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アイサガゲッターコラボにおける漫画版要素の話

チェンゲコラボ目当てで久々にアイサガを起動したんだけど、きちんと読んでみたら「名義:チェンゲと本音:漫画版やりたいの狭間で苦労してんな」と思いつつ近年には珍しくきちんとゲッターやってる内容で驚いてしまった。
キャラクターや機体のコメント見るとやはり勘違いして書き込んでる人間が多く誤情報もたっぷりで、アイサガくんはチェンゲ名義の枷の中ですごく頑張って漫画版汲んでるのにきちんと伝わってないのがめちゃくちゃ可哀想になったし自分もメモっておきたいのでこの長い文章を残そうと思う。
ここではキャラクターのボイスから読み取れる事を中心にまとめる。


「ゲッターロボ」とは

こんな長い記事読む奇特な方はおられるのかと思いつつ、漫画版ゲッター読んだことないアイサガプレイヤーへの前提。

・チェンゲの名義とはなっているが、アイサガは本音では漫画版をやりたかったと思われる。
今なら電子書籍で手軽に読むことができるので、無印の3冊だけでも読んでみて欲しい。(無印G真號の12冊で「ゲッターロボサーガ」は一度綺麗に完結しているし)

・巷では漫画版ゲッターは狂気だのバイオレンスだの言われてるが、漫画版と東映版の無印Gは原案を同じくしており、おそらくは原案部分のイメージベースに第二次世界大戦と少年飛行兵を置いて、戦争を真正面から描いた作品である。その後に描かれた號以降も戦争を描いていることに変わりはない。「種の存亡をかけた生存闘争」私が全体を一言で示すならそうなる

・ではその具体的な内容というと「死が隣にある戦場で、個性ある三人の若者が相互理解の元に命懸けの信頼を持って力を合わせ、折れない理性という人間の意志の力(=三つの心)で生き抗う」みたいな「協調性」の話であって、理性の無いものは「ケダモノ」と称されるほどに皆正気で、モラルや倫理観に欠けているという事も無い
(そもそも石川賢作品自体が派手な暴力描写はあれどガチガチのストイック昭和硬派系で、内実は相当に優等生的である)

・OVA新ゲッターはざっくり言うと「三つの心は揃わない」「理性の無いケダモノは運命に抗えない」アンチゲッターロボ作品であって漫画版の台詞やシーンを使ってはいるが、その殆どが意味や意図を変えられている(プロットで比較すればわかりやすいが各シーンや物語筋が反転している)

ゲッター線に選ばれた/愛された竜馬などという事実は漫画版には存在しない(正直それを言いたいなら一文字號の方が余程該当する)。
これの初出はOVA新ゲッターを下敷きにしてしまったZ以降かサルファ辺りのスパロボでの解釈で、それを知ってか知らずか各所に書き散らかされた事で広まってしまった誤情報ではないかと現在推測している。また新ゲッターが原典に近いなどの言葉も大嘘で、むしろ川越ゲッターやスパロボの設定が正しいと思い込んでいると色々正しく読み取れないこと請け合いである

・なおOVAチェンゲは(降板したが)今川監督あるある同作者他作品要素もりもりで特に魔獣戦線を知っているとその要素が多いことがわかりやすい

この時点でスパロボとOVAしか知らなかったり、その解釈で漫画版読んでしまった層は受け入れ難いかもしれないが、少なくともアイサガにおけるゲッターコラボは私が今述べたような事を前提として台詞が作られたりストーリー展開されている。そう考えないと辻褄が合わなくなる。
(基礎の基礎たる「三つの心」については下記記事参照。新ゲッターがアンチゲッターロボ作品である事、彼らの名前の元ネタについての推測、ゲッター関連作品リストなどが過去記事にあるため、興味ある方はそちらもどうぞ)

流竜馬について

チェンゲでの竜馬は隼人と早乙女博士に裏切られたと激怒しているが、この苛烈な復讐者というベースと外見はゲッターロボではなく、同じく石川賢先生が描かれた魔獣戦線の主人公、来留間慎一のものである。(上述したがゲッターも魔獣戦線も今は電子書籍で読める。ああいう人物像好きなら魔獣戦線オススメ。「5000光年の虎」の虎の人物像も入ってるかもしれない)
竜馬に慎一、早乙女博士に慎一の父をあてて展開しようとした(が今川監督が降板したため何もかもがわやわやになった)のがチェンゲのベースとなる。
敵のコーウェン、スティンガー、隼人が早乙女博士を殺害した後のUFOをはじめ「世界最後の日」が明確に訪れるのもゲッターではなく魔獣戦線で、数えれば割とキリがない。(ゲッターロボ本編に無いものは大体他作品に元ネタがあると思っていいだろう)
故に、チェンゲの竜馬は慎一さん要素入ってちょっと別の人になっている。(とはいえただのチンピラと化している新ゲよりはよほど原型がある。本質部分の一側面ではチェンゲ竜馬が一番「流竜馬」だったかもしれない。実はOVAで一番見た目それらしいのはネオゲ竜馬である)
東映版や漫画版の竜馬は隼人に対して無条件かつ絶対的な信頼を置いた人物で、同時にいっそ異常なほどメンタルがタフく、もし同じ事が彼らの身に起きても「隼人の事だから理由があるんだろう」と即断しそうなメンタルつよつよ高校生であった。怒りを引きずるのも彼らしくはない。
ただ、この点に関してはチェンゲ本編でも「理由があった」と聞き銃を受け取って以降、隼人を責めずに早乙女博士一択に怒りの矛先が向けられ(しかもその理由も「俺たちをバラバラにしやがって」というもの)、行方不明になって帰還したのは竜馬感覚ではたかが数週間前の話にも関わらず再会して即銃を返す(許す)というムーブを取っている。
「隼人は裏切った訳では無い(バラバラになった訳ではなかった)」と知った途端に彼への疑いは消失する、というのが魔獣戦線の来留間慎一を要素に持ちながらゲッターロボの流竜馬を描こうとした時の折衷案だったのかな、と。
アイサガでも名義がチェンゲなのでチェンゲ竜馬は怒ってないといけないと判断したのだろうが、怒っている台詞の後に「もう終わった事だしなぁ」といれる形で幾分反映しようとした形跡が見られる。(コラボストーリーではいっそ潔くまるで触れずにうやむやにしてたので笑ってしまったが)

さて、ここまで踏まえてのアイサガ竜馬の話になる。
アイサガ竜馬のプロフィールは名義であるチェンゲを強く意識したものとなっている。しかしここにある有名なブラゲでの残酷シーンは作者から異なるデビルマンのVSジンメンオマージュで人物像や話への重要性が高いとは(お出しされた結果のあの状態では)思いがたく、コラボシナリオでのアッサリした扱いとそれ以降オリジナル展開が加速する様子を見ても消化ノルマみたいなものであろう。正気を失ってるみたいな文面共々あまり考慮に入れなくていい。

ようやく本題である。
正直コラボシナリオやキャラクター台詞内で「ゲッター線に選ばれた」だの「愛された」だの使ってない時点で「初出まで辿ってもそんなん書いてないです」な幻覚まみれの派生と巷の解釈に辟易していた私は好感度上がってしまった。
原典二作品どころかチェンゲでもそんな言葉は無いのだ。
それもそのはずで「三つの心」を唄うゲッターで「一人だけが特別」って既に理屈がおかしいのである。三人ともが等しくあるから成立する概念であって、誰かひとりの為であるなら形骸化したお題目にしかならない。「協調性」を描くにはそもそも全員対等でなければ成立しないだろう。
まして原典で彼らが戦った百鬼帝国はモチーフがナチスで「優生思想/選民思想の元に人類を支配/殲滅しようとする」集団である。それでどうして「一人だけが特別」って選民思想は悪ではないと言えようか。
(やっぱり勘違いしてる人が多そうだから補足すると、やはり選民思想的であった漫画版アークにおける未来人類、少なくともエンペラーは「絶対悪のイメージを具現化したもの」だと石川先生がゲッターロボ全書のインタビュー(32P)で話されている。あれは歪んでしまったゲッターと人類の姿であって決して肯定はされていない)
「三つの心」を根底に持つゲッターロボという作品と「選ばれた特別な誰か」という概念はそれだけで根底部分に不整合が生じてしまうほど著しく食い合わせが悪い。
多分アイサガのライターは私と似たような捉え方をして、漫画版に記載がある「ゲッター線が選んだのは人類という種族である」としかゲッターコラボの中では書いてないんじゃなかろうか。

余談:この辺の理屈を踏まえた上でカーズ君に起きた事を見ると、明確に「特別な存在」となってしまった彼はおそらくもう人間世界には戻れないし、隣に人類が並び立つ事も難しいんじゃないかと思う。
カイザーのストーリーで「大いなる意思に祝福された」とはあるが「進化意志に選ばれた」訳では無い「人間の勇士」たる兜甲児は仲間と並び立てるし、真ドラゴン編まで読んでもリーダー格としての特徴しか持たない「ただの人間」である流竜馬は皆と同じであるからこそ漫画版を考えるなら「お前達とならば地獄を見よう、共に死んでも構わない」という「三つの心」を隼人や弁慶と持ち合わせられる。両者は対等な人間として手を取り合うことが出来る。が……特別なもの=異質なものは仮面ライダーや009の昔から孤独であり、同じく異質なものとしか並び立てない事が多い。カーズが選ばれた存在となってから、そうして人間である事を示されているダイナミック作品コラボ勢組ときちんと対面できずにいるのも象徴的だと感じた。

チェンゲ竜馬を媒体としているために全体的に荒っぽく、慎一さんから引き継いだ自分は一人でいいというような台詞が目立つが、「ゲッターは三人が一心同体でないと全力を発揮できない」「自分もかつてはそうだった」ゲッターの基礎である大事な部分に触れていたり

「また会おう」→漫画版號ラスト。声も落ち着いていて漫画版での竜馬を意識していると思われる
「善良な市民」と「空手道場」→漫画版號での隠遁生活。原典二作品の竜馬は「踏み躙られたもの達の怒りの代弁者」であって平時は割と普通の人間である
「従うことも逆らうことも運命だとしたら~」→(漫画版真、號、アークの流れを踏まえた上で)漫画版真での隼人との会話から。ゲッターに見せられたもので「ゲッターを降りる」選択をした竜馬がそれを隼人に伝える時のものであり、道を違えても二人が親友である事は変わらない事を示していた
「昔、俺はずっと~」からの連続した三つの台詞→同上
また「近い未来、人間はゲッター線を捨てて、自分の力で生きていくと信じてるさ」という台詞は漫画版號ラストを踏まえたものでもあるだろう。
漫画版を下地にしたであろう台詞が散見された。

特に漫画版真での隼人との会話は「流竜馬」の人間性(並びに隼人との関係性)を示す重要なシーンのひとつにも関わらず、今までの派生媒体でまともに取り上げ音声化した事はほぼ無く、一種の快挙にも近い。よくやってくれた……私はあのシーン本当に好きなんだありがとうアイサガくんありがとう……。
三つの連続した台詞はOVAや近年のスパロボなどしか知らないユーザーには違和感のあるものかもしれないが、その内容も語り口調も本来の「流竜馬」に近いものだと私は感じる。彼はゲッター線に見せられた未来に抗おうとした、人間の持つ力や心を信じるただの人間だった。それを音声化してくれた事がどれだけ嬉しいことか。
プロフィールは随分なバーサーカーとして書かれているが、実際のセリフやコラボストーリーでは荒っぽく好戦的ではあれど他者への気遣いや優しさなども読み取れるようになっているのは漫画版に近づけたかった苦心の結果なのだろうとも感じた。
また、コラボストーリー中、VSジンメンオマージュで早乙女博士がカーズに「選ぶ時が来た」(守るものの為に何かを犠牲にしなければならない選択は漫画版も東映版も幾度も描かれた)と言い、その直後に竜馬が割って入っている。
贔屓目かもしれないが、カーズ達にその辛い選択をさせたくはなかった故の行動で、そうして庇われた事を理解していたからカーズは竜馬をあっさりと受け入れたのかもしれないと私には思えた。「強い」というのはただ力だけを指した言葉では無かったのではないだろうか。

しかし、先にグレンラガンコラボしてたせいか竜馬死亡未遂時の「アバよ、ダチ公」は入れなかったんだな。(有名だろうがグレンラガンは脚本の中島氏が石川先生の元担当編集+熱烈なファンで、グレンラガン自体がゲッターオマージュと明言されている。あの台詞の元も漫画版ゲッターと明言されている/ただし更に遡れば映画のタイトルに行き着く)

余談となるが、カーズくんのCVはグレンラガンではカミナ役でもあった。カミナのモチーフ元のひとりは流竜馬である。
また、恐らくではあるが、コラボストーリー中でアスモデウスに乗り宇宙へと向かう過程で一時的に仮死状態になるなどの描写も漫画版「真ゲッターロボ」での竜馬のオマージュだろう。
重力に逆らう髪、熱血漢、赤をシンボルカラーに持ち、「竜馬の弟子」と設定されたのもそもそもカーズくんのイメージベースのひとつが竜馬であったからではなかろうか。

神隼人について

元々チェンゲ隼人は漫画版+東映版に近い人物像をしている。
アイサガの台詞読んでも疑問に思うのは精々「早乙女博士に似ている」という台詞が「三つの心に置いての合理(抑制)担当かつ漫画版真含めシリーズ通して理性的であった隼人が狂気に取り憑かれるのはあんまり考えにくい(精々アークでの様子がおかしい程度)のではなかろうか」くらい。漫画版アークの様子か、理由不明だが早乙女博士に協力してよくわからない行動を取ったチェンゲ踏まえての台詞かもしれない。
チェンゲ隼人は「竜馬を裏切った」という罪悪感に苛まれている部分が漫画版との大きな違いではないかと思う。
これと同時に東映版ニュアンスを強めに持たされたっぽいアイサガ隼人は漫画版に比較すると随分ウェットで乙女ゲの攻略対象かと慄いたほどではあるが、東映版を思い出しつつ名義がチェンゲであるのも踏まえれば実は内心こんな感じだったのではという解釈の範囲内だろうと思う。
あんまり信じてもらえなさそうだが、漫画版の描写を読む限り竜馬隼人武蔵弁慶の四人の中で一番メンタル常人で、周囲にも優しく接し信頼される人物像と描かれていたのは隼人である。

以下わかる範囲内でチェンゲ以外からの台詞元ネタ
ミチルさんは料理上手→漫画版無印にはミチルさんが大量に手料理を振る舞う話がある
早乙女博士がお酒をコレクションしてる→東映版の早乙女博士はお酒やタバコも嗜み、全体的に上流家庭の描写だった
ちょいちょい顔を出すドヤ感→漫画版はそんなドヤらないので東映版か
「俺と竜馬は根本的に違う」→漫画版真での竜馬との会話。元会話では竜馬が言い、この後に「だから面白い」と続いた。
原典となる東映版と漫画版では竜馬と隼人の言動を意図的に入れ換えて使用していることがあったため、アイサガでも意図的に竜馬の台詞を隼人に回している可能性がある。
「早乙女博士と一緒にゲッターロボを開発した」→漫画版真。無印から早乙女博士の助手的な存在として動いているが、ゲッターロボの開発に直接関わっている描写は漫画版真からとなる
「死者は生者の道をなす~」「時々、何を手に取り何を捨てるか~」→やはり漫画版真での竜馬との会話で隼人が明言した戦い続ける理由の翻案や再構成めいた台詞ふたつ。漫画版隼人が戦い続ける理由は最初からゲッターロボやゲッター線には無く、明文化されているのは犠牲となったもの達を無意味にしない為となっている
「平和な日々を送りたかったが~」→漫画版もそうであったろうが、東映版は特に「平和」の為に戦っている事を強調されていたのでこちらか。かけがえのない親友というのも、東映版っぽさがある(東映版の竜馬と隼人はブロマンスかと疑った程度に距離まで近い)(と思っていたが、漫画版も相当であったことが判明した)

(2022.06.27追記)
漫画版における神隼人は竜馬と道を違えた際の台詞などをみるに「運命を受け入れる」選択をした人間だが、アイサガでは「逃げられなかった」と言及している。この違いはアイサガが書きたかったことと食い違いが起きるからではないかと推測している。
(ここまで)

割とアイサガ隼人は竜馬の事をよく話すが、いくつかの台詞は「お前竜馬思い出してないか?」「ねえそれ本当に指揮官に言ってる??」みたいなのもあり、ライターの隼人観は多少気になるところである。元来の竜馬(特に東映版)は隼人には甘かったのを、チェンゲ竜馬からはやれないんで反転させた(こいつらは本当は仲がいいです強調)みたいにも取れるが。
2022.09.14追記→そもそも原典となる二作品時点で仲が良いどころの話ではなかったと判明したので、アイサガライターはそのニュアンスを汲もうとしていたのかもしれない。

車弁慶について

チェンゲ弁慶は漫画版弁慶の人物像がよくわからないためか東映版要素八割みたいな存在である。アイサガに置いてはチェンゲを踏まえた台詞の他、彼が竜馬や隼人のような強みはないことと同時に「三人」「仲間」である事を強調する台詞が多く、彼が繋ぎ役というか土台みたいなイメージの様子。
一番制限が少ないフリー枠とも言え、ライターのゲッターロボ観がわかりやすい台詞群でもあるかもしれない。

「俺は頭が悪ぃから~」「俺は体育会系だ。科学なんざよくわからねぇ」→漫画版真で竜馬が弁慶にドラゴンを増幅器として使用する理屈を説明してる会話がイメージソースでは
食べる事が好きな大食漢→東映版。漫画版にも描かれたがコクピットでもおにぎり食べてたくらい弁慶はよく食べる
「俺たちはゲッターを信じる! 自分の力を信じる!」→特に漫画版において、ゲッターロボは度々そのまま「人間」や「乗る彼ら自身」を指した。(例:竜馬の「ゲッターをなめるな! 人類をなめるな!」)
早乙女研究所→特に東映版において、早乙女研究所≒早乙女家とゲッターチームは擬似家族の関係にあった。漫画版もそれを汲んだ台詞がある。アイサガで彼らが言う「早乙女研究所」は「家族」や「故郷」のニュアンスが感じられる
「みんなの心(ちから)があわされば~」→ゲッターにおける「心」とは個性であり、理性であり、意志であり、人間の持つ力だった
隼人の鋭い直感→漫画版も勘は良さそうだが、特に東映版は敵の存在を大方当てていた
柔道→本来野球であって柔道は武蔵。チェンゲ設定なので「直伝」大雪山おろしとなってる点含めての整合性?

「あの人を信じた俺を信じて欲しい」→ゲッターロボオマージュ作品グレンラガン「お前を信じる俺を信じろ」からの逆輸入?
グレンラガンのはゲッター乗りには仲間への絶対的な信頼があるからこその「三つの心」だった事を踏まえてのオマージュ台詞ではないか。逆輸入ではないとしても意味合い的には同じだと思う。

漫画版での弁慶は敵の襲撃のために起動したドラゴンの暴走に巻き込まれ、ゲッター線に姿を消した二番目の人物となった。(武蔵→弁慶→早乙女研究所→渓→凱→號、竜馬、タイール。あくまで漫画版の人類側主要人物の話であって、敵や東映版含めればゲッタービームで消えた存在は数多い)
竜馬や隼人と違い、運命について語ることは無かった彼だが、アイサガではチェンゲも踏まえてか「逃げようとしたが逃げられないとわかった」「ならば自分は運命と戦う」と、語らせている。
コラボストーリー中で武蔵にも「運命」について触れさせたアイサガのライターはゲッターチーム全員に同じワードを入れたかったのかもしれないし、同時に「運命という理不尽に抗い戦い続ける人間達」だと書きたかったのかもしれない。(アクエリオン編も読んだがこのコラボストーリー全体に流れている文脈がそうだろうし、武蔵が珍しく「死ななかった」のもそれを示してるのかもしれない)

しかしチェンゲ名義なのでこの台詞群では武蔵が13年前に亡くなっている事になっていたり、キャラ台詞群とコラボストーリーでわやわやになっているのは仕方ないんだろうな、これ。
復刻された2022年6月末現在、弁慶役の飯塚氏は鬼籍に入られており、これが最後のお仕事だったとも伺った。声に衰えは感じられるが、アイサガはどうしても同じ声で、東映版からただ一人続投され続けたあの声で残したかったのかもしれないと思う。
(2022.06.27訂正)
書いてるうちに声優さんや鬼籍に入られた方がごちゃごちゃになっていました!!!!!!伏してお詫び申し上げます本当に申し訳ないことをしたと反省しています……。
鬼籍に入られたのは初代弁慶の八奈見氏で、二代目弁慶飯塚氏はご健在とのこと。=ここは私の単なる勘違いと妄想なので、忘れてください。丸ごと記述を削除しようか悩みましたが、間違えた事を認め反省していると示すため、打ち消し線で対応しています。ご指摘ありがとうございました!申し訳ございませんでした!!

早乙女博士について

……早乙女博士は……チェンゲだと訳がわからないからなぁ……。
東映版ではゲッターチームの良き父であり司令塔であった早乙女博士は漫画版では東映版と比較して影の薄い存在。インパクト強すぎる無印序盤の言動と、漫画版真で弁慶が消えてからゲッター線研究に没頭する様子が有名だが、平時の博士は案外普通な人物である。
アイサガの早乙女博士は台詞の限り生き返る前なんだか後なんだか不明だが、元々素がこういうテンションで正気なんだか狂気なんだかわからん人物みたいな解釈をしているとストーリー読む限りは推測される。(漫画版の敷島博士が多少思い出される)
また、このゲッターコラボキャラの台詞群中では一番チェンゲ的な要素が濃く「世界の真実を知り、ゲッター線に『呪われた』人類を導くために、反旗を翻した」となっている。
コラボストーリー中では狂人めいた言動を取りながら要所で真っ当かつ真面目な事を言っていたり、やはり名義:チェンゲと本音:漫画版の間で苦労したのだろうなと思えた。

「わしが『邪悪』だと!?~」「戦え! 互いの争いで進化すべくな!」→この二つの台詞は漫画版におけるゲッター線の一側面を表したものだと思われる

ゲッター線については色々ありすぎるんだよなぁ……。きちんと書こうとすると漫画版號ラストのオマージュ元である2001年宇宙の旅とか、虚無戦史MIROKUや魔空八犬伝に描かれた石川作品全体が共通して持つ世界観構造(同一世界とは明言が無いが)と価値観の話も必要になるのでここでは書かない。

そういえばコラボストーリー真ドラゴン編についてはついに名義チェンゲをぶん投げて、ゲーム「ゲッターロボ大決戦(基本筋が漫画版ゲッターロボシリーズのPSゲーム)」版の真ドラゴンまで持ち出し漫画版で展開してる話で、度々隼人の口調が無印Gっぽくなってるのも合わせて笑ってしまった。(翻訳のせいかと最初は思ったがわざとそうしてるかもしれない)
敵とはいえ仁王立ちするドラゴン(「トップをねらえ!」のガンバスターから始まるガイナ立ちの元ネタ、漫画版Gでウザーラの上に立って登場した時のもの)とか東映夏のまんが祭り的に握手する兜甲児と流竜馬もやりたかったよね……わかる……。

OVA新ゲッターでもネタ元となったゲッター地獄(ただし新ゲは悪趣味さが増している)は、漫画版真でひとり真ゲッターのテスト飛行を行った竜馬が一瞬死んだ時に見せられた世界となる。

アクエリオン編も読んだが、おそらくこの一連のコラボストーリーは「『運命』という理不尽に抗おうとするもの達」の話なのだろう。
真ドラゴン編で「お前たちもゲッター線に選ばれたのだろう?」という、彼らと似て非なる敵の言葉への返答は無かった。果たして「人間の勇士」「戦士」たる彼等の決戦の末にどのような結論を用意するのか、不安もありながら楽しみにしている。
願わくばマジンガーとゲッターに関しては「理性ある『人間』であるからこそのヒーロー」だったダイナミック系ヒーローものの精神を最後まで貫いてもらいたいと私は思っている。

以上、漫画版要素から見るアイサガゲッターコラボでした。
チェンゲの名義の中に漫画版をくもうとした努力が随所に見られ、ゲッターロボという作品の絶対的なベースである「三つの心」を大事にしようとした事が感じられるとも個人的には思うので、私はとても好感度が高いです。
7月からは新機体に真ドラゴンが登場し、コラボ自体は7月末まで開催との事。
人を選ぶアプリだなとは思いますがちまちまとやりたいものです。

オマケ的な追記:2022.8.16

実装された真ドラゴンくんは非常にゲーム大決戦の再現度が高く、どっしりとした動きは竜馬がメイン操縦者だなぁと思わせるもので、個人的にはとても気に入っている機体となりました。ありがとうアイサガくん。多少の感謝の気持ちでゲッター機体は全部完凸して超改造まで終わらせたお陰でメインストーリーも最新まで進められました……ちょっと真ドラゴンくん強すぎない? 大丈夫??

真ドラゴンのシャインスパーク等の色→ゲーム大決戦は漫画版と同じく、基本的に東映版と同じ彩色となっている。真ゲッターはチェンゲ仕様の為、その彩色もチェンゲ準拠であるが、本来漫画版のゲッター線は何色でビームやスパークはどんな色をしていたのかというと恐らくこの真ドラゴンの方が近い。(ゲッター線は本来緑ではなかったのではないかという事については以下の記事にまとめてある)

機体説明と設計図→合体変形はしない真ドラゴンくんに「ゲッターの代名詞」とは? と疑問になるだろうが、これは参考にしているものがある。
勁文社の攻略本「プレイステーション必勝法スペシャル ゲッターロボ大決戦!」には石川先生とアニメP南喜長氏の対談、並びに設定資料やラフが幾分収録されている。石川先生が描かれた真ドラゴンの全体像イラストはここに収録されており、ポーズを見るにアイサガの設計図の元はこれであろうと推測される。また、この本の中で真ドラゴンの説明には「パイロットが三人いないと真の力を発揮しないという、もっともゲッターロボらしい機体」とある。真ドラゴンは説明書などでは存在が伏せられた機体であり、説明も攻略本にしか存在しない。そのため、アイサガでは攻略本を参考にしたのではないかと思われる。

おまけで記載するが、そもそも「ゲッターロボ」とは「三つの心」が揃うことを前提とする機体であって動力源がゲッター線であるか否かで判断されるものではない。これはゲッターロボ號がプラズマエネルギーを動力源としていながら「ゲッターロボ」であることからもわかるが。
そして、実は一人からでもオートパイロットを使用して稼働でき(ムサシの最後などの描写)、既存チーム三人でなくてもそれなりに稼働できる(博士や新人、恐竜帝国兵士でも動かせている)
時折、乗るだけで人が死にかけるくらいパイロットへの要求値が高いという論を見るが、號冒頭での合体の失敗は「パイロットがビビってスピードをあげすぎた」ことを原因とする事故であったり、真ゲッターロボだと「制御しきれなかった」ことを原因とするものであり、通常は民間人を操縦席で保護する描写が数度存在する程度に乗るだけで負担が異常にかかるものではない。
一定の能力と協調性さえ持つことができれば動かせるには動かせるのだが、先に述べたように「三つの心」が揃うか否か、マインドセットの問題で戦場での実力が左右されるという機体である。
故に、アイサガのコラボストーリー中でカーズたち既存チーム以外の人間がゲッターロボに乗る描写が存在し、同時に早乙女博士による「一番能力を発揮できるのは既存チームの三人である」旨の台詞があるのは原作準拠の描写である。
ゲームシステムとして竜馬たち三人以外が乗ることも理論的には問題が無い。

(追記:22.09.20)
調べてはいたけど書き忘れてたことチマチマ。
フレーム効果の名称→「オープンゲット」「ゲッター線」ときて、最終段階になると「激昂」が追加されるがこれはゲッターロボでは特に竜馬が「踏みにじられたものたちの怒りの代弁者」であったことからだろうと思われる。(ダイナミック作品にも共通するが)
「モラルと理性を根底に、他者を同等の存在と認めず蹂躙するものへの怒りでもって生き抗う」とはシリアス筋の石川作品に共通するものでもある。

アイサガゲッターキャラステ値比較(図鑑参考)

射撃:隼人(744)>博士(703)=弁慶(703)>竜馬(682)
格闘:竜馬(848)>隼人(744)>弁慶(724)>博士(651)
防御:弁慶(848)>博士(776)>竜馬(765)>隼人(724)
反応:隼人(848)>竜馬(744)>博士(724)>弁慶(682)
最大ステ値がこれでシステム上の限界というわけでなく、敢えて三人にそれぞれ同値を別ステで振っている様子。
また、竜馬と隼人で格闘と反応の値が互い違いになってるのも意図的ではなかろうか。
漫画版では空手はどうしたと聞きたくなるほど銃を使っていたのに一番低い竜馬の射撃や、敵をちぎっては投げちぎっては投げしていた東映版の経験はないだろうと思われる早乙女博士の格闘の低さ(竜馬と弁慶を格闘に振ったから射撃キャラいれたかった都合だと思うが)には少し面白くなってしまったが、こういう部分にも気を使っていたのかなと思えて嬉しかったし楽しく細部まで見ることができました。

結局、コラボ期間中にストーリーは完結しませんでしたが、また来年なのでしょうか……無事に完結しておくれ……。


22年12月復刻コラボ追加分について(仮)

……アプリが落ちるので全部読めていません……取り敢えず「宿命の終焉」終盤で案の定カーズくんが酷い目に遭ってるのまでは読めています。マジンガー分も読めましたが入りが漫画版を思い出させるものだったので、もしかしたらアイサガの中の人はそもそもダイナミック系列は漫画版が好きなのかもなと思いつつ、ボロットZが欲しかった私は大喜びです。
しかしマジンガーとカイザーとゲッターまで復刻するとここから始めた御新規さんは何をどこからどうすればいいんだかわからなくもなりそうですね。公式から時系列順のご案内も出していただけると嬉しいです!!

アイサガコラボストーリー推定順
スーパーロボット系コラボ、カーズくんが主要人物であるものは連続した話になっている。自分でいくつか読めたものの限りでは
マジンガー→ダンクーガ(マジンガー追加冒頭)→マジンガー追加→ゼオライマー(マジンガー追加終盤)→真ゲッター→カイザー→アクエリオン→真ドラゴン→宿命の終焉?
ダンガイオーもストーリーがあるならどこかに入ってそうだが未確認。

ところで「マジンガー」とゲッターロボは兄弟のようなものだし、「ダンガイオー」はその両方の影響強いしなんなら三つの心メンタル持ち合わせて根っこ辿ってくと石川先生出てくるし、「グレンラガン」はゲッターロボサーガの換骨奪胎だろうし、「アクエリオン」とか「ダンクーガ」に影響無いはずないだろと思うし、もしかしてコラボするロボットものの系統、ダイナミックプロとその正位置の血筋が濃いものでまとめてる?

隼人の口調
前回真ドラゴン編でも漫画版無印G時代の口調部分があったが、今回追加分にて竜馬を「リョウ」と呼んでいるので恐らくは前回分も意図的であったのだろう。(真ゲッターコラボ内で弁慶からだったか「竜」という呼称表記もあったが、あれも本当は「リョウ」のつもりだったかもしれない)
その呼び方をするのは漫画版と東映版だけであり、翻訳ミスとも考えにくい表記である。

真ドラゴンSAGAについて
ウザーラが合体しているチェンゲ版真ドラゴンは前回から姿はありましたがまさか超改造でそうくるとは……。
すっかり真ドラゴンというとあちらの姿が有名な気がしますが、あれはチェンゲにのみ出てくる結局最後まで見ても正体がよくわからん謎しかないゲッターロボです。
チェンゲから遡り元ネタとなるのは漫画版G終盤にアトランティスの最終兵器として登場するウザーラ。
しかし実はこのウザーラ、アトランティスの兵器ということからも想像がつくように本来早乙女博士が開発したものでもなければゲッター線ともまるで関係がなく、ゲッターチームを苦しめた主要武装も重力遮断装置であり、どうしてああなったのか私にはわかりません。
何も! わからない!!
まあそんなことはチェンゲ全般に言えますけれども、その中でもフリーダム枠じゃないかと思います。面白い使い方をするなあ。アニメのオフ機能ください(処理落ちが怖いです)。
真ドラゴンのゲッタービームなどは緑ではなかったのに、ウザーラのゲッタービームはチェンゲ由来の緑とまた細かい。


話を途中まで読んだ感じ「兜甲児や流竜馬をはじめ、皆は彼を覚えており、諦めてはいない」と明確で、カーズくんに救いがあるならそこが突破口じゃないかなとは思うものの、今見える未来は良くてデモベ旧神エンドな気もし。

漫画版のマジンガー読んで甲児くんに好感を持った身としては、アイサガでの描き方すごく好きですとかもありますが、それはまあ気が向いたら。無事にストーリーを読みきれたらこの記事は整理し直したいと思っています。

24年4月「アイアンサーガVS」について(仮)

来るとは!思ってました!!
デザインの他、著作権表記から見てもアイサガ本家でのコラボと同じく名義はチェンゲ。相変わらず中身は漫画版やりたいですっぽさが概要欄に滲んでますね。恐竜帝国について記載があるのはアイサガコラボでの機体説明もでした。
(実はチェンゲではゴールとブライらしき人工生命体が竜馬と隼人を襲うシーンの反応から「恐竜帝国や百鬼帝国の存在はあの世界にはなかった」と判断できるのだが、下の機体説明などからアイサガのゲッターロボ世界では「あったことになっている」)

一応格ゲーも触ってはいた(できない)ので軽く中身について触れると
1→敵の攻撃を受けての返し技(「やられたからやり返す」竜馬の性格の反映っぽさがある)、蹴りがストリートファイターのリュウ(やはり空手)っぽいとの指摘も見たり
2→敵のすり抜け可能、高機動多段で刻んでく女性キャラ(ヴァンパイアシリーズのモリガンとか)っぽい印象をフォロワーさんも私も受けてた
3→対空可能なミサイル、溜め攻撃ありそうなパワー型では?
とパッと見た感じでも三形態の個性付けなどはされている様子。
コンボにもチェンジ入ってきそうで操作難度は高くなりそうだし、ゲームバランスどうなるのかなこれとかは思うものの気にはなり(ただしsteam)。

ダイナミック系に関してはアイサガ本家のコラボを見ている限り漫画版主軸の原作愛溢れまくってるので、その感じのまま出てくれると嬉しいですね。

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