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Polar star of effort (case10) アスリートとアスリートに関わる全ての人達に・・・

                Case 10     23歳 男子 野球 ピッチャー

 「お久しぶりです!」と入会手続きに来たのは、岩間 健太 23歳 社会人野球チームでピッチャーをしている。178㎝ 82㎏と厚みのある身体をしている。
 実は、彼は高校時代に私の施設でトレーニングを行っていた。当時は練習が忙しかったため週一回くらいのペースで通い、コンディショニングを目的として使ってくれていた。
 「久しぶりだね。何年ぶりかな? 大人になったね。あれ?お腹出てない?」
 「いやいや! 筋肉ですよ!」と全力否定。
 高校では野球部のエースとして活躍。甲子園とまではいかなかったが、県大会ベスト8まで勝ち抜いた。
 卒業後、地元の企業に就職し社会人野球チームに所属していた。
 「やっぱり、ここでトレーニングしていた頃、調子よかったので、再入会しに来ました。」
 ということで、身体チェックを行う。肩甲骨、胸腰椎移行部、股関節の柔軟性は高く、予想に反して非常に良い状態であった。
 身体チェックを行っている最中に、彼は「実は、球速を上げたいんです。」と本来の目的を話してくれた。
 高校時のMAXは138㎞。現在は140㎞。
 「身体はデカくなったのに、高校から2㎞しか上がってないんですよ。」
 球速を上げるため、他のトレーニングジムに何軒か通ったらしいが、しばらく通うと逆に感覚が悪くなるというか、違和感が残ってしまい長続きしなかったとのこと。

 彼のスマホで投球動画を見せてもらう。さらに軽くシャドーピッチングをしてもらった。
 「なるほど、いや、思ったほど悪くないね。」
 「そうですか。じゃあ、なんで速くならないんですかね? やっぱり筋力不足?」
 「まず、速く投げる理屈から説明しよう。『慣性の法則』って知ってる?」
 「あの、電車の中でブレーキがかかるとオットット、となるやつですよね。」

 単純に言えば、こんな感じ、つまり、急加速、急停止が「急」であるほど物体は速く飛んでいく。
 ピッチャーの場合、車の上に乗っているのがバネであることが特徴。

 「健太君の場合、上半身の動きは良さそうだよ。力みもないし、肩の捻りも負担がなさそうだね。一つ気になるのは、柔軟性から考えると体幹部がもっとしなっても良いかな・・・」 「ということは?」 「一般的なセオリー通り、下半身の問題ってことだね。」 これは、よく言われていることである。速く投げる、遠くに投げる、或いはコントロールを高めるために大事なのは下半身の強さ。 よって、走り込みや下半身の筋力トレーニングが推奨されるわけだが、先ほどの「慣性の法則」を思い出してみよう。 要は、「急加速」「急停止」をさせればいいのである。 「てことは、やっぱり下半身の筋力アップが大事ということですか?」 「いや、筋力を使わないで『急加速』『急停止』させる。特に健太君の課題は急停止の方。」  「え?筋力、力を使わないで加速させたり止めたり、そんなことできるんですか?」彼は完全に疑いの眼差しで私を見ている。 

 ここで、動作の大原則をおさらいしよう。
「動作の大原則は、重力を利用して、肩甲骨、胸腰椎移行部、骨盤を連動させ体幹部のバネの力を引き出すこと。そして、それは肩関節、股関節の螺旋の連動によって生み出される。」ということである。
 この原則に則っていれば、腕の位置や向き、膝の角度、足の向き等末端部の事はそう重要ではない。
 極論で言えば、胸腰椎移行部の反る、丸まるで出力されていればOK!
 野球をやっている人に言わせると「割れ」というものらしい。

 つまり、体幹部のバネを使わせるには、人それぞれやり易い腕や脚の位置、向き、角度
がある。それは百人いたら百通りであり、一つの型にはめ込むようなものではない。
 よって、運動学的な理論上理想とされる動作や超一流投手のフォームの形にはめ込んでも自身の身体能力を最大限引き出せるとは限らない。
 禅問答的に言うなら、「正解は無いようで在るが、在るようで無い。」そんな感じである。
指導者、トレーナーの良し悪しは、その見極めができるかどうかである。
 重要なのは芯の部分なのである。それが解れば下手な末端部による操作や力を加える動作は要らない。
多くの投手は球速を上げることを意識するあまり芯の部分、動作の本質を見失い、下手に末端部の操作や力を加える動作をやってしまう。これが投球動作にブレーキをかけてしまうことに気付いていない人たちが非常に多い。
 車で言えば、ブレーキを踏みながらアクセル全開で走ろうとする訳だからスピードが上がらないのは当然。続ければ壊れてしまう。
 
 さて、一つの例として「急加速」について見てみよう。
 ピッチングの「急加速」のやり方は、大きく3つのタイプがある。
①    軸足をほぼ曲げないで前に加速するタイプ。
②    やや、膝を曲げて沈み込んで前に加速するタイプ。
③    深く沈み込んで前に加速するタイプ。
 どれが優れているか?そういう問題ではない。

 「急加速」の3つのタイプ優劣はない。球速を上げるためには、どれも無理なく加速させる必要があり、その為には共通の条件がある。
 それは、「重力を利用する」ことと「股関節中心」の動きであること。
 「重力を利用する」とは、走る際も同じだが推進力は「倒れる」こと、脚の力で無理に蹴らず、重力に引っ張られて倒れる力で加速する。
 「股関節中心」の動きとは、膝周りの力を使わず殿筋群の「張力」を引き出し、上に跳ねることで位置エネルギーを高め重力を利用する。「位置エネルギーを高める」とは高い位置から落下した方が、スピードが増すということである。
 もし、膝、足首で蹴ってしまうと蹴り足が後ろに流れてしまい、上体が前に突っ込んでしまう。何より筋肉の収縮力に頼るため疲労しやすい。

 「重力を利用する」ことと「股関節中心」で動作が行われていれば、この3つのタイプに優劣はない。問題は、その投手がどのタイプで加速すれば、胸腰椎移行部のしなりを使い易いかということである。

 具体的に言うと3つのうち、どのタイプを使おうと、胸腰椎移行部を中心にした体幹部のバネを使えなければ、正しいピッチングとは言えない。
 逆に、どのタイプであろうと体幹部のバネを引き出せるのならOKなのである。
 どのタイプがやり易いかは、一人ひとり違う。それが「個性」ということになる。
 注意しなければならないのは、体幹部のバネを引き出すことが動作の「基本」であること。この「基本」ができていなければ「個性」も何もないということである。
 基本の動作の習得ができていないのに「いや、俺のタイプはこうだから・・・」とか「いや、それが俺の持ち味だから・・・」と「個性」を主張すると、それが「隠れ蓑」になってしまい。正しい基本動作の習得の妨げになってしまう。
 よって、指導者やアスリートに関わるトレーナーは、選手に「基本」を正しく正確に伝える必要がある。くどい様だが、これは「基本」なのである。
とここまで説明すると健太君は、
「急加速させるなら深く沈み込んだ方が、お尻の力で勢いよく加速できそうですけど?」
「まあね。健太君は、やや沈み込むタイプだね。」
「タイプを変えた方が良いですか?○○投手みたいな。」
「いやいや、君は股関節中心で使えているから、加速の仕方は変えなくていいよ。」
そう、基本ができているならどのタイプでも加速度は大して変わらない。
確かに「急」加速するに越したことはないが、それがイコール球速に直結するかというと、そう単純ではない。
どの道、重力加速度(9.8m/秒)を超えることはできないから・・・
 むしろ「急停止」の方が直接球速に影響する

「問題は、やはり『急停止』の方だよね。」

「踏み込んだ脚で、いかに急停止させて骨盤を回転させるか、そこだね。」と私は続けた。
「やっぱり、脚の力で地面を押し返す動きを加えるということですか?」彼は、床を脚で蹴る動作をしながら聞いてきた。

「いや、筋力は使わない。できるだけ力を抜くんだよ。」
「それが分からないんです。力を抜いたら、膝が曲がって潰れちゃうと思うんですけど。」
私は「筋肉は、『収縮』して力を発揮する状態と弛緩して『脱力』している状態の他に別の状態があるんだよ。」と腕を曲げ伸ばししながら答えた。
「何ですか?」
「それは、『固定』」

 必要最低限の筋力で関節を固定し、肩甲骨や骨盤、或いは胸腰椎移行部へ力を伝える使い方である。
 健太君は想像ができないようで、首をかしげながら「どういうことですか?」と。

例えば、両腕が上に引っ張られた場合、どのように抵抗するか考えてみよう。

  つまり、力を抜くとは「脱力」ではなく、「固定」を意味する。

 重力によって倒れてきた身体が突っかえ棒によって、いきなり止められる。
 「慣性の法則」を思い出してみよう。

 もし、力を使うとどうなるか?

 「健太君、膝を曲げた状態から思い切り脚を突っ張ってみよう。」
 「こうですか?」
 「そうそう、そこから前屈してみて。」
 「メッチャやりにくいっす。ていうか無理です!」

 立ち上がり、或いはジャンプ動作の際、膝が伸びると同時に骨盤が立ち上がる。これも人間の持つ連動の一つである。本来、殿筋や大腿裏のハムストリングスを主に使って行われ、膝周りの大腿四頭筋や下腿三頭筋は補助的に作用するのが理想である(Case5参照)。
 この連動によって、立ち上がりがスムーズに行われるし、高くジャンプすることもできる。 
 意識的に力を入れると補助的に使われるべき大腿四頭筋と下腿三頭筋が頑張ってしまい、そのまま固まってしまう。 
 骨盤が立ち上がる(後ろに傾く)ように動くため、骨盤が自然に前傾することができなくなってしまう。

 これはピッチングの「急停止」ではあってはならない作用である。
 なぜなら、「急停止」によって体幹部のバネを引き出し、ボールを加速させるには骨盤が前に倒れなければならない、それが物理の法則だからである。
 つまり、力で脚を突っ張ったり、着地した脚で骨盤を押し返そうとすると骨盤が前に倒れるどころか立ち上がるように動こうとするため「慣性の法則」を邪魔してしまう。
 アクセルとブレーキを同時にかける例の一つである。
 そこで「固定」の出番という訳である。

 健太君が体幹部の柔軟性の割にピッチング時のしなりが足りなかったのは、膝周りに力が入ってしまい、骨盤の前傾を十分引き出せていなかったためである。
 「健太君は、踏み込んだ足が着地した際、膝の力で支えているんだよね。そこを改善していこう。じゃあね、『股関節蹴り』って種目やろう。」

 まずは、着地面に傾斜をつけると感覚がつかみやすい。慣れるに従い実際の投球動作に近づけていく。

 「こんな感じですか?」 
 「そうそう、膝の曲げ伸ばしで蹴らないで、股関節から蹴る。動きでいうと『お辞儀』をすることで蹴るって感じかな。」 
 「何となく分かります。脚を使うというより胴体を被せて戻す、の繰り返しですね。」 
 この股関節の使い方により、無駄な筋力を使うことなく前に加速する身体をいきなり「急停止」させることができるのである。


 ということで、彼には「股関節蹴り」に取り組んでもらい、慣れた頃合いで、重りを持ったり、ジャンプを加えたりと、いくつかのバリエーションと筋力強化系の種目をトレーニングメニューに取り入れた。
 彼は、忙しいながらも空いた時間を見つけては、まめに来てくれた。

 翌年の春、県大会が来月に迫ったある日、トレーニングに訪れた彼が声をかけてきてくれた。
 「MAX148㎞出ました! 2,3カ月前から急に感覚が変わったって話は、このあいだしましたけど。それからなんか、全然力入れてないのに球が伸びていくっていうか、明らかに球速が増しているのが実感できたんです。で、測ってみたら148㎞!」
 「すごいね!ちょっと150㎞行けんじゃない?」私が驚きながら言うと、
 「いや~、でも上を目指せる気がしてきて、なんか上を目指せる自分がいるって、なんか・・・嬉しいって感じなんです。」
 彼は照れくさそうに言いながらも眼が輝いていた。

 今日は、ハイボールも追加しよう。


 

スタートラインに立ち、結果を残すのはアスリート本人である。
トレーナーとは、常に裏方の存在なのである。

このお話は、一部事実を元にしていますがフィクションです。
この事例が、全ての人に当てはまるとは限りません。トレーニング、ストレッチをする際は、専門家にご相談ください。

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