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2-1 心理療法の限界と可能性


ご訪問いただき、ありがとうございます。

このあたりで、わたくし、Supplement の日本語訳が存在することを知りました。

実は、ネットには存在していることがわかっていたのですが、その方はあえて意訳をされるので、原文で読みたいと思ったのです。

私は本編とワークブックは大内博先生翻訳版を持っています。そこには Supplement の訳はついていません。

しかし、別の翻訳者による「奇跡講座」にはついていたのです。

なので、電子版を購入して読みはじめたのですが、長すぎて、頭に入らないのです(鳥頭?)。

そこで、原文と対照しつつ、要約(訳)することにしました。

だんだん手抜きになってきた感もありますが(笑)、これが一番わかりやすいので、そうします。

要約(訳)といっても、自分が大事だと思うところを取り出したので、他の方やAI が要約したら、違うものになると思います。

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では「奇跡のコース 心理療法」第二章 心理療法のプロセス から、1 心理療法の限界 の要約(訳)をお届けします。

もともと「心理療法の限界」という見出しですが、「心理療法の可能性」でもよさそうな内容となっています。

それで、記事は「心理療法の限界と可能性」というタイトルにさせていただきました。

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「コース」は話された内容なので、長いです。

また、もともと段落や章立てがあったわけではないようです。

そこで、ちょっとだけ < これまでのお話 > を…

第二章 心理療法のプロセス「序」の最後には、” セラピストも患者も、最終的には、当初にもっていた、互いに食い違う、いくぶん魔術的な目標をあきらめ、歩み寄る “ と書かれていましたが…

ココから…

1 心理療法の限界(と可能性)

そのような、理想的な成果が達成されることは稀です。誰でも、自分が準備できているところまでしか学ばないからです。しかし、準備のレベルも変わるものであり、確信してよいのは、セラピストも患者も前進していて、一時的な後退があったとしても、全般的な方向性は真理に向かっているということです。

心理療法そのものは、創造的にはなり得ません。心理療法に、真の変化をもたらす力があるというのは間違いです。

「抵抗」とは、物事についての自我の見方です。それは妄想的なものです。自我がもたらそうとしている変化は幻想です。

抵抗は患者だけでなく、セラピストにも見られる場合があります。いずれにしても、こうした抵抗は、心理療法に限界を設けます。

聖霊は、治療のプロセスへの自我の侵入に対して、戦うことはできません。しかし、聖霊は待ちます。セラピストと患者が聖霊の目標につながったとき、葛藤は去ります。

理想的には、心理療法は神聖な出会いです。その中で、兄弟は互いを祝福し、神の平安を受け取ります。これは、地上にいる「患者」のすべて ( ※つまりすべての人 ) に、いつか起こることです。

セラピストは教えることを通じて学びます。セラピストがどの段階にいようとも、ちょうどその段階にいるセラピストを必要とする患者がいます。患者は今のところ、セラピストが与えることのできる以上のものを受け取ることはできません。それでも、最終的には、双方が正気へと至るのです。

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どんなレベルのセラピストにも、そのレベルにいることの価値がある、というのは、世のセラピストさんたちの励ましになるのではないでしょうか。 

※ 参考文献 :
◉Urtext Psychotherapy
Supplement to A Course in Miracles
◉「奇跡講座」下巻  中央アート出版社

お読みいただき、ありがとうございました。

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