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R.I.P. パンタさん

パンクロックが反体制であるなら学生運動が盛んだった1960年代、彼らの思想を象徴するバンドに「頭脳警察」が存在した。

成田闘争激しき三里塚での伝説のライブ。3億円事件犯のモンタージュ写真がジャケットに使用されたファーストアルバムは内容も過激すぎて発禁。
セカンドもさらに激しさを増加させ自主回収。
当時中学の小生はそのファーストアルバムを見せびらかすようにむき出しで小脇に抱え、背伸びした思想を周囲に押し付けるように電車通学していた。


通学していた母校は民族系教育機関に在籍する生徒といざこざを起こしており、母校の周囲には相手方の生徒が絶えずうろついているというかなり危険な状況にあった。
周辺住民と環境を警備する目的で国家機関の制服組、私服組がたたずんでいる町となり独特な緊張感に包まれていた。その状況下、小生は公安の私服組に職質を受けた。小脇にむき出して抱えていた発禁対象のアルバムに目を付けられたのだ。当時話題になっていた「三里塚ライブ」参戦には間に合ってはいなかったが生意気な子供でもあり「頭脳警察」は思想的に危険なバンドとして認識はしていたが国家にも影響を与えていた事実を実感した出来事であった。
 
たかがミュージシャン、歌唄いの戯言が国家を揺るがす思想犯として恐れられていた時代。その社会との関係性がパンクという思想ではないかと思う。

パンクミュージシャンといって思い浮かぶ面子には
"Sex Pistols"が最有力だが彼らは ロンドンの“SEX”という洋服屋に屯していた若者の中から個性的人間を集めて結成されデビュー当時から反体制思想よりも商業主義に則ったバンドであった。
細身の体に、髪の毛を逆立て、破れたシャツ、安全ピン、奇抜な色使い。
象徴的なファッションも腐敗した体制に歯向かう若者の象徴として大衆に受け入れられ、バンドの後期にベーシストとして加入した“Sid Vicious”もかなり過激な若者であり、ミュージシャンとして売れる前は自らのピンナップ写真を手に「肌の切り売り」で生計を立てていたこともある若者であった。
彼の伝記映画には“My Way”を歌い終わった後、観客に向けて拳銃を一発ぶっぱなし親指を立ててステージを去るシーンがある。
この一場面は反体制を象徴する内容として有名である。

「頭脳警察」が活躍していた時代の日本と英国で反社会体制の象徴ともいえるパンクロックが台頭しはじめた時期には数年のずれがあるが、
「頭脳警察」の反体制思想は、若者を触発し側面から当時の日本国家構造の膿をさらけ出した。この事実に英国と日本のパンクロックのありように違いを感じる。
 
                         2023年7月7日記す。

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