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酒吞みの自己弁護

1、俺はアル中?・・・・・酒呑みの自己弁護

飲酒生活、幾歳月。
怒れども酒、喜べども酒、哀しくても酒、楽しければ勿論酒、酒だけは集まって呑もうぜ。
集い酒、奢り酒、割り勘、財布の中身を計算しながら呑んだ若き日。
安酒場、ゴージャスな酒場、ホテルのバー、下心満々で臨んだ酒場。
一人グラスを眺めながら酔いに任せて悠久に思いを馳せた書斎での酒。

太陽の元煽るビール、屋台のコップ酒、ダウンライトの中でのカクテル、
カウンターでの琥珀色、ドレスに惑う水割り。

様々なシチュエーション、様々なバリエーション、様々な金額。
思えば、いつも酒が傍らに居てくれた。
そしていつの間にか、酒無しの生活は思いもよらなくなっていたよ。

肉体的にも、精神的にも、いつの間にか酒に浸っていたんだ。
自分ではアルコール中毒なんて思いもよらなかったけれども、
今少し立ち止まり自分と彼女=酒との係わりを見つめてみようと思うんだ。

そうしたら・・・・

見事に酒に依存している自分を発見してしまった。
世の同胞よ!アル中なんて他人事と思う無かれ。

よく聞くよね、

「名人上手と云われてる職人さんが、普段は赤ら顔、
手も震えてるけどコップ酒一杯ヒッカケタラ、見事な業を見せてくれた!」

若しくは、

「アルコールが切れると、意味不明なことを口走る、
 ピンクの像が飛んでる、小人の大名行列をみた。」

そんなことがアル中の典型的な症状だと安心していませんか?
そこまでいけば完全なアル中で、専門機関での対処が必要になってきます。入院して、完全に酒と隔離された生活。

でもね、そんな症状をきたす人間だけがアル中ではありませんよ。
「分かっているよ、そんなこと。お前さんに云われなくたって。」
そうですね、生意気を差し上げ恐縮です。

「アル中ではないさ、ただ、アル中予備軍は認めるよ」
ひとつ、前進ですね!

でも・・・・

あなただって立派なアル中なです。
自分の文章御読みいただきながら、
「俺はまだここまで行っては無いから安心」
「?・・・・おんなじじゃないか?」、
「俺はこれ以上だぜ・・・・・?!」

色々と感じる貴方、もう認めましょう。
あなたも立派な「アル中」であることを。

認めてしまえばアトハ簡単ですよ。
人生だって、いろんな事に向かい合って生きてるじゃないですか。

認めたり、認めなかったりしながら生きてるじゃ有りませんか?
「自分は最早立派なアル中でアール!」

そう認めつつ「薔薇色の飲酒生活」生きていきましょうよ御同輩!!

2、酒は旨いよ、人生の潤滑油だよ。

酒は旨いですね、人生の潤滑油だね。
時には、荒んだ精神をほぐし。
時には、疲れ果てた肉体を優しい眠りへと導いてくれる。
周囲の人間とワイワイ騒ぐときも、一人静かに過ごすときも
最高のパートナーになってくれる離れ難い恋人だね。

琥珀色のウィスキー、澄み切った清酒、蒸留の宝物=蒸留酒
いろんな酒を、TPOに合わせてチョイスする方法もあるし、
呑み方も千差万別。

料理に合わせて呑む?酒に合わせて料理を選ぶ?
場所を探す?大人数?少人数?同姓?異姓?
贅沢に楽しむ?給料日前だから安く上げる?
部屋で飲む?食卓で家族と?

自分なりのアレンジで楽しめる最高のパートナーだね。

裏切られたこともあるよ、正直ね。
思いもよらない反撃?崩壊?反省?
でも、離れられない。気がつくといつも隣で微笑んでくれているよ。
そんなパートナーを大事にしながら上手な酒呑みになりたいね。


3、初めて呑んだのは、遥か昔、格好つけだったよ。

覚えていますか?初めて酒を呑んだ時のこと。
幼いころ父親の晩酌のビールに口を付けた、
親戚の寄り合いで叔父さんの熱燗を口に含んだ。
それも初めての経験だったかもしれない。

ちがうんだ、自分の意思で呑んだ日の記憶を覚えていますか?
大きな声じゃ言えないけれども、モチロン法律違反、未成年飲酒。

仲間と恐々口に含んだ日の記憶はよみがえりますか?
旨く無かったよ、何でこんなもの大人は旨そうに呑むんだろう?
でも、仲間の手前そんなことは噯にも出さずに呑み干して苦虫をつぶしたような顔になったはず。調子附いて呑んでゆくうちに、胃の奥から酸っぱい液体が込み上げてきてトイレに駆け込んだ?天井はぐるぐる廻るし、息苦しいし、動悸は激しくなるし。

お決まりの洗礼を受けたよ。

酔い覚めは、頭ガンガン、込み上げる酸っぱい液体。床に押し付けられるような倦怠感。
そんなことを繰り返しながら、格好つけながら修行を重ねてきましたよ。


4、いつの間にか習慣と成っていたんだ。

初めて呑んだときは、酒を旨いなんて思えなかったけれどもいつの間にか
酒を呑むことが習慣になっていたんだ。

最初のうちは可愛いもんさ。夕食のときにビールを飲む位だったよ。
ビールくらいしか酒を知らなかったからね。外で飲む機会も少なかったし。

そのうちにガード下のもつ焼き屋なんかに行くように成ったよ。
最初は安く酔えるから焼酎を覚えた。
それも「ストレート」か「梅わり」なんかの氷も何も入れない単純な呑み方。酒場を経巡るうちに「チュウハイ」なんて云う口当たりの良い呑み方を覚えて量もこなす様になっていんだ。
それからホッピーなんかも知って飲酒量増大に拍車が掛かったんだ。

それから、二級酒。たまにアブク銭にありついたときは、「一級酒」を飛び越し迷いもせず「特級酒!」酒の味なんか解らなかったけれども生意気だったんだ。

酒は味だけでは無いってこともその時に知ったよ。
「気分が豊かになる」ということもね。

街を彷徨っていると、もつ焼き屋でだけではなく、いろんなタイプの呑み屋を発見するようになるんだね。俗に云う「トリスバー」の名残がある洋風?な酒場。
そこで「琥珀色の液体」の甘さも覚えたよ。
「酒を水で割って呑むほどビンボーしちゃいねー」なんて作家の言葉宜しくもっぱらストレート。もっとも氷やミネラルなんかを頼むお金も無かった。
そのうちに、無理して「オネーチャン」の居る店にも出入りするようにもなったね。

その頃に成ると、家で呑む酒もいろんな種類を用意して料理や気分で選ぶようになっていたんだ。
ここまで来ればもう「いっぱし」の酒呑みの出来上がりですね。


5、その後も飲酒街道をバクシンスル。

気がつけば日常のあらゆる事象を酒に結びつけるようになって居たんだ。
まっすぐ帰宅することが出来ずに夜は酒場にたむろしていた。

仲間との酒ももちろん有ったけれども基本的には独りで呑んでいた。
独りで呑みながら周囲の話に耳を傾けたり、物思いにふけったり。

暗い酒かな?後ろ向きには呑んでこなかったつもりだけれども。
自分と会話しているというよりも「酒」と会話していたのかも知れない。
自分と会話しているつもりでも「酒」に頼って自分と会話した気分に成っていたんだ。

時代小説を読みながら、話中の時代に思いを馳せ歴史ロマンに浸り。
いや、それよりも話中に出てくる酒場や酒菜を探して居たのかもしれない。

かっこよく言えば酒を呑みながらイマジネーションに浸っていたけれども
酒が無ければイマジネーションが起草できなくなっていたんだね。

まだ、そのときは自分の中に酒が深く侵食していることには着付いていなかったんだね。
肉体にも、精神にも酒がしっかり侵食していることに。

6、ドライに過ごせる日がなくなっていた。

そんな生活が長く続けばいくら若くたって流石に体が悲鳴をあげることだって有ったよ。精神的にも参ってしまったりね。

時々の「二日酔い」、単純な症状に単発で教われる=頭が痛い、体がだるい、気持ち悪い。
若しくは、全てが統合されて襲ってくる。

初めの頃は「二日酔い」も時々だったけれども、そのうち「毎朝」襲われるようになってきた。その症状も重症化してくる。そのうち「手が震えたりして・・・・」

「今日だけは呑むまい!」
コンナニ辛い思いをするんなら「今日だけは・・・」

体に辛さが残っているうちはそんな風に思ってはいるんだ。
昼飯も食べられない。

コーヒーもタバコも苦く口にも心にも纏わりつく。

そんなうちはね。拒否しているんだ。酒という女神様を。 

日が傾きはじめて、夕闇が迫ってくる頃。
あんなに辛かったことは「けろっと」忘れたように。
「酒」へのラブコールを無意識に送り始めている自分に気付くんだ。

そんな風に「ドライな=酒を呑まない」日がなくなっていたんだ


7、休日は朝から呑む様に成っていた。

最初のうちはドライに過ごす日を作ろうと戦いもしていたけれど、
無駄な時間、抵抗だったのかもしれない。今になって思えばね。

休日前は酔いつぶれるまで痛飲する。そんな癖も完璧についていた。
翌朝「極度の二日酔い」で苦しむことは頭では理解している。
でも、休みだから寝てればいいさなんて思いをこめて
酒場を渡り歩いたよ。本当に意志薄弱、怖いもの知らず。
迎えた朝、案の定、極度の二日酔いに襲われる。
「迎え酒」なんて言葉の誘惑に誘われて、起きぬけに呑めるように
無意識の内に枕元にウィスキーを置いていたり。
起きていきなりのラッパ飲み。
そして朝から酩酊の世界へ。

酒に侵された生活を続けていても、毎休日の朝がそんな風ばかりだったわけではないよ。普通に起きられる朝だって有ったよ。
そう云う爽やかな朝は「風呂を立て、ゆっくり精神の洗濯」を楽しんだ。

その時点ではドライな休日を過ごすつもりでいても、風呂上りのビール。
それだけで終えるはずが朝食を摂りながら呑み始める。
遅い昼食、食事に合わせ酒を選ぶ。
そのまま夕食、又酒を選ぶ。
そのまま、撃沈・・・・
いったい何のための休日だったんだろうね。


8、目的が手段?手段が目的?

酒が好きだから酒に溺れるんだろうか?
そうであれば、この世の飲酒人口の全てが所謂「アル中」になってしまう。

日常の疲れを程よく解すくらいの「呑み助」は「アル中」にはならない。
日常の精神や肉体を開放するため、麻痺させるためそんなためにアルコールを「必要」とするようになった時から危険信号が点滅し始めるんだ。

でも、本人は気が付かない。

折角の信号に気が附く事がない人間が「アル中」になっていくんだと思う。

「アル中」っていったって、
「小人の大名行列がみえる」とか
「ピンクのゾウが飛んでる」とか、
「体中に虫がはっている、手が震える」なんて云うことじゃないよ。

例えば、「疲れたから摂りあえず呑みたい」という呑み方は、飲酒量の多少ではなく呑むことによって精神や肉体が開放されるという事に支えられているんだアルコールが開放のための手段に成ってしまっています。

いうなれば、アルコールが「薬」になってしまっているんだ。
その「薬」に頼らなくては生活が出来なくなっていますね。

アルコールが精神開放の「手段」であったはずなのにいつの間にか、
「目的」にすり代わってしまってるんですよ。

ここまでくればもういっぱしの「アル中」に成ってしまっています。


9、アル中とは気附かなくても。気附いていても無視してる。

自分では「アル中」とは気附かなくても精神的には既に立派な
「アル中」に成っています。
肉体的には、腎臓、肝臓、消化器系も犯されているはずです。
体の変調は自覚しながら医者には怖くていけず、自分だけでいろんな資料を読み漁り「まだ大丈夫」なんて勝手な解釈を施し正当化していませんか?

自分より重症な患者の体験談に安堵を覚えて、「自分はまだ軽症だ」と安心させていませんか?
資料を読み漁りながら「酒」を煽ったりしていませんか?

すみません、自分の経験です。

勇気を振り絞り医者で検査を受け、結果的に最悪の数値が出ても

「これが最後の一雫だ」といいながら、一杯呑ってしまう。

一杯で終わればよいのですが。
それで終わるはずも無く、投与された薬を服用すればOKだ。
などと、再度に勝手な解釈を施して呑み続けたりしていませんか?
一時の快楽に身を委ね、後々のことまでは考えない。

飲酒による精神の破綻を自覚しつつも飲酒街道を・・・・・


10、数々の障害を乗り越えても呑み続けています。

飲酒により、周囲の人間に迷惑をかけ、人間関係の破綻を生じたことも有りました。飲酒が原因で成人病のデパートみたいに成り医者の世話に成ってもいます。

肉体的な破綻のみならず、精神の破綻を来たし「変人扱い」されたことも。警察に厄介になったことも。トラ箱ですね。

数々の武勇伝?に支えられて今まで生きてきました。

それでも、いまだに懲りずに飲酒生活に浸っています。
昔ほどじゃ有りませんよ。呑む量はね。
飲酒量じゃないと解っていつつも、量の多少で中毒度を
測っているところなんてもういっぱしの「アル中」かもしれません

自覚はしつつも、相変わらず呑んでいます。

思えば、飲酒行為が精神に帰属する割合が増えた分、
重度の患者かもしれませんがね。

貴方も思い当たりませんか?

自覚してしまいましょう。

そうしたら、楽に成れるかもしれません。






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