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Polar star of effort (case11後編) アスリートとアスリートに関わる全ての人達に・・・

                      Case 11  28歳 男子 柔道  後編

 「まあ、そんな落ち込まないで・・・」と光太郎君の盛り上がった肩を叩く。
 「大丈夫です! 引っ張る方はどうなるんですか?」
 「えっとね、『引き』も基本的な考え方は同じ。『押し』は相手の力や自重を自身の身体の内側に受け入れて肩甲骨、胸腰椎移行部、骨盤を連動させる。特に骨盤の前傾によって上から蓋をするように地面に向かって力を伝えることが重要。それは『引き』の場合も同じ。」

いわゆる「ダウンフォース」が生まれる。

 「はい。でも押すのと引くのでは真逆の動きです。『押し』は身体の内側に力を向けるイメージはできますが、引っ張られると外側に持っていかれます。」
 「そう、そこが難しい処、でも肩甲骨は、上肢のトランスミッション。引っ張られ力を変換して体幹部をしならせる方向に力の向きを変えることができるんだよ。」

 読者の皆さんは、Case8を思い出していただきたい。「利重力デッドロー」である。
 腕が引っ張られることによって体幹部のしなりを引き出す動きである。

  重りを利用し体幹部のしなりを引き出す。それを立てるイメージである。

立位姿勢においても同じような連動を引き出せれば良いということになる。
 相手に強い力で引っ張られた場合。

 「へー、そうなんですね。でも、そんな話初めて聞きました。あ、自分から引っ張りに行く場合はどうなりますか?」 「引っ張る方は、押す方より単純かな、相手が引っ張る前に自分の重心軸を後ろに倒せばいいだけ。」

 この動作でポイントになるのは「脇を締める」こと。 「脇を締める」とは単純に腋の下を腕で閉じるということではない。肩甲骨を背骨に寄せる動作のことを言う。


 「何を当たり前なことを・・・」と思われる方もおられるかと思うが、「脇を締めて!」と言われて腕で腋の下を閉じる動きをする人は、実は非常に多い。  
 かく言う私も学生時代、そちら側だった。
 言葉が表す本当の意味を理解していないことが多々あったのである。    「そういうことなんですね。つまり、僕がやってきたベンチプレスの力で押してもアームカールの力で引っ張っても力が相手に伝わっていなかったということですか?」 
 「ま、まあ、そうなるかな?」ちょっと気まずそうに応えた。 
 「でも、そういうことなんですね。ずっと疑問に感じていたんです。強い人と組むと脚に根っこが生えているような感覚。ベンチプレス160㎏挙げられるって、力には自信もっていましたけど自分の力が、強い人には伝わらない。ようやく解った気がします!」  
  「柔道の強い人や達人は意識的にしろ、無意識的にしろ相手の力や重力を利用する身体の使い方に気付いているんだよ。是非、光太郎君にも身に付けてほしいね。」 
 「はい、お願いします。何をすればいいですか?」 
 「じゃ、まず、これやってみよう。『体幹押し』肘の曲げ伸ばしを使わないで自分の身体を押す。」

 「どう?光太郎君。感じは?」
 「いや! こ、腰に来ます!」
 「あー、やっぱりね。じゃあ、これはどうかな?」

 「あ! やっぱり腰に来ます!」
 「そうだよね・・・」
 「え? 分かっててやらせてるんですか? ひどいですよ。」
 私は両手を振りながら「ごめん、ごめん。何事も体感しないとね。今、腰は大丈夫でしょ?」
 「はい、普通にしてれば全然問題ないです。」
 そう、彼は胸、肩、上腕の筋肉が硬く発達しているため肩の可動域が狭くなってしまっている。
 結果、肩甲骨の動きもまた制限されてしまっている。
 入会当時に比べて改善したとはいえ、まだ肩甲骨と胸腰椎移行部の連動ができるようになるには可動域が足りないのである。
 胸腰椎移行部が動かなければ、動きを代償する部分は腰になってしまう。

 

 光太郎君が慢性の腰痛に悩まされているのはその為である。
 よって、彼にはまず動的ストレッチマシンによるトレーニングと立甲の練習を徹底して実践してもらった。
 更に、肩の可動域の改善状況を見ながら、「体幹押し」「デッドロースクワット改」を採用していった。

           


  一年後、胸、肩周りが一回り小さくなった光太郎君が、トレーニングに来てくれた際に、こんな話をしてくれた。
 「以前、僕、『柔よく剛を制す』の本当の意味、解らないって言ってましたよね。」
 「言ってたね。」
 「本当に正解かは解らないのですが、動きの感覚にどんどん気付くにつれ、自分なりの意味が解ったような気がするんですよ。」

 「おー、それはすごいね。」

 「柔道の姿勢や動き、技は柔軟性が大事で、柔軟性を高めることで技の精度を磨くことができて、相手の力を受けることによって自分の身体が持っている本当の力を引き出す。それが、自分よりも力が強く、大きな相手をも凌駕することになる。相手を倒そうとするのではなく、相手の力を受けきって自分自身の持つ能力をいかに引き出すか・・・自分自身を高めることが目的なんだと感じたんです。」

 決して雄弁ではないが、その言葉にはオリジナリティと力強い説得力を感じた。
 私は、目を押さえて「立派になったねー。」というと彼は食い気味に
 「いや、泣いてないじゃないですか。」
 彼は、続けて、
 「僕は、柔道が好きなので、いずれ小学生とかに柔道を教えたいと思っていたんです。でも、前言った通り、柔道の何たるかが全然解っていなくて、そんな僕が子ども達に柔道を教えるなんて、子どもにも柔道にも失礼で出来ないと感じていたんです。」

 「光太郎君は、本当に真面目だね。」

 「でも、いろんな身体の感覚の気付きの中で、高校の柔道部の先生が指導してくれたことや、お話頂いたことの意味が解って来たんです。ああ、あの時言ってくれたことはこういうことだったのかって。」
 
 「それは、先生も喜ぶよ。」

 「はい。今度、高校にご挨拶に行こうと思ってます。まだまだですけど、柔道を教えることができるかもしれないって思えました。ありがとうございました。」と丁寧にお辞儀をして帰って行った。

 「あれ? ちょっと・・・これは光太郎君、退会しちゃう流れ・・・?」

 スポーツは時として残酷なものである。真面目で努力を惜しまない人ほど、その努力が結果につながらない場合がある。それだけではなく身体に負担をかけすぎてケガや故障をするといった、いわゆる「負のスパイラル」に陥ってしまうケースが非常に多い。

 彼もまた、柔道が強くなりたい一心で練習の他に独学でウェイトトレーニングを行い、あれだけの筋肉を作り上げた。
 だが、結果的に関節可動域が狭くなり腰痛を引き起こし、柔道の本質から遠のくことになってしまった。

 無駄な努力と切り捨ててしまう人もいる。私としては、彼の経験は直接柔道の上達につながらなかったもしれないが、彼が指導者になった時に間接的に活かされるだろう。
 その意味においては、無駄な努力はないと信じたい。
 だが、願わくば、その努力が取り組んでいる競技の成果に活かされて欲しいものである。

 ウェイトトレーニングが悪いわけではない。彼はボディビルやボディメイク用のトレーニングを選択してしまった。
 初めから競技パフォーマンス向上を目的としたウェイトトレーニングを行っていたらどうだっただろうか。
 また、身体の感覚、動きの感覚というものは言葉で伝えるのは非常に難しい。時として「ギュッ」とか「グン!」とか「ビュン!」とか擬音が飛び交う。
 もっと言うと、指導者が感覚を伝える言葉は100人いれば100通りであり、受け取り方も100人いれば100通りである。ある人には伝わった言葉や方法でも他の人には伝わらないことも多々ある。
 決して彼の柔道の先生方が悪いわけでもない。それだけ「体術」や「競技動作」の感覚を伝えることは難しいのである。
 だが、柔道や野球やサッカーといった専門的な競技動作の以前に基本的な身体の使い方、動作の土台部分を補完できれば、体術や競技動作の感覚を共有できる。
 そこが我々フィジカルトレーナーの分野なのである。

 もっと端的に言うならば、理論的、段階的に「求めるべき状態、動作」を明確に示すことができれば指針ができる。努力の方向性が見えてくる。
 目指すべき場所が解らないまま努力を続けるのは、成果につながるか解らない不安を抱えたまま、日々精神的にも肉体的にも追い込む「無間地獄」に身を投ずるようなものである。

 山の頂上がはっきり見えれば、頂上に向かって一直線に登るだけである。もちろん楽ではないが目的地が見えれば歩みにも力が入る。虚しさよりも充実感を持って努力することもできる。
 何より確実に頂上に向かって近づくことができるのである。
 
 努力の方向性(polar star of effort)を明確にすることで、「努力は報われる」という経験を、多くの若者が積み重ねていけるスポーツ界が実現できる。
 正しい身体の使い方が理解できれば、それが可能なのである。

 今日は、久々に皆で飲みに行きたい気分だなぁ。


 スタートラインに立ち、結果を残すのはアスリート本人である。
トレーナーとは、常に裏方の存在なのである。

 このお話は、一部事実を元にしていますがフィクションです。
この事例が、全ての人に当てはまるとは限りません。トレーニング、ストレッチをする際は、専門家にご相談ください。

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