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日本人とメタ認知

以前、「なぜ話が通じない? それ、メタ認知が原因かも⁈」でメタ認知についてお話ししましたが、先日ある記事を読んでいると日本人は外国人と比べメタ認知能力が低いと欧米人の記事に書いてありました、まあ確かにメタ認知を鍛える、養うための書籍やビジネススキルとしての記事なども多数ありますが、これらをメタ認知と謳うことなく書かれていることが多いようです。
自覚なくメタ認知が低い人が多く、またそれにより何かしらの能力不足を仕事で感じているのを断片的な情報で補完しているのが現状というところでしょうか、
私、いつも思うんですよ、これは学校教育の弊害であると、論理的思考より暗記・記憶学習を主にして自由な発想や自由な疑問、子どもが各々持つ才能や想像をおざなりにしていると、
私の小学生時代は成績も学習態度が悪いとされてまして、まあ事実なんですが、論理的説明無しにただ覚えろという学習方法に強く疑問を抱いていた、だから「やればできるのにやらない子」という烙印でした、自覚もありましたが、納得しないことはしない、今と変わりませんね。
正直、九九とか大嫌いで、九九をいくら覚えても論理的に理解していないと分数やパーセントを大凡暗算で導き出すなどの計算ができないんですよね、大人になれば金勘定が大事ですから日々の買い物で30%引きなどをパッと計算できたほうが良いですし、ある項目が予算の何割を占めているとか、人件費に必要な金額を稼ぐには売上と利益率がどうとか、そういう計算をパッパとできるほうがいいと思うんです。
そのためには掛け算の論理的説明とその反復を多数行ってからの九九ならわかるのですが、割と直ぐに九九を始める、そして九九は得意なのに先に述べたような計算が大学生でもパッとできない。

それと、学習の何が大事なのかの質問に対して的確な説明をできる大人や教師って少ないですよね。
いい学校を出て、いい会社に入って、偉くなって、、全く論理的思考とかけ離れてます。
10,000人規模の会社であろうと、10人の会社であろうと社長はたった1人には変わりない、その椅子を巡り学生から社会人まで競争を繰り広げ僅かな数の椅子取りゲームに勤しむ、そこで勝ち残れなかった人がほぼ大多数なのにである、しかも負けたときの方策も夢も無い、、これ、誰か説明できますか?
明らかに曖昧な環境下で闘いを強要してそのチカラを既に権力を掌握している人が利用する構図です、しかもそれが半自動なシステム構造となっている。
それが薄ぼんやりと見えるので益々私のような子どもは勉強しない、、。
それを理解されると扱いにくい人材になるのでメタ認知はおざなりに教育を施し、それでは困る家庭は早い段階で公立から離れ私立を目指す、、
そんなところでしょうかね?

枠に嵌った人生というレールはそもそもレールの本数が限られている、そのレールにはたくさんの客車や貨物車で溢れ、時折り事故も起きるのにである。

それならば自分でレールを敷くか、タイヤで自由に走るか、そもそも自らの脚で歩むか、そんなんでいいんですよ、ただ、メタ認知は養わないと俯瞰する鷹の目が無いから自分や周りのこと、向かうべき道や将来のことが見えない、それでは危険極まりないですよね、そのためにメタ認知は必要。

養うには、自分の感情を排し他人の視点で考えること、高い位置からの視点が必要です、つまり他者の気持ちになって考えること、詳しくはココでまた別の機会に話したいと思いますが、メタ認知の何故については粗方お話しできたと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

また、よろしくお願いいたします。

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