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公認会計士不合格体験記【勉強の再開とピアノ編】

皆様こんにちは、こんばんは!会計士受験生Bです!
本日は公認会計士不合格体験記【勉強の再開とピアノ編】を書いていこうと思います。
公認会計士の勉強再開以後の話は次回に回すとして、再開までの紆余曲折と、その時期に始めたピアノから学んだことについて記したいと思います。

※本日は、会計士の勉強の話というより趣味の話に近いです。


勉強撤退してからしばらくの生活

大学2年の7月に会計士受験を撤退することを親に伝え、親はありがたいことに叱ることもなく、「いい経験になったんじゃないか?お疲れ様」と慰めてくれました。予備校代の20万円を肩代わりしてもらえていたのにドブに捨ててしまう選択をしたことへの罪悪感でいっぱいでしたが、両親が僕の撤退の選択を受け入れてくれたことは本当に救いだったなと思います。

受験勉強を辞めた直後はとても落ち込みました。受験生というアイデンティティを失った虚無感や喪失感によって、およそ2、3週間ほどは寝込んだ状態が続きました。
撤退は私の意思であるとはいえ、挑戦を諦めてしまったという解釈も脳裏に浮かんで、この経験が今後の人生にどのように影響するのかわからない不安に苛まれていました。差し迫った将来に対する恐怖心から逃避するかの如く遊び呆けてばかりいたようです。
正直にいえば、目前の快楽をもとめて、心にこびりついた汚れを取り除き続けることで当時は精一杯だったために、自分で自分を愛せるようになるかという課題(「不合格体験記【勉強開始〜撤退編】」参照)は、当時の私にはもはや高尚な修行のようであり私には似合わない問題提起のように感じて、完全に精神的な向上心は忘れていました。
最終的にはそのまま7ヶ月間もの間勉強から逃避していたわけでありまして、現在の受験勉強には結構な痛手になりましたが、私に大切なことを教えてくれた時間でもありました。

それは、時には休息も必要だということです。
ありきたりな教訓に思えるかもしれませんが、ありきたりということはむしろ一層大事なことでもあります。

しばらく私は欲望の赴くままに過ごしていました。一日中ゲームしたり、友達と飲み歩いたり、サークルに入ってみたり、バイト始めたり、免許合宿にいったり、ひたすらに娯楽を消費する日々が続きました。
歪んだ気持ちを立て直すまでに最終的に7ヶ月かかりましたが、こういった生活がむしろ効果的であったというふうに今は思います。

ピアノとの出会い

そういえば、この当時に始めたピアノは、今思えば私にとって救いの一つになりました。ピアノとの良き出会いについての感謝の意をこめて、丁重にピアノへの思いを語らせていただきます。

受験勉強中の合間に音楽を聴くことがあるのですが、ある日たまたまクラシックピアノの動画をYoutubeで視聴しました。
その動画は、CANACANA Familyさんが演奏されている、
「ショパン作曲 エチュードOp.10-4」という曲の演奏動画でした。
動画:https://youtu.be/ZIAZ6_jbau4?si=QpjEXCd1qA5d8wjq

JPOPばかり聴いていた当時の私にとっては衝撃で、音の表現の幅の大きさには目から鱗でした。私はこの曲をきっかけに、他のクラシックピアノの曲も聴くようになりました。すると、すこしずつ私もクラシックピアノがやりたくなったんですね。勉強を撤退したと同時にしめしめと思いながら、実家においてあったアップライトピアノに手をつけました。
(実は小学生のときに少々ピアノを習ってた時期があったので、基本的な弾き方だけはわかっていました。)

過去に幾度か、バンドを組んでギターやベースなどの演奏で音楽を嗜む機会はありましたが、好きでもない曲を嫌々練習したり、演奏を聞いてくれる友人からの調子づいたお世辞を楽しみにしていただけで、自身から発される音の質感について全力で試行錯誤する経験はあまりありませんでした。小さい時にピアノは習っていたのは、嫌々親に習わされているだけで決して自発的に練習することはなかったです。

それにしても最近ピアノの練習をしている間に気づいたのですが、日によって音色が全然違うように聞こえてくるようになりました。もちろん幾分かは指の調子もありますが、その日の私の気分によっても変化するように感じるのです。練習時間が取れそうになくて焦って練習してしまうと、おもいがけなく力強い音色になってしまったり、はたまた時間に余裕があれば、音色に穏やかさがあったりなかったり、、。ピアノを通して、渾然一体となった私の感情を理解すること、例えるならば、楽しみや悲しみ苦しみ怒りなどを種類ごとに色分け作業するようなことですが、これが今の私にとってとても大切な経験になっていると考えています。

ピアノから学んだこと

私はもともと合理的に物事を考えることに苦手意識がありました。わがままな態度からというよりはむしろ、自分の感情や自身の身を置く環境の分析をないがしろにして屁理屈を捏ね出してしまうことで合理的な判断(一般的に採るべき選択だろうと期待される選択肢を採ること)ができないことがありました。言い換えれば、無茶をしたり、根性論に走ったりすることが多い傾向にあるということです。

会計士の受験勉強で具体的な話をすれば(詳細はまた後日にしますが)、勉強を再開したのち、初期は独学でしかも半年間で短答式合格を目指そうと考えだすんですね。いや、明らかに非効率だし圧倒的不利だし、半年以上のブランクもあるのに、なぜそういう判断をしてしまうのかというと、数十万円の予備校代を持っていないので、親に借りるのが悪いとおもったからですし、そして自分は馬鹿だから誰よりも苦痛な試練を与えて乗り越えられるようにならなければダメだと思ったからです。ドMですね笑
このエピソードから、私がいかに非合理的な判断をしがちな人間かお分かりだと思います。

こういった判断の内側には、親への恐怖心、自身のプライドに関する恐怖心が見え隠れしています。当時の私にはそれが分からなかったわけですね。
とはいうものの、自分自身の感情について耳を傾けられるようになり始めたと感じたのが、ここ数ヶ月以内の話です。
そのきっかけを与えてくれたのが、ピアノの練習であったのでした。ピアノに限らずに音楽と一括りでまとめてもいいかもしれません。音楽を聴いた時や奏でた時のそれぞれの心の動きというのは、決して娯楽にとどまらない、非常にアグレッシブな経験則になるのではないかと思います。

こうして、勉強撤退からしばらくは、ピアノの練習に勤しんだり、中高生時代には聞かなかったクラシックに触れてみたり、味わったことのなかった悦びを感じる経験を積み重ねていました。そうして、7ヶ月がすぎて改めて自身の進路について考えたところ、もう一度公認会計士を目指してみようと思い直せるようになったのでした。


以上になります。ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回の不合格体験記は、勉強再開後から1回目の短答式試験編について書きたいと思います。答練の結果などの具体的な数値は覚えてないし残ってもないですが、、できるだけ丁寧にかけるように心がけたいなと思います。

追伸:7月に入り、今年の12月の短答式試験にむけて本格的に勉強を再スタートさせました。勉強との折り合いからして、noteの更新頻度は2〜3週間に少なくとも1本は出せるように努めたいと思います。
お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。



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