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2-2 心理療法における宗教の位置



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「奇跡のコース 心理療法」
第二章 心理療法のプロセス 
2 心理療法における宗教の位置 

要約(訳)をお届けします。


ココから…

神の教師であるために、信仰深い必要はありません。しかし、咎めではなく赦しを与えることは必要です。

すべてを学んだ者に教師は必要なく、癒された者にセラピストは必要ありません。それでも、対人関係は、ホーリースピリットの神殿です。

形式的宗教は、心理療法の中にも、宗教のなかにも真の居場所をもちません。宗教も心理療法も経験であり、最高のレベルにおいては、その二つは一つになります。両方とも真理そのものではありませんが、どちらも真理に至ることは可能です。

赦すことを学ぶ者は誰でも、神を思い出すことができます。赦しのみが教えるべきすべて、学ぶべきすべてです。

しかし、心理療法の目標にふさわしいのは、神を思い出すことではありません。それは、心理療法が完了したときに訪れることです。

もし心理療法のプロセスに、神を信じることが必要だとしたら、それは実に不公平となります。また、神を信じることは、あまり意味のある概念ではありません。なぜなら、神は知られることしかできないからです。

さまざまな教材が、さまざまな人を魅了します。もし生徒と教師が一つの目標を共有してつながるなら、その関係の中に神が入ってきます。心理療法のプロセスとは、正気への帰還です。

神は、ご自身の世界を復元しようとする者たちのところにやってきます。誰であれ、二人の人がつながれば、神は必ずそこにいます。

彼らの目的が何であるかは重要ではありませんが、キリストに祝福されていないゴールを共有することは不可能です。

真の宗教は癒しをもたらすので、真の心理療法も宗教的にならざるを得ません。しかし、どちらにも多くの形態があります。よい教師は、あらゆる生徒に同じ教え方はしないからです。

学びを確実にするために、教師は何をしなければならないのでしょうか。それぞれが他の誰かと共通の目標を共有し、それにより、別々の利害という感覚がなくならなければなりません。

聖餐は一人では不可能です。孤立している者は誰も、キリストのヴィジョンを受け取ることができません。その人に、兄弟と自分の必要を満たすようにさせない。そして、それらが一つのものとして満たされることを理解させなさい。


ココまで


※ 最近知ったのですが、高額献金問題で世間を騒がせている某宗教団体も「聖霊」という言葉を使うらしいのです。

紛らしいので、今後は「ホーリースピリット」と呼ぶことにしました。

英語では同じになっちゃうけどね。


参考文献 :
◉Urtext Psychotherapy
Supplement to A Course in Miracles FIP
◉「奇跡講座」下巻 中央アート出版社

お読みいただき、ありがとうございました。

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