
「……どういうことでしょう?」

 おおっと。これは完全に今戻っちゃいけない所!
 ちょっとお店の人の視線が気になるけど、細い通路の途中で止まります。

 耳を立てるのは必然ですよね?


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