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漂う書き言葉/忘れ者の日記1

 過去に書いた文章が手元にある。パソコンの奥深くに眠っていたのを偶然掘り出した。おそらく、2022年の1月に書いたものだと思う。結構おもしろいことを書いていたので、少し長くなってしまうが、全文をここに展示しておこうと思う。

久しぶりの投稿になってしまいました。というのも、最近悩みというほどのことでもないですが、常々思ってることがありまして、それが原因でキーボードが叩けないという状況が続いていました。うだうだ考えていても仕様がないので、頭の中を整理する意味もこめて、書いてみようと思います。
 何について考えているのか。それは、誤解を恐れないで言うと、自分の立場についてです。もっと具体的に言うと、自分の作品っていったい何なんだろうということです。ぼくは劇作家を肩書にして、活動しています。劇作家は戯曲の台本を書く人です。戯曲は、——Wikipediaの引用で恐縮ですが——「演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品」とあります。ぼくの悩みはここにあるのです。どういうことか説明します。
 Twitterには「界隈」と呼ばれるものがあります。ぼくはこれを、何らかのコンテンツが好きな人たちが集まって形成された〈町〉のようなものだと思っています。そしてもちろん、ぼくは演劇の〈町〉に居るわけです。もうかれこれ演劇町に住みついて4年近くなると思いますが、当時のぼくは今とは違って、「Project SHUJU」という企画を立ち上げ、ひとりで活動していました。活動内容は、ただ黙々と演劇脚本を書いて発表すること。
 少し遠回りしましたが、本題が見えてきました。4年間、ぼくは演劇作品を書いてきましたが、そのうち最初の3年間は上演を前提にした作品を書いたことがないのです。だから最初に引用した「演劇の上演のために執筆された脚本」は書けないのです。でも、どうでしょう。演劇町の住民たちは、みんな本当に演劇が好きな人たちばかりで、ぼくから見ると、上演することにとても熱い人たちでした。コロナが流行しても、感染予防に気をつけつつ、なんとか上演に漕ぎつけられるように、いろんな工夫をして、公演を打つ人がとても多かったのです。ぼくは彼らを心から尊敬しています。だけど、はなから上演するつもりのない台本やいつまで経っても上演できそうにない台本たちが占拠しているUSBを見ると、いつしか彼らに気後れするようになっていきました。
 本当にこれで良いのかなと思うこともしょっちゅうあります。演劇町を飛び出して、違う〈町〉に漂流してみようかと何度も思います。これはTwitterのおもしろいところでもあるのですが、Twitterは幾つものアカウントを作ることができます。〈町〉ごとにアカウントを変えて、同時に幾つもの〈町〉に出入りできます。そしてこの別なアカウントはペルソナで説明できます。つまり〈町〉ごとに仮面を付け替えることでそこの住民として暮らせる、あるいはその〈町〉に居る限りそれに合った仮面をつけることを求められるわけです。だから「演劇の上演のために執筆された脚本」を書く人が多い〈町〉には、なんとなく居場所がないような気がしてしまうのです。実はいま新しい〈町〉に出掛けています。名前を付けるとするならば、物書き町でしょうか。ただこの物書き町もなかなか思った通りにはいきません。この〈町〉には物凄い数の小説家が住んでいるのです。改めて言うまでもないですが、ぼくは小説家ではありません。もちろん小説めいたものも書くときもありますが、下手の横好き程度というか、小説に関しては真似事の域を出ません。上演を前提にしない話ばかり書く劇作家が小説家の〈町〉に着いてしまったのです。アウェイ感をひしひしと感じています。
 これも常々思っていることなんですが、戯曲って上演がゴールなんでしょうか。前段でも書いたように、ぼくは3年ほど黙々と作品を書いていた時期があります。最初は、いつか上演できたらいいな、と思いながら書いていましたが、別に上演しなくても戯曲は一個の作品だ、と考えが変わった途端、アイデアがとんでもなく湧きあがってきたのです。演劇の魅力は「このト書をどうやって再現するか」という点にあると思いますが、別にそれは——言い方は悪いですが——上演したい人が考えればいいわけで、書く段階で作家が「これは人間が表現できるのか?」と気を使う必要はないんじゃないかなんて思ってしまいます。読むだけでおもしろい作品はいっぱいあるし、ゲーテだって上演するつもりで『ファウスト』を書いたわけじゃないじゃない、と生意気ながら思ってしまうわけです。
 読書に熱狂は生まれません。読書は自分の中に言葉を落とし込んで、自由に想像して、ひとりで興奮したり、感動したり、恐怖したり、カタルシスを感じたりするものです。そもそも楽しみ方が違う。でも、そういった読書体験が上演によって生まれる熱狂に劣るということは絶対にないと思います。
 作品を発表したときに反応があったら嬉しいし、スルーされたら悲しい。この前、久しぶりに会った友人がぼくの作品を読んで面白かったと言ってくれました。その時は気恥ずかしさもあって、すかしてしまったけれど、家に帰って自分で読み返すくらいには嬉しかったのを覚えています。
 書いたら少しスッキリしました。もう少し漂流してみようかと思います。

2022年1月「漂い書く言葉(仮)」

 資金調達ができず、ここに出てきているタイトル『光の速さで生きて』の撮影が頓挫した後に書いたものだと思う。演劇一辺倒だったぼくが「映像」問題に取り組みだしたのは、コロナウィルスが流行しはじめた時期だった。ぼくは今は亡き「Zoom演劇」に、——ぼくの目からは閉塞しているように見えた——「小劇場界隈」の現状を打破する可能性を幻視していた。



 『光の速さで生きて』は四つの章(ローマ編、サマルカンド編、香港編、奈良編)に分かれている。あらためて読んでみたのだけれど、「香港編」以降、ト書の印象がガラッと変わっているの。「字幕」という文字は最初からあるけれど「カメラ」という文字が登場する後半からだ。当時はまったく気がつかなかった。あれから何年か経って「脚本か、小説か、あるいは別の「何か」か」でも書いたけれど、ト書が少しずつ増えてきている。ちょうどこの頃、『光の速さで生きて』の小説版を書いていた。これは、たしかに「脚本」ではなかった。「脚本」と呼ぶにはあまりにも、ト書が細かすぎるし、そもそも舞台なんて最初からないような、「自由な」文章になった。
 でも新しい「脚本」を書けば書くほど、舞台から「解き放たれ」て、映像的な表現に近づいていく。その一方で、最近書いた『冷たい熱視線』では、演劇的な感覚を取り戻そうとする努力が随所に見られる、と思う。わたしはずっと揺れているのだ。野外劇場のように、舞台を中心にすえて、どっしりと物語を展開するのがいいよのか、ぽっかりと穴の空いた中心をぐるりと周りながら、断片的な映像を紡いでいくのがいいのか、わたしにはわからない。意識的に漂いながら書いていた「言葉」だったけれど、いつしか悪魔と契約し、あるいは別の人格に乗っ取られるように、独りでに書き言葉が「漂う」ことを選び出した。上演は戯曲の翻訳、漂う言葉からわたしの言葉を取り戻さないと。

tadayo"i" kak"u" kotoba ⇒ tadayo"u" kak"i" kotoba
ぼく(i)ときみ(u)が入れ替わる


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