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団地の花子さんと死にたい死神くんの人生実況解説動画 第11話

 内緒話中の支店長の声は、妙に優しかった。

「正直、あの女性はキミに不釣り合いではないかい? 生きる世界が違うというか……自分の娘なら、もっと気立てもいい。キミのことを話したら、娘もとても乗り気でね。学生なら変わった相手に目を惹かれることもあるかもしれないが、キミももう社会人だ。現実的な伴侶を探すに、早すぎるということはないだろう」

 ううむ……やっぱり花子は橋元くんの婚約者に無理があったと?

 でーすーよーねーっ‼ ぶっちゃけ、私もそうだと思うわ。こんな服装してなくても、しょせん上司に『もっと話せるようになろうね』と言われてしまう派遣社員ですもの。それを今も根に持っているくらいの女ですもの。

 それに対し、橋元くんも「でも、僕は彼女が好きなんです」と言い返しているものの、支店長は諭すように言う。

「なら、一度だけでいい。自分の娘とも会ってみてくれないか。それこそ、よその女を見る最後の機会になるのではないか? まだキミは若い。キミの価値観を広げるためにも、一度ちゃんとした大人の女と話すのも必要だろう? それでやっぱりあの女性がいいというのなら、それでいいんだから。ここは、上司の顔を立てるためだと思って!」

 うわぁ、なんかズル。そこで『上司』持ち出してくるのは、本当小賢しい。優しそうな口調も相まって、さすがの橋元くんも言葉を返せずにいる。

 …………でも、私知ってるよ。橋元くんが、どんなに『あの子』が好きか。どんなに本気か。知ってるから。

 頭は空っぽ。どこか遠くから聞こえるのは、ここ数日ずっと流れていたあのメロディ。私は確信する。きっと、ろくなことは言えないだろう。

 それでも――私は一歩を踏み出すの。年下の同志のために。それが仲間として、私が唯一出来ること。

「そんな恋愛、寂しいですね」
「ななさん?」

 橋元くんが私を見て、目を見開いた。その視線は「もういいよ」と撤退命令を下しているようだけど……私は橋元くんの後ろに立ち、彼の肩に手を置く。そしてつぶらな目をした支店長に向かって、にっこり笑った。

「大人の女性……ですか? さぞ支店長さんの娘さんは立派なんでしょうけど、それじゃあ、彼の心は踊れない」
「……どういうことだね?」

 はい、花子にもわかりません。唯一わかることは、引くに引けない所に来てしまったということです。橋元くんのスーツがどんどん汗ばんでいくけど、後でシュッシュするやつを贈呈しよう。あれなら三千円で五個は買える。

 だから、私は懸命に口を動かした。

「真っ逆さまに落ちた地獄にこそ、ディザイアがあるの。あなたの言うような『大人』に、ディザイアはあるの? 退屈なくらいなら、一人で踊っていた方がマシ。年齢が何? 生きる世界が違うからって何? だからこそ、燃えるような情熱がバーニングされるんじゃないっ!」

「……」
「……」

 言ったよね? 私ちゃんと言い切ったよね? 我ながら『ディザイア』ってなんやねんって感じだけど、こういうのって勢いが大事だよね? 支店長も橋元くんもだんまり決め込んじゃったけど、私なんかそれっぽいこと言えたよね⁉

「はは……」

 私が汗ダラダラでいると、先に笑い出したのは橋元くんだった。

「ななさん」

 私の汗だくの手を掴んで、橋元くんが立ち上がる。そしてなぜか私の後ろにまわり、首に腕を回してきた。そのまま抱きしめられる。橋元くんの体が熱い。私の顔のすぐ横で、橋元くんの声がした。

「俺はずっと好きです。天使のようなきみだけを、今後も愛し続けると誓います。たとえ、子供のようだと笑われても構わない。次元の壁だって超えてみせる。俺はずっと、天使だけを想い続けるんだ」

 その熱い台詞に、思わず肩が跳ねるけど――花子、知ってる。その天使がマジモンの天使レイチェルのことを指してるって。ミリア……だっけ? 昔から天使キャラが好きみたいだもんね。もちろん、私は年上のお姉さんだから。そんな野暮なことは指摘しないけどさ。

 支店長がやれやれとお猪口を煽ってから、ため息を吐いた。

「若気の至りで後悔しても、自分は手を貸せないぞ?」
「構いません。これが、俺の人生です」

 失礼します、と橋元くんが私の手を引く。まだまだテーブルにはたくさんのご馳走が残っているのに――まぁ、いいか。一見豪華だったけど、お家のご飯の方が美味しいや。

「……服装通り、情熱的なお嬢さんだ」

 さり際に吐き捨てるような笑い声が聞こえたけど、こそばゆいから聞かなかったことにして。

 閉じようとしているエレベーターに駆け込んで、橋元くんは完全にネクタイを解いた。

「あ~~ビビった。こんな焦ったの、初めての商談以来っすよ」
「サーセン」

 気恥ずかしさで視線を合わせられずにキョロキョロしていると、橋元くんが「ぷっ」と吹き出す。

「ところで花子さん。『desire』の意味、わかってて連呼してましたか?」
「……いんや。私、英語が一番苦手だったんだよね」

 今だって橋元くんの発音がそれっぽすぎて、一瞬疑問符が浮かんだくらいだ。

「ですよねー」

 あ、今の「ですよねー」って、絶対に馬鹿にしてるでしょ! 年上のお姉さんに失礼だぞ!

 だけどエレベータの中はそれなりの密度だから、文句も言えず。
 エレベーターが一階に到着して、わらわらと人が出ていく。その流れに乗ってホテルを出れば、外はもう真っ暗だった。星一つ見えない繁華街特有のどんよりした夜空。夜空なのにどんよりしているってなんだろうね。それでも、星の代わりに看板のネオンがギラギラで、酔っぱらいとかのガヤガヤとした様子も相まって、決してしんみりとした気持ちにはさせてくれないのだけど。

 そんな中で、今だ私の手を掴んだままの橋元くんが、思い出したかのように言う。

「あ、ディナー最後まで食べられなくてごめんね。ツバメの巣、食べたかった?」

 ツバメノス……? それって鳥さんのお家ですよね? なんでそんなもん食べなきゃいかんのか。たとえ財布が薄くても、そこまで心は貧乏じゃないもん。

「そんなけったいなものより、アイスが食べたいなぁ。あ、見てみて橋元氏。あそこに『ジュウサン点イチ』アイスがありますぞ! 豪華なデザートいかがでござるか?」

 通りの向こうに光る派手な電飾を指差せば、橋元くんがくつくつ笑っていた。

「俺、ナマのヲタク言葉初めて」
「マ?」

 あれれ~? 疲れた末につい誰かさんの実況口調が出てしまったけど、これヲタク界なら普通なのでは? もしや、私めっちゃ痛い?

 思わず足を止めると、橋元くんが手を引いてくる。

「ほら、早く行かないともうすぐお店閉まっちゃいますよ。アイス買ったら、そのへんの公園でイベ周回手伝ってください。やっぱ協力プレイの方が効率いいんで」
「も、もちのろんっ!」

 とっさに出た返事に、橋元くんはますます大笑いして。

「ありがとね、花子さん」
「ま、私は橋元くんより年上ですから?」

 とりあえず、橋元くんが奢ってくれたアイスが美味しかったことは言うまでもない。


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